幼なじみ、みかる

 蓮は夢を見ていた。

 自分の意識がどこにあるのかもわからない状態だったが、その世界は現実とはかけ離れすぎているために、蓮にはそれが夢だとわかっていた。

音のない世界だった。自分がどこにいるのかもわからなかった。世界ごとが蓮の意識になっていた。

 蓮は自分が眠っているのだと知ると、同時にこれは、前にも見た夢と同じだと思った。世界は、何度も色を変え、模様を変えた。時には渦巻になり霧になり、ピンクになり緑になった。  

 そして、いつも最後には必ず暗くなった。一面が真っ暗で、星の見えない夜空のようだった。  

 いつのまにか、意識としてあった蓮は、九条蓮になっていた。

 世界と同一になっていたはずが、人間の九条蓮として、暗闇の中にひとりで取り残されている。ここに来ると、きまっていたように蓮は背筋のぞっとする恐怖を感じた。

 なにもない。だれもいない。

 それは、絶対の孤独の夢だった。




「れーんっ、おっはよー!」

 安心できる声がして、蓮は目を開けた。

 蓮は自室のベッドの上にいた。

「……みかるか」

「あったりまえじゃん。かわいいイトコがこうして起こしに来てんのよ。おきておきて」

 蓮の視界でさわがしそうに茶髪の髪がゆれる。幼なじみの少女、大道寺みかるを見た蓮は、心の中でほっと息をついた。

「勝手に部屋に入るなよ。俺にだって、プライバシーってものがあるんだ」

 蓮が言うと、部屋を出ようとしていたみかるが振り向いた。同時にみかるの短いスカートがくるりと回る。

「そんなこと言われてもねぇー。小さいころからの習慣てのは、なかなかぬけないものなのよ」

 みかると蓮はいとこ同士で、学年も同じで、住む家も近所なために子どものころから家の行き来を自由にしていた。もちろん部屋も同様で、時間に関係なく、部屋に入っていくのは子どものころからだった。もっとも、中学生になってからは、みかるの部屋に行くのは遠慮するようにしているのだが、みかるの方は遠慮の「え」の字も頭にないようで、こうして、蓮の部屋に入ってくる。

「今日は、部活の合宿の話し合いがあるのよねー。あーやだなぁ、合宿」

「おまえはうれしいんじゃないのか? 夏休みどこも連れてってもらえないんだし」

「だって、一日中テニスしてなきゃならないのよ? 日焼けしたくないのに、い~や~っ」

 それぞれ蓮は男子テニス部、みかるは女子テニス部に所属している。

 蓮がテニス部に入ると聞いた時、みかるはマネージャーに志願した。だが、そのときの三年は、

『最近、九条くんが目当てで入ってくる子多いのよねー』

『もううちは人数足りてるから』

 と、断られたのだった。その結果、みかるは、合宿で男子と合同練習のある女子テニス部に入部したのであった。


 学校まではバスで七分。

 吊皮がぶらぶらとゆれるバスの中、二人は、出口近くに立っていた。

「いい? ついたらバスから飛び降りて走るのよ」

 蓮の隣りでは、みかるがかなり無茶なことを言いだしていた。

「危ないだろ。飛び降りたら」

 蓮は冷静にみかるを止めようとした。

 みかるはブンブンと頭を振った。

「それじゃだめなの。あいつは、バスの開いた瞬間からねらってるんだから」

 バスが曲がり角にきて大きく傾いだ。

 手すりをつかんだ蓮は、吊革につかまって大きく揺れているみかるの方を向いた。

「…俺はやらないからな。みかるは去年それやって膝から落ちてなかったか?」

「去年の痛みなんて忘れたわよ。ふふん」

「……いばるなよ」

 次の停留所の名まえが呼びあげられる。

 蓮が降車ボタンを押した。ピンポンと軽快な音が鳴って、バス内のボタンが赤く光った。


 バスの扉が開いた途端に、無数のフラッシュがたかれた。

「出たわね」

 みかるは蓮の前に飛び出して、蓮を光からかばった。

「うっわー。今ので大分、枚数無駄にしたぞ」

 持っていたデジタルカメラをおろして、男子生徒は不満そうな声をあげた。そこにステップを飛び降りたみかるがカメラをとりあげた。

「あ、カメラ…」

「朝っぱらからこっちはいい迷惑なのよ」

 強い調子でみかるが言った。

 その後ろからのんびりと降りてきた蓮を見て、富田がこりゃまいったと言わんばかりに笑ってみせた。

 みかるにカメラをとりあげられたのは写真部部長の富田。蓮とみかるとは中学が同じで、クラスメートだった。

「今日という今日は一枚たりとも撮らせないからねっ!」

 勇ましくみかるが言った。

「よくやるな、みかるも」

 蓮はなかば感心しながら言った。

 写真部は、盗撮集団になりつつある部活だ。現在は、部長である二年の富田公彦によってまとめられている。

もともとは、部費でまかなえない高級機材を買うために隠し取りをした写真を売りはじめたらしいのだが、なぜかここ二年にわたってそれが続いているらしい。時々ふいうちで、こうして写真を撮るために学生を待ち伏せしている。

「いやあ、九条。高校テニスの全国個人戦で優勝したんだってなー、おめでと。あ、大道寺カメラ返して」

「いや」

 先を歩くみかるが言った。

「おれも陰ながら応援してたからうれしいよ。これで、おれっちの写真の売れ行きも伸びるってもんよ。あ、大道寺カメラ返して」

「いや」

 頑なにみかるが言った。

「蓮の実力なら優勝くらい当たり前よ。ねっ、蓮?」

「去年はベスト8にも入れなかったけどな」

「そういうこともあるわ……、? 何この写真」

 みかるは蓮と富田にカメラの保存画像を見せた。

「ん? まて、大道寺。写真の枚数表示が一分の一になってるんだが」

「うん。変な写真は全部消しておいたわ。それより、この写真は何なのよー」

 ノーッ! 

 富田がムンク状態になって悲鳴を上げた。

その横で、蓮は写真釘付けになっていた。写っているのが自分だということは一目で分かる。そして、となりにはシルバーグレーの車が写っている。明らかに一昨日の写真だとわかる。ただ、その写真にはおかしな点があった。車の窓から顔を見せているのは……。

「ねぇ、蓮、なにこの車! なにこの男!」

 みかるが問いただす横で、蓮は画像に見入っていた。

 昨日の男は、銀髪だった。初めて会った時も、帰る時も。それなのに、この画像では、髪色は黒かった。

「ちょっと、蓮! 聞いてる?」

 みかるに言われて、蓮は顔を少ししかめた。

「聞いてないけど、なんとなく分かるって。だから、耳元で大声出すのはやめろよ」

 蓮は富田にカメラを返しながら、

「一昨日、女の子が川に落ちたのを助けようとして、…じぶんも溺れかけてこの人に助けてもらったんだよ」

 と、説明する。

「ふーん? それで大丈夫だったの? テニスに支障が出たらどうするのよ」

 みかるが飛びつくように言った。

「女の子も俺もどこも怪我しなかったし、平気だったよ」

「よく助かったなぁ。昨日って言ったら、急な川の増水で九人くらい亡くなってるらしいじゃん」

「そうだな」

 たしかによく考えてみたらそうだった。「運がよかったのかもな」

 蓮はそう答えておいた。

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