第32話 娘が帰ってきました
今朝はもう少しで一線を踏み越えてしまいそうで危なかったですわ。
何とか、踏み止まっているのよね?
そんな葛藤があるとも知らず、レオはオーカスと男の買い物をすると決めたみたいで。
そもそも男の買い物って、何ですの?
ただ、こういうことを気にしたら、いけないわね。
気分転換も兼ねて、彼が買い物をしている間、アンとカフェでお茶を楽しみながら……って、全然、楽しめないのだわ。
もう、このまま勢いに任せ、レオのところに……
『いいえ、駄目よ、あなたはお姉さんじゃない? こういう時はしっかりとお姉さんらしいところを見せないと』
『何、言ってるの? 彼は大人になったのよ? ここでお姉さんらしく、リードして彼を男にしてあげれば、いいだけじゃない?』
『それは正しくありませんわ! 男にしてあげるということは自分も女になるということをお忘れでは?』
『こんなことに正しいも正しくないもないのだわ! やればいいのだわ!』
あぁ……頭の中がうるさいのですけど!
もう、なるようになってしまえば、いいのだわ。
『自暴自棄になってはいけないわ。ここは冷静にならないと駄目よ』
『お姉さんが身を任せてどうするのよ? 馬鹿なの?』
『こんなにも自虐的に自分を捉えていたの?』と驚きながらも紅茶を口に含み、心を落ち着けましょう。
アンも心配してくれるし、ここはもっと良く考えないといけないわ。
そうよね。
ここまで何だか、ベッドの上でリードされているだけ、ですもの。
どうにかしないといけませんわ。
五歳も下の子に一方的に食べられるというのは私らしくないわ。
考えるの。
そう、レオは確か、ゲームが好きよね。
ゲーム……ゲーム……うふふっ、いいこと思いつきましたわ。
レオとオーカスが買い物から戻ってくる姿が見えたのでアンから、日傘を受け取ります。
先程、思いついたアイデアのお陰で心は晴れやかですわ。
日傘を差した私は無意識のうちに微笑んでいたことに気付きもしませんでした。
🍴 🍴 🍴
そして、私たちは今、夕食の為にいつもと趣向を変えた新しいレストランに来ておりますの。
まず、何が違うかと申しますとまず、名前に『飯店』が付いているのが珍しい……というよりも怪しいのですわ。
正式な名称は『
まさか、にゃんこちゃんが経営しているというのはないでしょうけど、猫系の獣人さんがオーナーというのはありえそうですわ。
「店名も怪しいのですけれど、このメニューを見てくださいな」
「ラーメンかぁ。懐かしいね」
「餃子もありますよ、お嬢さま。これはもしかして、転生者が関係してるんですかねぇ」
私たち三人とも日本人であったという前世の記憶を持っています。
このアースガルドに元々、ラーメンや餃子がなかったのは確かです。
そういう記憶を持つ人が何らかの形で関与していることは間違いないでしょう。
だからと言って、転生者をどうにかしようとは思いませんけど。
「私はこの
「僕はこれかな、フカひれラーメン! フカひれラーメンとか、本当に出来るのかな」
「ではあたしは……餃子を五人前、味噌ラーメンと醤油ラーメンに炒飯を三人前ほど」
「僕、それの二倍でお願いデス」
レオと思わず、顔を見合わせてしまいましたわ。
アンは細いのですけど、その食べ物はどこに消えるのかしら?
興味深いですわね。
「レオも遠慮しなくて、いいのよ? もっと食べたら、どうかしら?」
「え? でも、餃子と炒飯くらいかな。一人前でいいけどね」
そんなに食べられるの?
あの二人はちょっと変だとしてもレオは成長期ですし、動いているから大丈夫なのかしら。
それに本当に日本の食べ物が食べられるなら、レオにとっても懐かしさがあるのかもしれないわ。
私には病室であまり、美味しくない食事の記憶しかありません。
懐かしむほどの食の記憶が特にないのも悲しいわね。
髪をお団子にアップしたウェイトレスさんが持ってきた料理は皆の記憶にある通りの見た目はしているようです。
見た目だけなら、十分に合格点のようですわ。
オーカスにはくれぐれも食器まで食べないようにと言い聞かせてから、皆で『いただきます』の礼をして、食べ始めます。
「この
味は悪くありません。
鶏ガラで出汁を取った薄めの味付けですけど、
「これもフカひれラーメンだね。変わらない感じだよ。醤油ベースのスープってことは醤油も作ったのかな? これもないものだよね」
「味噌、醤油、問題ありませんねぇ。日本の味です、美味しいですよぉ」
二人が日本の記憶を基に感想を述べている横で大口を開けて、全てを流し込んでいる者がいますが、見なかったことにしておきましょう。
アレはそういう子ですから、気にしたらいけないのですわ。
「転生者だとしたら、接触するのかな?」
「どうしてですの? 害があるのなら、ともかく変わった料理を出すお店を経営しているだけでしたら、何も知らないまま、生きている方が幸せではなくって?」
「そうだよね。下手に関わらない方がいいかな」
「トラブルに巻き込まれたら、お嬢さまが保護する方向でいいんじゃないですかねぇ。餃子も美味しいわぁ、これ。炒飯も美味しいですよぉ」
アンは器用にラーメンをすすりながら、餃子を口の中に放り込み、炒飯をかきこんでいます。
やはり、懐かしさを感じて、つい食が進んでしまうのかしら?
