第241話 ゲーム・オブ・ムーンベース(前編)

『危なかった。奴らの鉄片投射器アサルトライフルは厄介極まりないからな…』

 エラキは揚月隊じんるいのM-3小隊の奇襲を逃げ延びた。 

 勝手知ったるB棟ラビリンスの廊下を二回も折れたうえに、天井の鉄格子(この鉄格子は地下2階の天井であると同時に地下1階の床でもある)を押し上げて階上へ移動したので追っ手は彼の姿を完全に見失っているはずだ。


『しかし鉄片たまの貫通力はさして無い…。Tecアーマーならそうそう負けないはずだが、なぜこんなに敵の侵入を許しているのだ?機甲兵どもめ…』

 月面そとで水際作戦を展開しているはずの装甲機兵に不平しながら、彼は体格からは想像できない軽やかな忍び足でササッとさらにその場を移動すると、隣の区画にあるを目指した。

 もちろん電話で、敵の状況を司令部に共有するためだった。

 基地の中では、その中枢に封印されている次元跳躍孔ホールの影響で、よほど強力な電波でなければ無線の通信が出来ないので電話を用いるしかないのである。



 ――――――


 砲術士官が去ってガランとしてしまった司令室だが、静まりかえるという事はなく、むしろ電話はひっきりなしに掛かってきた。

 キュキュキュン!

 人類の電話が「ジリリリン!」だとすると、サウロイド達の電話の音は陶器を布で磨くような高い音であった。

『いや、私が出ます』

 司令室付きのオペレータは3名しかおらず電話番は回しきれなかったので、時には司令のレオが自ら電話を受ける必要があった。だが、そのおかげでエラキの電話報告をレオが直接受ける事ができたため話が早い。


『おお、無事でしたか。…はい。なるほど了解です、歩兵長。場所はB-32……2階ですね。大丈夫です。あなたは遊撃を続けて、ともかく着実に頭数を減らしてください。主要部分はこちらで守りを固めます』

 ガチャン!

 椅子に腰掛けずに中腰のまま応対したレオは、ごく手短に策を伝えて受話器を勢いよく置いた。そしてそのままデスクに座る事無く、むしろの前にしゃがみ込んだ。

 その紙とは基地の見取り図であり、それが今やゲーム盤になっているようだ。

 というのも、その見取り図の上にはサイコロ大に切られて紫と緑に塗り分けられたとして無数に並べられていたからだ。

 それが何を意味するかは一目瞭然だ。紫が敵で、緑が味方を示すという事だろう。


『2階。Bの32に紫を3つ』

『はい』

 基本的には戦闘要員として駆り出されてしまった砲術士官達だが、そのうち予備として安全な司令部に残ることを許された幸運な一人であるユノ中尉は、レオのお手伝いとして駒を動かす役目を担っていた。

『そしてエラキはさらに散開させました。とりあえず緑を1階B-40に』

『了解』

 ユノ中尉は腕をいっぱいに伸ばして、レオの指示の通りに駒を移動させながら言った。

『さすがの歩兵長でも大丈夫でしょうか…』

 中尉がそう言うのもゲーム盤を見れば頷ける。

 駒が示すところでは、エラキが移動した先には紫の駒が屯していたからだ。紫の駒(つまり敵)が移動していない事はないだろうが、会敵する確率は高いだろう。

『やってもらうしかありません』

『最期に頼れるのは……』

 役割を終えた砲術士官長代理のザラは他人事のような口調である。

『ジュラ紀から変わらず、獣脚類のコンバットスキルですね』

 それをレオは無視して、床の見取り図を絵画でも見るように仁王立ちで見つめた。

『……』

 人類で言うと顎を摩るようなポーズに相当する、サウロイド独特の肩に顎を乗せる熟考のポーズで静止するレオに、恐る恐る声をかけたのはユノ中尉である。

『B棟はちますね…』

 見取り図で見れば一目瞭然だ、B棟は紫の消しゴム片(てきのコマ)で埋まっている。まるで古い家のパッキンの間を突破した蟻が台所に侵入してくるように、無防備なB棟のエアロックが破られて、そこから敵が流入している様子が床に広げた見取り図には如実に示されていた。

『ええ…しかし、これでよいのです』

『え?と、いいますと?』

『B棟が大きな迷路の役割をしてくれているからです。スタッフの宿舎であるB棟は、今は切り捨てても構わない』

『あ…!』

 この瞬間、ユノ中尉はようやく全てを理解するとともに驚嘆した。

『まさか……?』

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