『天ぷら』なるもの

谷澤 頼

『天ぷら』なるもの

「はいこれ、ビール!」


よっ、と言って一人の青年がビール缶を投げた。もう一人の青年はそれを慌ててキャッチする。ここは大学の敷地内。時刻は夕方の五時。季節柄、陽が傾き始めたキャンパスは赤く染まって美しい。二人の青年はきれいな夕陽が眺められるベンチに座って、ビールを飲もうとしていた。研究の成功を祝う目的である。


「言っとくけど、僕たちの研究はこれからが…」

「まあまあ、いいじゃんか!この年齢で大学から賞をもらえるなんて、滅多にあるもんじゃないんだ。もっと嬉しがろうよ!」

「そうかなあ」

「そうだよ、とりあえず一区切りってことで。親友がビールまで買ってきてやったんだから」

「んーそうだね、今日くらいはいいか。」


親友のその言葉に、買ってきた本人はいたく満足したように笑った。


「えーそれでは!俺、茶々丸とポチの研究成功を祝して、乾杯!」



『茶々丸』『ポチ』とは中々人間には付けない名前なのでお気づきの方もいらっしゃるかもしれない。そう、これは人類が滅亡して何万年と経った地球の話である。



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数万年前、人類は滅亡した。人類が地球に残した傷は大きくなかなか癒えなかったが、それでも地球は活動を止めることなく、少しずつ傷ついた身体を癒していた。そんな中、新たに知能を発達させた動物がイヌであった。彼らは人類が地球に遺した文明を元に、イヌによる新たな文明を創り上げていったのである。

彼らの文明発達に人間の文明は大いに寄与した。そのため、人間に関する研究をする者達は多く、今夕陽を眺めながら酒を楽しんでいる茶々丸とポチもその一人である。二人の研究テーマは人間の食、主に彼らの住む島における食であった。彼らの研究はその島の研究に大きく貢献し、彼らは大学から賞を受賞したのである。まだ若い彼らが賞を受賞することは珍しく、茶々丸は大いに喜んだ。そして、今に至るのである。


たった一缶のビールをちびちびと飲みながら、二人は楽しく語り合っていた。もうあと数分で陽は沈み切ってしまうだろう頃合いにやっと残りを飲み干し、それぞれ帰路につこうとしたときである。


ジリリリリ


「ん?ポチ、こんな時間に電話か?」

「ああ、本当だ。誰だろう?」


ポチの電話が鳴り始めた。ポチがディスプレイを見るとそこには『教授』と示されていた。教授、とは二人の研究室の教授のことである。今回の受賞を我が事のように喜んでくれ、二人がここに来る前別れたばかりだったのだが。


「あれ、教授だ。なんの用かな。」

「もしかしたら飯でも奢ってくれんじゃね?」


ふざける茶々丸を呆れた顔で見つめ、ポチは教授からの電話に出た。すると教授はポチからの応答も待たず勢いのままに話し始めた。


「ポチ君!ニュースは見たか、見てなかったら今すぐ見るんだ!茶々丸君もそこにいるなら一緒に見てくれ!」

「教授?いったいどうしたんです」

「急いでくれ!見たらすぐに研究室に来るんだ!」


そう言うと教授はブツリと電話を切ってしまった。あまりに急で、ポチは茫然としてしまう。


「ポチ、教授がどうかしたのか」

「えっと、なんかニュース見ろって。」


ニュース?と聞き返しながら茶々丸は自分の端末でニュースを調べた。するとまもなく驚いたような顔で、これを見ろ!とポチにまくし立てた。茶々丸が見せてきた端末には一つのニュースが表示されていた。題名は『宇宙人襲来!』。嘘のような見出しとともに、緑色の生物の後ろ姿が載っていた。


「今日の夕方宇宙人がやってきた、宇宙人は小型の機械を通じ我々の言語を話す、宇宙人の目的は侵略である…」


まるでフィクションのようで、思考が止まってしまう。ポチどうする?と茶々丸が尋ねたのでやっと端末から目を離し、「とりあえず教授のところへ行こう。研究室だ。」と言って二人で駆け出した。嘘か真かはそれから決めればいい。そう考えて走るポチだったが、心はいつになくざわついていた。



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二人がハアハアと肩で息をしながら研究室に着くと、教授は振り向いて焦った様子で二人に話しかけた。


「ポチ君茶々丸君、来てくれたか」

「教授、これ、どういうことですか!」


迫ってくる茶々丸を見て、まずは落ち着こう、と教授は二人に座るよう促した。座ったとて二人の興奮と息切れが止むわけではないが。


「二人とも、まずは単刀直入に言おう。あれはフェイクニュースなどの類ではない。本当のことだ。」


二人は息をのんだ。なぜ宇宙人が、どうしていきなり、聞きたいことは山ほどあったが、二人はそれをぐっとこらえて続きを待った。


「宇宙人が降りてきたのは今日の夕方、ここからほど近い山だ。警察がいち早く駆け付けると、宇宙人はこの星で最も権限のある者と話したいと言ったそうだ。ただ、そうすぐに会わせることはできないだろう?まずこの国の官僚が出ることになった。対応は早く、すでに話がついている状態だ。」


