第152話 私の為に三人が怒ってくれるなんて、嬉しいですわ

 ニールが隣にいて、アウラールが邪魔をしています。

 触りたそうに手をワキワキとしていたレオですけど、娘の手前、諦めたようですわ。

 大人しく、膝枕で我慢してくれるみたい。

 暫くするとすぅすぅという寝息が聞こえてきました。

 それだけ、レオに安心感を与えられているということかしら?

 私にとって、これほど嬉しくて、幸福なことはありませんわ。


 ……と思っていましたら、レオだけでなく、菓子パンを食べ終わったニールまで私にもたれかかって、夢の世界の住人になっています。

 このドレスも洗わないと駄目ですわね。

 蜂蜜がべっとりとついた口を拭ったのでしょう。

 私のドレスの裾がきれいな蜂蜜色に染められてますもの……。


 あら? アウラールもですわね。

 首が力を失って、あらぬ方向に向いてますもの。

 その方向がそれぞれ、違うというのは各々に個性があるということかしら?


「あ~、もしかして、あなたが噂の?」

「噂のって、何ですの?」


 変に間延びした喋り方で突然、話しかけられました。

 顔を上げるとソファの前に晴れた青空に近い澄んだ空色の長い髪をポニーテールにまとめ、南洋の澄んだ海を思わせる瞳を白面に宿した美しい少女が立っています。

 ん? 少女なのかしら?

 それにしては声がちょっと低い気がしますわ。

 ハスキーボイスと言うのも無理がある低音ではないかしら?


「聞いてた以上にかわいいですね~」


 そう言いながら、少女(少年ですの?)が私に向けて、手を伸ばそうとしてきた瞬間、黒い影が視界を塞ぎました。


「痛いっ。痛いですってば~」


 軽くミシミシという骨が軋む音が聞こえますわ。

 影の正体はレオでした。

 完全に寝ていたのではなくって!?


「デュカリオン……それ以上、リーナに近付いたら、殺す」

「じ、ジョークですってば~」


 レオはそのまま、デュカリオンと呼ばれた子を力任せに放り投げたのです。

 えぇ? 大丈夫ですの?

 普通の人間でしたら、今ので腕が折れている可能性がありますわ。

 あの勢いで投げられたら、普通は……と思ったら、空中で器用にクルクルと回転し、勢いを抑えるときれいに着地しました。

 やりますわね……。


「マーマに近付くのめっーなの」

「ピロルルルル」


 いつの間に起きたのか、ニールが私の前で通せん坊のポーズで立っています。

 アウラールまで目を覚まし、私の膝の上で敵意丸出しの眼差しで例の子を睨んでいました。

 レオからの凄まじい殺気だけではなく、ニールとアウラールからもかなりの殺気が発せられているのです。

 私の為に三人が怒ってくれるなんて、嬉しいですわ。


 👧 👧 👧


 空色の長い髪に海色の瞳を宿した目はぱっちりとして大きく、見た目は美しい少女そのものです。

 恰好もノースリーブの白いブラウスに紺色のミニスカート。

 露わになった二の腕も太股もとても細く、シミ一つない白く美しいもの。

 でも、少年でしたのね?


「そうそう。僕、男のなんですよ~。あっ、デュカリオンって、言います~」


 レオ達から、刺すような視線で睨まれているのに肝が据わっておられるのかしら?

 それともおば……いえ、何でもございませんわ、おほほほ。


「こいつがトリトンの受容者レシピエントなんだ」


 レオにしては珍しく、不機嫌なところを隠そうともしていません。

 基本的に誰に対しても柔和なレオくんで通っていますのに珍しいですわ。

 ニールとアウラールも『がるるる』と犬歯を露わにして、不機嫌ですわね。

 それにトリトンの……そうでしたのね?

 では遠慮をする必要ありませんわ。


「爺や、お願い致しますわ」

『心得たぞ』

「え!? ちょっ、待って~」


 問答無用で転移の魔法がデュカリオンを包み、その姿が消えました。

 それと同時にトリトンの胸部に備えられた黒い透かし窓に真っ赤な単眼モノアイが浮かび上がります。

 どうやら、ちゃんと起動したようですわ。


「ではちょっくら、行ってくるぞい」


 ローブから、出ている骨だらけ、というよりも骨だけの手をひらひらと振ると爺やの姿も消えました。

 そして、トリトンも……。


「大丈夫かしら?」

「大丈夫だよ。そうじゃなくてもいいしさ。じゃあ、僕たちも行こうか」

「はい、参りましょう」


 いざ、悪竜退治ですわね。

 こっそりとアウラールに私の血を与えておきましたもの。

 何の問題もありませんわ。


 🤖 🤖 🤖


 ――ミクトラント大陸南洋

 巨大な人型の物体が突如、宙に出現し、そのまま海に落下する。

 尋常ではない派手な水柱が上がった様子を空から、他人事のように眺めているのは漆黒のローブに身を包んだ不死者の王リッチ・ロードベルンハルトである。


「わしの腕なまっとらんのう」


 そのまま海中に没していくと思われた人型の物体は動きを制御し、背部と脚部から泡を噴き出しながら、急速に浮上を始める。


「ちょっと~、殺す気ですか~?」


 海の中から、にょっきりと爪が生えた腕を振り回しながら、訴える人型の物体――魔動騎士アルケインナイトトリトンをベルンハルトは眼窩で炎が燻らせながら、不気味な眼差しを向ける。


「何を言っとる。死ぬ気でやらんと本当に死ぬぞい。まあ、頑張ることじゃな。じゃあの」

「え? あ? ちょっ。そんな~」


 情けない声を出すデュカリオンだったが空に漂うように浮いていた黒い影が消えるとやがて諦めたのだろう。

 彼方に霞んで見える陸の上を這うように進む巨大な黒いモノに向け、トリトンを進ませるのだった。

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