第162話 魂が抜け出そうな精神的ダメージを受けておりますの
ベリアル――この時代を生きる人々から、名を忘れられた者。
七十二柱の神の一人。
最も狡猾にして、高潔と謳われた相反する特性を有した炎の申し子。
現在はメテオール・レンバッハと名乗り、レムリア帝国の宰相を務めた男。
そして、十年前に起きたアルフィンでの惨劇に大きく関わり、レオの記憶が混濁する原因を作ったのもこの男ですわね。
けれど、彼は邪悪な存在ではありません。
悪として断罪出来ない複雑な事情があるのです。
それはベリアルが望むのはこの世界の平和だから。
ただ、彼の考え出した平和への道が特殊すぎるだけですわ。
大きな力は災いであり、世界にとって不要な物である。
取り除くべきと判断したのです。
ベリアルという名の神は表舞台から姿を消し、闇に潜みました。
それからのことです。
大きな力を手にしようとした者がまるで呪いにでもかかったように自滅の道を辿り始めたのは……。
アルフィンの惨劇もレオのお父さまであるリヒャルト公が帝位に就けば、レムリアが間違いなく、大陸を制すると予見したのでしょう。
その為にとった手段が悪辣でしたわね。
「この場で首を刎ねられるのと心臓を貫かれるの、どちらが好みかしら? それとも魂まで凍てつかせてから、粉々に砕かれるのはいかがかしら?」
「リーナ……顔が怖くなってるよ」
いけない、いけない。
あちらの世界でレオが苦労したことを考えるとつい、怒りの衝動を抑え切れませんでした。
「……それでは元帝国宰相のレンバッハさまは如何なる御用でこのような辺境にいらっしゃったのかしら?」
伊達に氷の魔女と呼ばれていた訳ではありません。
一切の感情を捨てきって、何もないように接することが出来なくては公爵家の令嬢とは言えませんでしょう?
ベリアルはシルクハットを被り直すと薄気味の悪い笑みを引っ込め、一切の感情を消した表情をしています。
あれだけの殺気を当てられながら、冷静な態度をとれるのですから、貴族とは本当に面倒な生き物ですわね。
そんな中、人らしい感情を露わにしてくれるレオの存在は私にとって、どれだけの力になっていることでしょう。
彼が向けてくれる眼差しはとても優しく、私の心を温かにしてくれるんですもの。
「それが少々、面倒なことが起きそうでしてね。御忠告に上がったまででございますよ」
『食えない狐の宰相』と呼ばれた男にしては珍しく、苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情をしています。
もしかして、本当に面倒なことに巻き込まれそうって、ことかしら?
「面倒かぁ。戦いだったら、どんとこいだね」
「レオ……それもどうかと思いますのよ?」
戦いと聞くと嬉しそうな顔をするのはさすがにいけない癖ではないかしら?
