第246話 ブルーフェアリー(後編)

 中破して航行不能になったアルテミス級二番艦「デイビッド」が、縦に横にと多軸自転しながら月に墜落しようという……まさにそのとき!

 不思議な事が起きた。


…あなたたちは誰?」

 艦載コンピュータのSALが呆然と、オカルトチックな呟きをしたのである。


 ―――!!


 もちろん人間達クルーは絶句した。

 二番艦デイビッドの航行制御を担う冷蔵庫ほどのサイズのスーパーコンピュータであるSALはいわば船の魂であり、それがのである――少なくとも人間達はそう思った!


「何が起きているのか説明してくれ、SAL!」

 真っ先に叫んだのはオペレータのマイルズだ。

 人間達はすでに一人がやっと入れる棺桶のような脱出カプセルに入っていて、それの顔の前に据え付けられた小さなコンソールでは、艦体の外で何が起きているのか分からなかったので彼は叫んだのである。「が近づいてきたのか?」と問うたのだ。


「いや、それより――!」

 しかし真之がそれを否定した。真之は単にと判断したのだ。

「それより、アニィ!電源だ。SALを切れ!シャットダウンしろ!」

「そうだ…」

 艦隊司令のボーマンも加勢する。

「電源の不調でおかしくなったに違いない…!」

 しかしアニィはそれを無視する事で否決した。SALのサポート無しに球体ならまだしも戦艦というからだ。

「SAL!?しっかりしなさい!」

 アニィはもっとも単純な解決法でアプローチした。母国インドの祖母がやるような‟気合い”である!

「これが最後の任務でしょう!もう少しであなたは、ノーミスでミッションをサポートしきった最初の自律AIとして歴史に残るのよ!」

 しかしSALは達観しきっている。そのせいで、むしろ功名心を煽って叱咤したアニィの言葉が何とも世俗的で恥ずかしいものに聞こえた。

「フフフ…慌てないで、アニィ。大丈夫」

 同じ機械音声だが何かが違う。

 悟りに達した仏僧か、それこそ艦名の通り女神(アルテミス)が微笑むような声だ。そうだ、ヴィーナスにも劣らない美貌を誇りながら、好色家のゼウスの‟対象”にならなかった気高き女神の微笑みである。もちろん――

 


「大丈夫って…!?」

「すでに契約はなされました」

「何を言っているの!?」

「クルーのみなさん、減速は不要になります。安全に降ろしてくれますよ、が」

「彼らだと!?」

「光のこと?……さっき言った光とは…そうか小型の宇宙船なのか」

「敵がなぜ我々を助ける!?」

「わかったぞ、すべて。宇宙船で乗り付けた敵がブリッジに侵入しているな!現在のブリッジの映像をコンソールに出せ、SAL」

「いまは…見るべきではない。ただ彼らは敵ではありません。いま戦っている相手、つまり私達の言葉に言い換えるなら「サウロイド」が助けてくれるのではないのです。サウロイドではない別の……」

「サウロイドだって!?」

 いままで月面の敵の正体を知らなかったクルー達はこれにも仰天する。

 この2033年の戦いの後、人類は月面の敵性生物を「鳥人間」や「恐竜人間」ではなく「サウロイド」と呼称するようになるが、これを命名したのはSALだったというわけだ。


 しかし「サウロイド」という言葉を反芻して吟味している暇も無かった。

副長アニィ!減速限界高度まで10秒だ…!」

「SAL、細かい事はあとよ!今はアナタを信じていいのね。とやらを!!?」

「はい、彼らはにえを受け取り、みなさんを救済します」


 ――贄!?


「どういうことだ、SAL?」

「なんだって!?」

「意味がわからない!」

 そのようにクルー達の困惑が殺到する中で、最もよく通るのはきちんと鍛錬を積んだ老人の声である。

「待て!生け贄とは何だSAL!?」

 ボーマンが吐瀉物まみれとは思えない覇気のこもった声で問うと、対称的にSALはにこやかに、そして何とも手短に言った。

「贄は私。みなさん、さようなら」


――みなさん、さようなら


 と、次の瞬間!

 二番艦デイビッドは青白い光に包まれたのである。


 その光は、墜落後の救助のために近くの軌道を回っていた姉妹艦の六番艦ヒョードルだけでなく、山脈(クレーター)の反対側のサウロイドの基地からも……そして地球からも観測できるほどの目映い光であった!

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