閑話3 うさぎと骨は闇夜に嗤う

 ダンダンと足を激しく踏み鳴らす黒いうさぎ……ではなく、黒いうさぎのが不機嫌そうに二本の脚でスクッと立ち上がり、しきりに足を踏み鳴らしている。

 うさダンをしているという訳ではなく、単に不機嫌をそのまま、行動で表しているだけだ。

 このうさぎ(のぬいぐるみ)姿になっている大魔導師イシドール・フォン・アインシュヴァルト生前の癖でもあった。

 イシドールは帝国史上最高の魔導師と謳われた男だ。

 ありとあらゆる魔法を使いこなし、頭脳明晰にして、道を歩くだけで女性が倒れるとまで言われた眉目秀麗な容姿。

 完璧な才人とされたイシドールであったが最大の欠点は難があり過ぎる性格だった。

 短気で喧嘩っ早いのだ。


「気に入らん。なぜ、お主に言うのだ。わしに言ってくれれば、いいものを」

「いい年をして、嫉妬で八つ当たりとはのう。ひっひっひっ」


 その様子を見て、さも愉快そうに笑っている人物はローブを目深に被っていた。

 その隙間から、微かに見える口許には肉が付いておらず、骨が直接見えている。

 頭蓋骨が剥き出しになっているとしか思えないその不気味な姿は彼が不死者アンデッドのせいだ。

 かつて、ベルンハルト・シュタインベルガーという名の偉大な魔導師であった男は生というしがらみから、解き放たれた存在に昇華した。

 死者の王リッチ・ロード

 それがベルンハルトの新たな肩書だった。


「そう、拗ねずともよいではないか? リリーはわしとお主で事に当たって欲しいそうじゃ。特にお主を頼りにしておるのじゃぞ」


 ベルンハルトは親友の面倒な性格をよく理解しており、その操縦法を把握していた。

 高すぎるプライドを刺激しないようにうまく誘導しなければ、より厄介なことになると分かっているのだ。

 上手くおだてておかないと駄々をこね、拗ねた挙句、動かないと言いかねない男、それがイシドールである。


「リリーはそう言っておったか?」

「勿論じゃとも。お主でなければ、頼めないと言っておったぞ」


 本当はそんなこと言ってないがな、とベルンハルトは心の中で舌を出す。

 そうでも言わんとこのじじい動かんからのうと自分がじじいなのも忘れ、心の中で毒を吐く。


「そうか、そうか! やはり、わしがやらねば、いかんか! うむうむ。しかしな、ベルよ。リリーのやつ、最近、少し冷たくはないか?」

「年頃の娘じゃからのう? 年頃の娘は恋をするとそういうもんじゃないかのう?」


 知らんがな、わし恋したことないし、孫娘もおらんからのうとやはり、心の中で毒づくベルンハルト。

 お前はきれいな嫁さん貰って、家族に愛されていいのう、わしは家族おらんのに!とさらに毒づくベルンハルトだった。


「ふむ、仕方ないな。リリーが恋焦がれていたチビだからな。わしとしても認めてやらんでもないがな」

「どちらにせよじゃ。わしらでリリーの憂いを除くべきじゃろ」

「分かっとるとも。では行くか」

「そうじゃな」


 室内を一陣の風が吹くとともに二人の姿は既にそこになかった。


 🦴 🦴 🦴


「子爵というのは意外と羽振りがよいものか?」

「領地によるとしか、いえんのう。お主はそういうことに興味がなかったじゃろう?」

「興味がなかったのは事実だ。だが、これが異常ということくらい、分かるつもりぞ」

「お主でも分かるレベルじゃからな。相当、酷い取り立てや悪いことをしとるんじゃろうな」


 夜の帳が下り、空は闇の色で彩られている。

 空に溶け込むかの如く、漆黒のローブで身を固めたベルンハルトは宙に浮きながら、眼下にあるツェルクト家の屋敷を冷めた瞳で見下ろしていた。

 その頭上にはうさぎ(のぬいぐるみ)の姿をしたイシドールが器用に乗っかっている。

 不気味な姿の骨の化け物とうさぎのぬいぐるみという組み合わせはある意味、滑稽ですらある。


「どうじゃ? 屋敷の者は全て、黒かのう?」

「半数は黒だな。孫娘は完全に白で間違いないな。この娘が跡を継げるようにすれば、問題なかろう?使用人は悪事を知りつつも傍観していた灰色とでも言おうか。止められるのに止めなかったのは罪と言えば、罪だが……お主、どう思う?」

