第523話 月を封じる石棺へ(後編)

 そのデバイスについて、シロイルカから「他人の脳を少し操る装置」という説明を受けていたので、科学知識に疎いマリーはてっきり「ハッキングして同期シンクロするもの」と想像し、ハッキング相手の視界や触覚や感情が流れ込んでくるものだと身構えたが、そんなことはなかった。

 「操る」と言っても、このデバイスは双方向ではないのである。

 もし双方向を実現する場合、遠隔地から誰かの脳の活動(電気信号)を受信する必要があるわけだが、それはもう魔法テレパシーと呼ぶべきものでありSFではない――というのをマリーは分からなかったのだ。この宇宙には避けようのない電波ざつおん「宇宙背景放射」が満ちており、頭にセンサーをつけて増幅するか、額を密着させるか、完全な防電磁室に二人っきりで籠るかでもしないと、相手の脳内こころを感受することはできないのだ。


 かくいうわけで ――筆者もファンであるから心苦しいところだが―― この作品の中ではガンダムの「ニュータイプ」をSFと認めることはできない。できないが、デバイスの助けを借りるなら一方通行の発信することならできるだろう。

 そう、それである。このシロイルカのデバイスは自分の脳をにするものであったのだ。


――――――


『さぁ、早くこれに着替えて…!』

 そのラプトリアンの研究員の女は、まるで敗北直前の戦国武将かレジスタンス運動家のように目を爛々らんらんとさせて白衣を差し出した。一切の迷いがない猪突猛進、集中力が行き過ぎて危ない顔つきである。それがデバイスの効果かは分からないが、少なくとも行動しているように見えた。

『あ…ええ…』

 マリーは驚きつつも自らを縛り付けていた車椅子から立ち上がり、言われるままに白衣に着替えた。最小限の変装だが今は夜中、しばらくはピラミッドの中を怪しまれずに動き回れるだろう。

 と、研究員の女は続けた。

『私はコントロールルームに行く。うまく行けば石棺(次元跳躍孔を封じている部屋)の扉を開けられるはず…! アナタは猿人間を助けたあと、そのまま最上階へ向かって…!!』

『あ…え、ええ…』

 マリーはデバイスがうまく機能した喜びよりも、その効果に愕然とするばかりだった。てっきり自分の「隔離室ここから私を出せ」という思考を受信した人間が、虚ろな目のゾンビのようになって現れるものと思っていた。しかし実際に現れたのは、死に急ぐ若武者のような覇気を帯びた人間だったのだ。


――思っていたのと違う…。

――洗脳効果コントロールではないのか?


 マリーは不気味さを感じつつ白衣に着替え終え、デバイスをそのポケットにしまった。そして

『さぁ…!急いで…!』

 その研究員に言われるままに隔離室を出ようとしたが、そこでたまらず振り返って

『どうして私と猿人間を助けるの?』

 それは聞いてはいけないことだった。これがもし催眠術ならばその術が解けてしまうかもしれないし、やはり洗脳の一種なら精神にダメージを与えてしまうかもしれない。

『……』

 その通りだった。やはり研究員はマリーに訊ねられるや否や硬直した。「あれ、私はいったい何をしているんだろう…」という顔で固まってしまったのである。

『いえ、いいの!何でもないわ』

 マリーは「まずい」とばかりに会話を打ち切ろうとしたが、次の研究員の返答に耳を疑った。

『アナタが拘留されているのを不満に思っていたのよ。すでに心配が無いと分かっているウィルスを口実に隔離室に閉じ込めているのは、くだらないスパイ疑惑があるからでしょう?』

『ええ…!』

『それに猿人間を向こうの世界に返せば、和平の可能性だって見えてくるはず…。捕虜の交換でエラキ曹長とリピア少尉が解放されるかもしれない。軍人の好戦が事態を歪ませている…そう思って行動に出たの。 さぁ行って…!』

『わ、わかったわ。 待って! あなたの名前は?』

『ファロよ』


――――――


 マリーが最後に名前を聞いたのは、ファロという名をしたこのラプトリアンを助けてやるためである。シロイルカの予定通りならエラキとリピアを奪還できるので、彼らを手土産にして「テロリスト」として断罪されることになるだろうファロを弁護してやるのだ。そう、もしデバイスが予定通り「操る」機能だったならば罪はマリー一人に被さっただろうが、厄介なことにファロは今、自分の意志で反逆テロ行為に及んだものと思い込んでいたからである。

『これは…悪魔の機械だわ…』

 我々は「自分の言動の前には自分の意識があるはずだ」と思い込んでいるが、実際はそうではなく、先に無意識の言動が生じのだ――という話を聞いたことがある。もしこれが本当なら、デバイスにより脳の無意識の部分を刺激され「マリーを解放する」という行動を起こしたファロは、事後処理的にその行動が自分自身の意識によるものだったと感じているのかもしれない。整合性をとろうとした脳は適当な主張「軍人の独断が許せなった」をでっち上げると、その主張は瞬く間にファロの中で事実「自分は昔からそう思っていた」に変わったのだろう……いや、まさか…!?


――まさか。

――シロイルカは私にも使


 そう気づいたマリーは激しい眩暈に襲われた。

 それは久しぶりに走ったからではない。この人の尊厳を踏みにじるデバイスと、それを生み出した海底人とやらに吐き気を覚えたからだ。やはり未来と過去をループしているという知的生物は正常ではない……!

『絶対に消さなければいけないわ。歴史から…』


 そう決意を新たにして、マリーはゴールデンスキンの隔離室へ急いだ。

 核爆発にも耐える人工ピラミッドの、分厚いコンクリート造りの仄暗いトンネルは足音すら響かず、意識を強く持たねば夢と現実の境界が崩壊してしまいそうだった。

『ハァハァ…! なめるんじゃあないわよ。 ハァハァ…! 私は…私の意志で…行動している!』

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