🐶 🐶 🐶
アンに白金貨を渡し、お勘定を任せてから、先に外に出ますと意外な人物が私を待っていました。
「あら、ナムタル?」
「陛下、お久しぶりでございます」
恭しい挨拶を私に向けてくるのは冥界の宰相として、実務を取り仕切るナムタルでした。
狼の獣人のような姿をしているナムタルですけれど、正確にはジャッカルの顔をした下位神なのです。
ニールと同じ、非情に稀有な力である空間転移能力を有しているので冥界を動けない女王に代わって、このように地上に現れるのですけど……
「あなたが現れるなんて、どういう風の吹き回しかしら?」
「ブリュンヒルデお嬢さまの命により、陛下の下にお嬢さまをお連れした次第にございます」
「ん? え?」
「マーマー」
ナムタルの背に隠れていたのか、とてとてと若干、覚束ない足取りで姿を現したのは五歳くらいの小さな女の子です。
闇のように黒い髪はきれいでその子の白い肌に映えて見えますし、瞳の色は金色に輝き……何でしょう?
私の小さな頃に良く似ているような気がしますけど。
「リーナに似ているよね?」
「え? ええ、そうみたいですけど。まだ、産んでませんけど?」
「それは分かってるよ?」
とてとてと私の下に駆け寄ってきて、抱き付く女の子のお尻からは棘の生えた黒い尻尾が生えています。
それによく見ると頭にも捩れた小さな角が二本、生えているのです。
「あなた、ニールなの?」
「そうだよ、ママ。お姉ちゃんに教えてもらったんだー」
満面の笑みを浮かべ、私を見つめてくる瞳は確かにニールのものです。
なるほど……ヘルが人化の術を教えたのね。
年齢からすれば、ニールが覚えるのに問題ないわ。
それにしても数日で覚えるのは早いわね。
もしかして、うちの娘は天才なのかしら?
「ニールはすぐに覚えられたのね?」
「うん」
「あなた、天才かもしれないわ」
ドラゴンなど高位にある生物は人化の術を使えば、人に似せた姿に変身することが可能です。
だいたい、千年生きていれば、使えるとされています。
ニールは二千五百年近く生きてますから、覚えようと思えばいつでも覚えることが出来ました。
機会がなかっただけで実力を出せば、こんなにも出来る娘なのです。
姿が私の幼い頃に似ているのはニールが私を母親のように慕ってくれているから、その影響が出たのでしょう。
「ナムタル、ニールがお使いから、戻ってきたということは問題なかったということかしら?」
「ええ、問題ありません。例の白い者は冥界にて、極刑に処されております」
「あー、サタンか。ちゃんと冥界に送られてたんだ」
それを確認する為にニールをお使いに出したのよね。
「ちなみにどういう刑なの?」
「朝、細切れに切り刻まれ、鍋でぐつぐつと煮られ、日が沈むとまた、元に戻ります。次の日もそのまた、次の日もそれが繰り返される、という刑でございます」
「そ、そう……それはまた、結構なことね」
ヘルもまた、えげつない刑を執行したものね。
サタンが完全に心折れて、消えるまでどれくらい、耐えられるのかしら。
百年持つとは思えないわね。
「ブリュンヒルデお嬢さまは白い者が陛下に働いた所業に大層、腹を立てておいでのようです」
「あの娘らしいけど……ありがとう、ナムタル。ニールを送ってくれて。これからもヘルのことを頼むわね」
「御意。某は陛下に仕える者でございます。それでは陛下、某はこれにて失礼仕ります」
そう言うとナムタルの姿を消えました。
まるで地面に溶け込んでいくように。
🦊 🦊 🦊
疲れたのか、寝てしまったニールをレオが負んぶしてくれたので三人でいると親子のように見えるかしら?
それとも単なる仲の良い姉弟と幼い妹なのかしら?
宿に戻ってもぐっすりと寝ているニールを起こすのも忍びないので今夜はアンの部屋で預かってもらうことにしました。
「ごめんなさい、アン。今日だけだから……負けられない戦いがあるの。だから、お願いね」
「お嬢さま、分かってますって。勝負なんですねっ、頑張ってください」
アンに何か、勘違いされている気がするけど、勝負というのは合っているのよね。
ただ、それは私たちが初めてを迎えるのではなくって。
それを回避するのにゲームで白黒つけましょう、というだけなのよ。
だから、今日の私は普段なら、絶対着ない肌が出ていて、男心を煽るような寝衣を着ているの。
ベッドに腰掛けているレオもちょっと緊張しているように見えるのは初めて…だからなの?
でも、ごめんなさい。
ゲームに負けるつもりはないのよ?
「レオ、ゲームをしましょう?」
彼の隣にぴったりと寄り添うように腰掛けてから、そう持ちかけました。
どういうことだろうって、不思議そうな顔をするのは当然よね。
私だって、変だとは思っているもの。
「ゲームって、何するのかな? こ、この雰囲気でゲームって、良く分からないなぁ」
「とても、楽しくて、気持ちのいいゲームをするの。それで……レオが勝ったら、私を好きなようにしていいわ。勝者の権利ですもの。でも、私が勝ったら、お預け」
「気持ちがいいゲームで何だか、僕の方が有利そうだけど?」
どうして、自信ありそうな顔をしているのかしら?
ゲームだから、負けないと思いましたの?
本当にそうかしら?
甘いですわね、レオ。
「簡単なルールですのよ。レオは私の前でこれから……えっと、その……うん、あの自分でしてくれる?」
「は、はい? 自分で!?」
「う、うん、自分で……それでその……出しちゃダメだから。私が『出してもいいわ』って言う前に出しちゃったら、レオの負けよ」
「うわ、また、リーナが変なこと言い出したよ……」
自分でも変だとは思ったわ。
でも、こうでもしないと絶対、無理でしょ?
あなたに求められたら、私は拒めないし、拒みたくないもの。
だから、このゲームは必要なの。
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