「使用人は許してやるべきかのう。じゃが、従士は真っ黒じゃろう?」

「ああ、知っていて止めるどころか、喜んで加担しとるようなクズどもだな」

「ふむ。弱い者を守るどころか、虐げることに喜びを感じるとはいやはや、救いようがないのう。ひっひっひっ、殺し甲斐がありそうな奴らじゃて」

「貴様もいい趣味をしておるな」

「お主とて、同じようなものじゃぞ、ひっひっひっ」


 ベルンハルトがしようとしていることを察したイシドールはバツ印の口を器用に歪ませて、笑おうとしているのだが傍目には不気味の一言で片づけられるものだ。

 地上に音も無く降り立った一人と一羽はまず、手始めに守衛二人を血祭りにあげることに決めた。


「こやつらも黒かのう?」

「黒だな。こいつらは真っ黒だ。率先して、斡旋までしてるな。これは弁護しようがないぞ、ふっははは」


 カッコつけて、二本足で立ちあがり、胸を反らしてみても見た目はうさぎである。

 あまり、カッコいい訳ではないのだが本人は全く、気付いていない。

 言わずが花というものだろう。


「ふむ、では遠慮なく、逝ってもらうとするかのう」


 スッと音も無く、動き出したベルンハルトは手にしていた杖を振り上げる。

 杖の先から禍々しい紫色の炎が噴出し始めたかと思うと未だ、怪異な一人と一羽の接近に気付かない間抜けな守衛へと向かっていった。


「冥界の炎は生者には毒じゃからのう。何、礼はいらんぞ。たくさん、喰らうとよい」


 紫色の炎は守衛の身体を燃やし尽くそうと覆い尽くし、耳や鼻、目から体内へと侵入しようとする。

 守衛二人は断末魔の悲鳴を上げる暇すら与えられず、見る見るその肌は乾燥していき崩れ落ち、肉や骨が露出していく。

 やがて目からは眼球が片方零れ落ち、肉も削げて人とはかけ離れた存在となった守衛だったモノどもはところどころが欠けてバランスが悪くなった体を引きずるようにしながら、館の中に向かっていった。

 ベルンハルトは眼窩で揺らめく炎で満足そうに見つめている。


「イシドール、孫娘と使用人、それに黒ではない者を頼むのじゃ」

「うむ。わしに任せておくがいい。我が結界魔法は最強ぞ?」


 ベルンハルトは『お主の孫娘も大概じゃがのう』と危うく、本音が出かけ、慌てて口を噤む。

 変なところで子供っぽさが抜けていないイシドールを挑発すると面倒では済まないのが分かっているからだ。


「さて、あの程度のモノ二匹では役に立たんじゃろうな。どれ、もう少し、骨のある奴で遊ぶとするかのう」


 次の標的を守衛だったモノを軽く倒した甲冑を着込んだ騎士に決めたベルンハルトは肉の無い骨だけの顔で『かっかっかっ』と邪な笑みを浮かべていた。


 🦴 🦴 🦴


 まさに地獄絵図そのものと言うべき惨状が屋敷の中で繰り広げられていた。

 つい先程まで談笑していた仲間に首筋を噛みちぎられ、血を噴出しながら死んでいく者。

 仲間だったモノたちに取り囲まれ、手足を引き千切られた挙句、全身を食い散らかされて死んでいく者。

 生きている者も既に死んでいる者もまともでいる者がいない。


「リリーが言っておったかのう。浅ましい思いの者はそれにふさわしい姿になると。まさしく、その通りになっておるようじゃな」


 ベルンハルトは血みどろの肉塊が転がっている廊下をまるで意に介さず、音も無くフワフワと浮かびながら、一室を目指していた。

 その動きが止まった。

 目当ての部屋に辿り着いたのだ。


「アンドレイ・ツェルクト子爵はこちらにおわすな、かっかっかっ」


 ベルンハルトは手も使わず、扉を開けると床に這いつくばって、身動きすら出来ない男を見つけ、人であれば、にたあと笑っているであろう表情を頭蓋骨に浮かべた。

 アンドレイはやや白髪混じりの髪をオールバックにまとめ、出っ張った腹をしている。

 不摂生の限りを尽くした悪徳貴族そのものといった容姿になっているが若かりし頃、それなりに美丈夫であった面影が僅かながらに残っているようだ。


「わ、わしは知らん……わしは知らん」


 普段の暴君のような専横振りが鳴りを潜め、借りてきた猫よりもおとなしくなっているこの男が事件の元凶だ。


「こことは違う世界に因果応報という言葉があるそうじゃ。分かるかのう? お主がしてきたことがお主に返ってきた、それだけのことじゃよ」


 異形の化け物であるローブを着込んだ骨に睨みつけられた男アンドレイは怯えにより、一言も発せられないまま、土気色になった顔色のまま、ブツブツと意味の分からない単語を発していた。

 あまりの恐怖に狂ってしまったのだ。

 自らの罪を認めることなく、逃げてしまったとも言えるだろう。


「ふむ、つまらんのう。救いようがない悪党のくせして、この程度で狂うとはのう。つまらん。実につまらんのう。まあ、お主のような奴にふさわしい最期をプレゼントしてやるからのう。何、礼はいらんぞ」


 ベルンハルトがツェルクトの頭上に杖を振り上げるとそこにいたのは人ではなく、立派な服装を着込んだふくよかな豚だった。


「かっかっかっ、お主のような悪党でも最後には人に報いることが出来てよかったのう。おお、すまんかったのう。人ではないモノじゃったか」


 血と肉に飢えた人でなくなったモノたちが徘徊する屋敷で怯え、震えて動かない豚の運命などもう、決まったようなものだ。


 🐰 🐰 🐰


 それから、暫くして、アンドレイ・ツェルクト子爵の病死と唯一の縁者であるコレット・ツェルクト令嬢が跡を継ぐことが発表された。

 前子爵は暴君といってもいいくらい、横暴で傲慢な貴族であり、領民から恐れられることはあっても慕われることはないまま、命を終えた。


 新たに子爵となった元令嬢コレットは両親を亡くした後、冒険者を生業としてたくましく生きてきたこともあり、貴族でありながらも民に近い立ち位置で物事を考えられる少女だった。

 彼女が領民に慕われる名君となるのはそう遠い日のことではないかもしれない。

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