第2章 自由都市リジュボー

第54話 自由都市リジュボー

 長蛇号ヨルムンガルドとドラゴンとの戦いや人知れず苦労していたジーグリットの愚痴などを書いた閑話を入れた方がいいでしょうか?


 ◇ ◆ ◇



 長蛇号ヨルムンガルドが大陸最西端の都市リジュボーに入港したのは七日目の昼。

 ここまで特に支障となる事態も発生しなかっ……いえ、していた気がしますけれど、気のせいですわ。

 ベッドから起き上がるのさえ、辛い日があったのも気のせいですわね。


「レヴィアタンに第一と第二の二つだけですけども、七つの門セブンスゲートをかけておきましたわ。船体を守るくらいにしか、役立ちませんがレヴィアタンが、効力を失いますわ。その点だけはお忘れなきよう」

「本当にココで降りていいんですかい? うちの大将、会いたがってたぜ?」

、その時じゃないんですよ。だよね、リーナ?」


 長蛇号ヨルムンガルドはリジュボーで補給だけ済ませたら、すぐに出航し、母港のローダニスに戻るそうです。

 本当にローダニスに戻るのか?

 新たな旅に出るのか?

 叔父さまは羊の皮をかぶった狼ですから、腹の底が知れないのよね。


「ええ。恐らく叔父さまだけではなくにとって、好ましい状況になると思いますわ。その時までしておかなければ、いけませんの。そう叔父さまにお伝えくださいませ」

「ふむ。良く分からんね。伝えておくさ。大将には分かるってことなんだろ?じゃ、またな!」

「ここまで送っていただき、ありがとうございました。ごきげんよう、ジーグリットさま」

「ありがとう、ジーグリットさん!」


 アドミラルコートの裾を海風にはためかせ、静かに去っていくジーグリットさまの姿はとても凛々しく、格好のいいものです。

 長身で手足もスラッと長く、とても映える容貌をされていますから。

 あの姿にクラッとくるご婦人がいてもおかしくはないでしょう。

 海の男は港ごとに愛する女性がいると本にも書いてありましたものね。

 あら? 男の人ではないですわ。

 でも、恰好が良ければ、男であろうが女であろうが小さな問題ですわ。


 ⚓ ⚓ ⚓


 荷下ろし作業に従事しているのは筋肉質の大柄な体格をした殿方。

 その脇を洗練された足取りで通り過ぎるのは客船を下船した身なりの整った方々。

 着飾った装束に身を包み、足取りだけではなく所作全てが洗練されているから貴族……王族という可能性もあるのかしら?

 さすがは自由都市と呼ばれるだけのことはあって、埠頭を見ているだけでも興味深いですわ。

 抜けるように白い肌、浅黒い肌、褐色の肌。

 髪や瞳の色も違えば、肌の色も異なる種々雑多な人々が聞いたことのない言語で会話をしています。

 獣を思わせる耳が髪の間から生えている獣人も陽気に会話をしながら行き交っている。

 こんなにも自由闊達とした雰囲気は帝都にはないものです。


 そんな賑わいと喧騒に満ちた埠頭を抜けるとやや古めかしい石造りの建物が立ち並ぶ落ち着いた雰囲気の街並みが姿を現しました。

 現在、自由都市としての名で知られるリジュボーですが、かつて帝国と覇権を争った海洋国家の首都であったことはあまり、知られていません。

 長い歴史を持つ古都でもあるのです。

 やや時代がかった古い石造りの建物にも趣や風情といったものが感じられるのは古都ならではのものと言えますわ。


 また、大海の覇者たるレヴィアタンに引き起こされた大海流により、甚大な被害を受けた町としての方が良く知られているかもしれません。

 旧市街地と呼ばれる地域にはその名残が見られ、観光地としても有名ですわね。


「さて、まずは宿探しかな?」

「そうですわね。すぐに見つかるかしら?」


 二千年近く転生を繰り返しているのにこの町の情報が全く、ないなんて!

 たくさん本を読んでいるのに肝心な時に役に立たない自分に腹が立ちますわ。

 ん? レオが屈伸運動を始めたのですけど、何をする気なのかしら?


