新しいマネージャー

 本宮は音楽の授業中、姿を見せることはなかった。

 五時間目に遅れてきた本宮に古典の教師は何も言わなかった。

「あの子ぜったいにおかしい! 先生たちも何も注意しないし、えこひいきだわ!」

 みかるは自分が普段怒られているからか、本宮のことはひいきされているようにしか見えないようだった。

「何か事情があるのかもしれないぞ」

「わかった。金よ。金が動いてるんだわ」

 その日の部活の帰りにみかるが言い出したのはそれだった。

「はぁ?」

「本宮亜紀に家ってお金持ちなんでしょう? 家にお手伝いさんもいるようだし。きっと賄賂か何かを先生たちに贈ってるのよ。どう? 私の推理、いい線いってない?」

「そうは思わないけどな。本宮は、外国から来たわけだし、先生たちも気を使ってるだけだよ」

「そうかなぁ……」

 みかるは納得できずに首をかしげた。


 次の日の一時間目も、ほとんど昨日と変わらずに亜紀をやたらに教師がほめるという内容に終わった。

 二時間目はパソコン室に移動だった。

「うぎゃー。次、岡野先生じゃん。日直はプリントとりに行かなくちゃならないんだよねー」

「あれ、

「当番的には本宮さんが日直なんだよね」

「転校生だからって甘やかす必要はないでしょ」

「そうよ。全っ然ないわ」

 みかるが力をこめて賛同した。

 みかるの友だち門脇栄子が代表して本宮に話しかけた。

「本宮さん。今日あなた、日直なのね」

 栄子を見て本宮が聞いた。

「何をするの?」

「日直は、休み時間に次の授業の先生のところに行って先生の手伝いをするのよ」

「そう。わかった」

 本宮はうなずいた。


 蓮が廊下を歩いていると、三階に上がる階段の上のほうに亜紀を見つけた。プリントを運んでいる。

 日直は二人で担当するものなのに、本宮は一人で運んでいた。女子たちは教えてやらなかったらしい。

「ちょっと、じゃま」

 階段の踊り場にたまっていた六人の女子の一人が本宮にぶつかった。偶然にしては、当たり方が強すぎた。本宮は体のバランスを崩して、彼女の手の間をプリントが落ちていく。蓮の足もとにも一枚二枚飛んできた。

「やだ、どんくさ」

 女子たちがクスクスと笑い声を上げた。

 本宮は、というと、その声を無視して落としたプリントを一枚一枚拾い始めていた。

 それを見た女子たちはさらに高い笑い声を上げて、階段を上がって行った。

(ほっとけよ)

誰かが言った。

声に従わず、蓮は手伝おうと、前に出た。

 その時、プリントの一枚を彼女が踏みつけた。くしゃりと音がするのをのんびり聞いている暇もなかった。足が滑って亜紀は体が後ろに倒れていく。

「あ」

 蓮の上に少女が落っこちてきた。胸に来た少女の重みとともに、蓮は後ろに傾いていった。足は完全に階段から離れた。

 衝撃を待つ間が、妙に長いと蓮は感じた。

頭のどこかで授業の始まりを告げるチャイムの音が聞こえていた。

 そのチャイム音に かぶさるように別の音が聞こえ出した。蓮は別のものを見ていた。


 どこかの広い花園。湖。洞窟。宮廷。

 場所は次々に変わった。

 竪琴の音が聴こえる。そして、なめらかな女性の歌声。いつまでも聴いていたくなるようなやさしい声だった。……


 歌声が遠のいていくのと、同時に蓮は目を開けた。

 本宮は間近から蓮を見つめていた。

「あのー…」

 声をかけると、少女は我に返ったように、腰をあげて蓮から離れた。その動作の最中に本宮が小さくつぶやいた。

(……にてる)

「え?」

 蓮が聞くと、本宮は蓮が今そこにいたのに気付いたように驚いて、手で口を押さえた。

「私、何か言ったかしら?」

「え、いや……」

「ごめんなさい。あなたはこの前の…食堂のときの人よね」

 蓮はまばたきをして転校生を見ていた。わずかに感動していたためだった。本宮亜紀は他人にあまり関心がないようだから、自分のことも覚えていないと思っていたからかもしれない。

「ああ、同じクラスの九条蓮だよ。このプリント全部持ってくの大変だろ? 手伝うよ」

散らばったプリントを拾い集めながら、蓮には聞いてみたいことがあったのを思い出した。

「そういえばさ。本宮って、妹とかいるの?」

「いないわ。どうして?」

「……あ、そうならいいんだけど」

 会話はそれきりだった。しかし、なんとなく、本宮の視線が自分の背中に当たっているのを蓮はなんとなしに感じていた。


パソコン室では、授業も始まっていて、亜紀とクラス中の視線を浴びながら教室に入った。

「遅いじゃない。何やってたの?」

 席に着こうとしたところで、みかるが頬杖をついたかっこうで聞いた。

「いや、本宮がプリントを階段にぶちまけててさ。拾うのを手伝ってたんだよ」

「…ふ~ん」

みかるはこつこつと机を指で叩いた。


その日、掃除当番で遅れて、部活に出た。コートへ出ると、声をだして練習をしている。いつもより部員の気合が入っている。

 準備運動などをそれぞれしている。

「これはどうしたんだ、部長」

 蓮は、他の部員と同じく、準備運動をしている部長に尋ねた。

「知らないのか? 新しいマネージャーが入ったんだよ。美人の」

「知らない」

「同じクラスだって聞いたけどなぁ。イギリスから来たんだって? あの子」

 部長の見る先にいたのは、やわらかい肩にまでのびる髪をした本宮亜紀だった。

「こちらが、今日から我が部のマネージャーとなる本宮亜紀さんだ」

「よろしく」

 小さく頭を下げて亜紀が一言挨拶する。髪がふんわりと揺れた。

 横の部長の顔がにやけている。

「マネージャーが美人だと足も軽いぜ」

 二年の男子、久保田が嬉しそうに言った。


生徒が部活の後によく使う水道がある。体育館前にある水道。

女子テニス部の練習を終えて、汗を落としにきたみかるは、水道で顔を洗い始めた。

一番端の蛇口では、女子が部活で使ったらしいジャグをすすいでいた。

亜紀を見たみかるは動きを止めた。

「あの子が、男テの新しいマネージャー?」

「えー? なんで?」

 ジャグを洗い終えた亜紀は、歩き去った。

 残されたみかるは、ぬれた顔のまま亜紀の背中を目だけで追っていた。


 その帰り、みかるがすかさず本宮亜紀の話題を出した。

「本宮さん、新しいマネージャーになったんだってね」

 みかるがどことなく不満げに言った。

「ああ、俺も驚いたよ」

「それで、あたしは確信したわ。あの子やーっぱりおかしい! あたしのときはマネージャーを断ったくせになんであの子はいいわけ? 納得いかない! 他のマネージャーに変な薬でも飲ませたのかしら。それか賄賂ね」

「……まだ賄賂だと思ってんのか」

「お金は人を貪欲にするものなのよ」

 つい最近、小遣いが少ないのを嘆いていたみかるが、事も無げに言った。


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