閑話9 恋人達の狂詩曲

 リジュボーで起きた事件の当事者や被害者のその後とかを補完という形で。


 ◇ ◆ ◇


シエラとイシドロ

 『鴎の水兵亭』を営むイシドロは元海兵にして、軍属の料理人だったというしっかりとした肩書もあり、宿の経営は順調そのもの。

 人柄の良さもあって、人望の厚い好青年。

 それがイシドロという男である。

 特に整った容貌ではないものの人好きのする優し気な印象。

 人気宿を経営する青年実業家。

 イシドロが結婚適齢期にあるうら若き乙女の間で実しやかに流れる『結婚したい男』裏ランキング情報で上位常連組という噂もまんざら嘘ではないだろう。


 そんなイシドロは現在、二十九歳。

 年齢よりも若く見える風貌は活力に満ち溢れている。

 嬉々として厨房での仕事に勤しむ彼を優しく見守るのはイシドロの愛して止まない最愛の人シエラである。


 シエラには身寄りが無い。

 天涯孤独の身の上。

 十九歳には見えないまだ、あどけなさの残る顔は整っており、小柄で華奢なのもあいまって、小動物のような可愛さを醸し出していた。

 それでいて、体つきはしっかりと女性らしく、自己主張しているボディラインを形成している。

 気立ても良く、花屋の看板娘として、仕事振りにも定評があった。

 そんな彼女を恋人に、生涯の伴侶にと狙う狼のような男どもから、逃れるようにシエラが選んだ男こそ、イシドロだったのである。


 奥手な二人だったが既に愛を知る深い仲になっていた。

 正式に届け出を済ませ、夫婦になる日も決まっていたのだ。

 誕生日すら分からないというシエラを想うイシドロは夫婦になる日を誕生日にすればいいと提案したのだ。


「ねぇ、イシドロ。わたし、こんなに幸せでいいのかな?」


 安らかな寝息を立てて、眠っている愛しい男を見つめ、呟いたシエラの胸がチクッと痛んだ。


(いいんですのよ? あなたがそう望むのなら)


 涼やかな少女の声が聞こえたような気がして、周囲を見渡すが誰もいない。

 気付けば、胸の痛みも気にならなくなっていた。



ヘイグロトとカイ

 裾丈の長い真っ白なワンピースと白銀の髪を風に靡かせ、村の子供達と楽しそうに遊ぶ少女の姿を見て、カイは目を細めた。

 彼女はオデンセの守り神であり、村を見守る心優しいドラゴンだ。

 だからこそ、村に住む人間との間に見えない壁のようなものがあったのだろう。

 気付けば、彼女は笑うこともなく、凛としながらも張り付けたように表情が無くなっていた。

 そんな彼女があんなにも少女らしい姿と表情をまた、見せてくれるようになったのだ。

 カイもまた、純真だった少年の頃のように心が踊っていた。


「カイー!あなたも一緒に遊びましょー」


 子供達と手を繋いでカイのところにやって来たヘイグロトはスッとその手を差し出す。


「さぁ、行きましょ?」


 カイは笑顔とともにその手を静かに取ると指に口付けする。


「カ、カ、カイ!?」


 途端にヘイグロトの顔は茹でたトマトのように真っ赤に染まり、目はせわしなく泳ぎ始めた。

 ちょっとしたスキンシップで未だにこんなかわいらしい反応を見せるヘイグロトはあわあわしていて、子供達に囃し立てられても恥ずかしがるばかりで反応出来ない。


「さあ、行こうか」


 ヘイグロトは差し出した手に口付けされ、それだけで舞い上がってしまい、自分が置かれている現在の状況に頭が追い付いていない。

 カイと手を繋いでいる。

 それも指と指を絡め合って、しっかりと握り合っているのだ。


(あたし、こんな幸せでいいの?)

(ええ。いいのですわ。あなたにはその資格があるんですもの)

(え?)


 慌てて、周囲を見渡すヘイグロトだが誰もおらず、不思議そうに自分の方を見つめるカイと視線が交差した。


「何でもない。こんな時がずっと続けば、いいなって。そう思っただけ」

「そうだね」

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