まるで戦うことが生き甲斐のように見えそうですもの。
彼の中に闘神としての
その気持ちが分からないでもないのですけど。
ちょっと怖い顔になったレオの顔に手を伸ばし、あまり力を加えないで両頬を抓ってあげました。
レオもそれで気付いたのか、いつものような人懐こい笑顔を浮かべ、私を見つめてくれます。
そうですわ。
レオにはこのように笑顔でいて欲しいんですもの……。
「まさか、面倒なことになったのはあなたのせいですの?」
いけないですわね。
また怖い顔になったかもしれません。
うっかり、凍気が漏れたようです。
レオの吐く息が白いので、嫌でも気付いてしまいました。
「リーナ、大丈夫だからさ。ね?」
髪を優しく梳いてから、頭を撫でてくれるので荒んだ心が幾分、和らぎました。
ポカポカとしてきた心のお礼がしたくて、レオの胸に顔を預けると優しく、抱き寄せられます。
安心出来て、このまま、ずっとこうしていたいくらい……。
「実はその……」
見せつけている訳ではないのですけど、居心地の悪そうなベリアルがようやく語り出しました。
内容はある程度までは予想出来たのですけど。
考えていた以上に面倒を通り越した深刻な問題ですわね。
アジ・ダハーカとの決戦の折、ヴェステンエッケ上空に現れ、アジ・ダハーカに炎の光球を投げ付け、傷を負わせた真紅の
赤なのに加え、炎を操るのですから、ベリアルが絡んでいると予想していましたけど、まさか本人が操っていたとは……。
ベリアルは自らが手を下すのを極端に避けるのです。
それが彼の信条であり、流儀だからなのかは分かりませんけど。
混沌との戦いとはいえ、戦いの場に姿を見せること自体、非常に特殊なケースだったと言えるでしょう。
しかし、問題はそこではありません。
問題が起きたのはその後……。
アジ・ダハーカ戦に介入し、行方を見届けて、離脱するまでは彼の計画通りだったそうです。
『その後の選択を誤った』と呟くように零したベリアルの言葉が全てを表していました。
彼は『自由にするといい』と紅き
これは致命的なミスといって、いいでしょう。
その核に竜や魔物が使われている
『自由』という免罪符を与えられたら、どうなるのか。
考えただけでも恐ろしいですわ。
強大な力を有する
「うん、分かった。僕達が何とか、するよ」
「え?」
彼に抱き寄せられてから、体温を確かめ合うように抱き締められ、あまりの心地良さに危うく、夢の世界に旅立ちそうだった私の意識が急激に覚醒しました。
レオなら、そう言い出すとは思っていましたけど。
悩みもしませんのね?
全く、レオったら!
本当に人がいいのですから、困ったものですわ。
でも、ベリアルに一言くらいは文句を言っておかないといけませんわ。
はい、もう影も形もありませんでした。
逃げ足の速さと気配の消し方は天下一ではないかしら?
ですが本当は私、ベリアルにお礼を言いたい気分でもありますの。
なぜって?
彼が現れなかったら、レオが提示した三種類の衣装のどれかを選ばないといけない状況にありましたのよ?
何となく、話が流れたのでもう大丈夫……
「だと思った?」
「ふぇ?」
急に唇を奪われ、頭がボワッと熱を帯びたように熱くなってきました。
アワアワしている私を
悔しいですけれど、私よりも年上みたい……。
「夕食は部屋で裸エプロンだよ」
「は、はい? 夕食は? って、え?」
レオの言っていることがいまいち、理解出来ずにキョトンとしてしまう私を見て、くつくつと笑みを零した彼はさらなる衝撃を与えてくるのです。
「そんなかわいいうさぎさんのリーナは夜はバニーガールね」
「よ、よるはって、え? えええ?」
まだ、続きますのね?
魂が抜け出そうな精神的ダメージを受けておりますの。
夕食? 夜?
着替えるのが前提になってません?
「それで朝はこの下着ね」
「……えっ、ええ?」
「リーナは着てみたいのないかな?」
「な、ないですけど!?」
本当は着たい服があるのです。
でも、それはまだ、着ることが許されませんもの。
せめて、レオが十六歳にならないと無理かしら?
ウェディングドレスを着てみたいですわ。
着られるのはもうちょっと先でしょうけど、憧れを抱くのは自由でしょう?
「いいね。ウェディングドレスのリーナを脱がさずにとか……いいね」
「レオ、涎が?」
何を想像したのでしょう。
涎を垂らしているレオをかわいい。
そう思いながらも服の上からでもはっきりと分かるくらい、元気な彼のモノに顔が引き攣りそうですけど。
ウェディングドレスで何か、良からぬ想像をしていたのかしら?
しかし、彼の涎を舌で拭きとる私もどうかしてますわね。
でも、想像だけでこれですもの。
明日の朝を無事に迎えられるかしら?
最初から逃げ道なんて、なかったのです。
レオはあんなに楽しみにしているんですもの。
頑張ればいいのですわ。
あら? でも、何を頑張ればいいのかしら!?
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