「僕もこの町、分からないからさ。情報は足で稼がなきゃ!」

「申し訳ございません。あたしも西は分からないんですよぉ」

「知らないデス。ここの名物は何デスか?美味しいんデスかね?」


 三者三様ですけれど、要は誰一人、リジュボーを知らないのです。

 前途多難ですわ。


「わちし、知らなーい。マーマ、抱っこ」

「え? 仕方ないですわね。はい」

「わーい」


 甘えてくるニールを抱きかかえ、抱っこします。

 両腕にずっしりとくる重さはかなりの物ですわ。


「手分けして、探すしかないかな。オーカスと探しに行ってくるよ。アンさん、お願いします」

「はい。お任せくださいっ」

「レオも気を付けてくださいませ」

「パーパ、油断だーめよ?」


 レオはオーカスと宿を探しに行き、ニールを抱っこした私のお留守番が決まりました。

 諜報能力にも長けたアンも捜索班に回った方がいいのですけど、レオったら…心配するあまり、アンを残してくれたのですわ。


 ⚓ ⚓ ⚓


 リジュボーの治安がどれくらいのものか、分かりません。

 自由都市というくらいですから、自由の意味を履き違えた方が現れてもおかしくありません。

 ですが、宿を探すだけですもの。

 たちの悪い殿方に絡まれるお約束な出来事なんて、そうそう起こるものではないと思いますの。


 子連れですし、スカートの裾丈が長いクラシカルデザインのメイド服に身を包んだアンもいます。

 『絡まれることなどない』と考えていたのが甘かったのですわ。

 え? そもそも、子連れに見えてませんの?

 見た目のせいなのかしら?

 幼い妹を連れた少女と思われたのね。

 全く、面倒ですわ。


「ねえちゃんたち、お困りだろ? 俺たちがいいところ、連れて行ってやるぜ」

「ヒャッハー! ひいひい言うところだぜ」

「お断りします! お嬢さまの目が穢れるので退いてくれませんかねぇ。退かないなら、強制的に排除しますけどぉ?」


 ロマンス小説ではあまり見かけませんけど、冒険活劇の中で見かけたことのある不埒な輩。

 大柄な図体で腕は太く、日に焼けた肌からは精悍というよりも粗野な印象しか受けません。

 どの殿方も下卑た笑みを顔に浮かべ、その目つきは醜悪なものです。

 あまりにもイメージそのもので笑いがこみあげてきそうです。

 堪えるのも中々、辛いものがありますわ。

 ニールが『ねー、壊していーの』と満面の笑顔で言うのを『駄目よ、壊さない程度にしないといけないわ。アンに任せましょうね』と静かに諭します。

 ニールが悪い子になったら、困りますもの。


「ねえちゃん、そういきがんなよ。仲良くしようぜ!」


 悪漢A、そうあなたはAということでいいですわね。

 お約束過ぎる台詞を吐くとアンの胸部で魅力的なカーブを描く豊かな持ち物-少しくらい、分けてくれればいい―を汚い手で触ろうと手を伸ばしました。

 アンが触らせるはずがありません。

 彼女はそもそも、男性はあまり好きではないもの。


「あいだだだだだ」

「触っていいのはお嬢さまだけなんだよぉ」


 アンは悪漢Aの手首をさも汚い物を触るかのように軽く掴むとひねりを入れました。

 冷たい視線を浴びせながら、その手に力を込めるものですから、ミシミシパキンという嫌な音が聞こえた気がしますわ。

 折れたかもしれないわね。

 そのまま、掴んだ手を放さず、悪漢Aをまるで脱穀でもするように何度も地面に叩きつけます。

 飛び散る紅の液体と苦し気な呻き声。

 あまり、子供に見せてはよろしくない光景ですわね。


「てめえ、女だからって手加減してりゃ、調子乗りやがって!」


 悪漢Bは結構、いい体格をしています。

 背丈は女性にしては長身の方のアンより頭二つ分ほど大きいですし、まるで筋肉の鎧を着こんだような肉体の持ち主です。

 武術の心得も多少あるのかしら?

 まずはアンの肩を押さえつけようと両腕を伸ばしました。

 アンが黙って、待っていると思って?

 どうやら、心得など何一つない素人でしたのね。


 アンの体が風のように音もなく軽く、宙を舞います。

 跳躍回し蹴りという何ともアクロバティックな蹴り。

 彼女のきれいな脚が悪漢Bのお腹に見事に突き刺さったのです。

 あの裾の長いメイドドレスで器用なこと。

 普段の修練が成せる技ですわ。


 さらにつんのめった男の顎に低い位置からの掌底が決まりました。

 また、何かが折れるようなバキッという耳障りな音ともに血飛沫を上げながら、大柄な悪漢Bの身体が宙を舞います。

 地面にだらしなく転がったのはこれで二匹……いえ、二人ですわね。

 悪漢CとDは目の前で起きた予想もしない状況に焦ったのかしら?

 仲間を介抱することもなければ、襲い掛かってくる訳でもなく、逃げていきました。

 薄情な方々ですのね?


「きれいに決まりましたわ」

「アンねーちゃん、やるね」


 わたしたちに褒められたアンは余程、嬉しかったのか、鬼のような格闘の技を見せたのと同じ人物と思えないほど、にへらとだらしない笑顔を見せてくれます。


 そして、私は今更、気付きましたわ……。

 無計画に歩いて、探すよりも冒険者ギルドで教えてもらえばよかったのだ、と。

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