教授は事の顛末を簡潔に述べた。自分たちが酒を楽しんでいる間に随分なことがあったらしい。それでどうなったんですか、とポチは続きを促した。


「単刀直入に言う。君たちに依頼だ。この星を救ってくれ」

「…は?」


いや、どういう話の流れですかそれ。と茶々丸がツッコもうとすると、教授は「待ってくれ、話を聞いてくれ!」と言って立ち上がった。


「聞いてますから、どうぞ座って」とポチは冷静に対応する。教授は座りなおして一度ため息をついてからこう言った。


「ああすまない。えっとまあ、まずは話を聞きに行ってほしいんだ。」

「誰に」

「宇宙人に」

「…は?」


やはり教授はまだ…。ポチはそう判断した。



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「全く、教授も焦りすぎだよな。こういうことならさっさとそう言えばいいのにさ」


茶々丸はそう言って、悠々と足を組みながら紅茶をすすった。ここは車の中。それも普通の車ではない。政府が所有している超高級車、VIPを送迎する車だ。茶々丸はなぜか堂々としているが、ポチはそういう訳にはいかなかった。


「あの、こんな所まで車を出して頂かなくても、自分たちで行けるんですけど…」

「いえ、これから地球を救っていただく方ですから。」


運転手は淡泊に答えた。は、はいと言ってポチは縮こまる。場違いな気がして手をつけていなかった紅茶がもう冷めそうだった。ポチは今までのことをさっと回想した。


茶々丸と飲んでいたら教授から電話があって、ニュースを見たらとんでもないことになってて、教授の所へ行ってそれで…



「宇宙人は一つの条件を出してきている。それを達成できれば我々は助かるし、達成できなければ我々は死ぬ。」


地球の進退がかかっているのにあまりに簡単な話だが。と教授は付け加えた。


「もったいぶらないで教えてください。その条件とは何ですか」


静かな研究室に緊張が走る。茶々丸でさえ茶化さなかったその瞬間は、永遠のように感じられた。



「『天ぷら』なるものを作ることだ」





「天ぷらは人間の食べ物、特にこの島に住んでいた人間がよく食べてた。理由は分かんないけど、作らなきゃいけないってことでちょうどそういう研究をしてた俺たちに白羽の矢が立った。そういうことでしょ?」


茶々丸はあっけらかんとまとめた。彼は遠慮のえの字もなくお茶菓子に手を出し始めている。その包み紙は言わずと知れた高級店のもので、ポチは頭を抱えた。


「お前が遠慮しないのは前からだからいいとして、その適応力はなんだよ…」

「だって作らなきゃ俺たち死ぬんでしょ。作っても死ぬかもしれないけど、確定で死ぬよりマシじゃん」


宇宙人さんが優しい人でラッキーだったねーとやはり呑気な茶々丸に、ポチは全力のアッパーを打った。


そうこうしているうちに車は目的地に到着したようだ。運転手にドアを開けてもらって外に出ると、そこにそびえたつのは近代建築。もしかしなくても政府の所有する建物である。エントランスに入ると一人の女性がこちらを向いた。


「あの、もしかしてあなた方が…」

「日ノ丸大学で人間の食について研究しております、ポチと茶々丸です。」

「ええ、伺っております。十階にお通しするよう言われておりますので、どうぞこちらへ。」


豪勢な絨毯の上を歩いて、これまた豪勢なエレベーターで十階まで上がる。街を一望できる廊下を歩くと、大きな部屋の前で女性は足を止めた。


「こちらになります。なんといいますか、気張らなくても大丈夫ですよ」

「え?」

「…中にいらっしゃる方は、良い方だと思います。」


良い方って、仮にも侵略しに来た宇宙人だろ、ポチは内心そう呟き、怪訝な表情を浮かべた。茶々丸は、何それーと言って笑っている。普通いち学生を侵略者に会わせたりしないし、普通侵略者がいいやつだなんて思わない。宇宙人に会えばこの違和感の答えが分かるかもしれない。そうポチは思った。




茶々丸が、行くか?とアイコンタクトをとった。ポチはそれに頷く。ノックをしてドアノブに手をかける。ドアを開けるとそこには緑色の生き物が座っていた。どちらかというと自分たちより人間に近い見た目をしており、色は全体的に緑がかっている。


「失礼します、私は天ぷら作りを行うポチと申します。」


そう話すと、侵略者は小さな機械を手にして喋った。


「そうかそうか!本当にありがたいことだ。この老人のわがままを聞いてくれるなんて。」


二人は想像していたのと違う対応にびっくりして固まってしまった。侵略者とはもっと物々しい雰囲気で高圧的だろうと思っていたから。教授やここまで送ってきてくれた女性が平然としているのもよく分かるようだった。二人がその場に立ちすくんでいると、彼は口角を上げて喋った。


「そんなところで突っ立っていないで、そのソファに座りなさい。君たちは『天ぷら』について聞きに来たのだろう?」


ハッとして、二人は言われるがままソファに座った。良い部屋なだけあって座り心地も抜群だ。


「『天ぷら』なるものをご所望だとか。」

「その通りだ。」

「単刀直入に、なぜ?」


その質問に侵略者は嬉しそうな声色で答えた。


「その質問は何度聞かれても嬉しいものだ。この星に初めて来たときのことを思い出すからな。」


ポチは驚いた。どうやらこの侵略者は過去にもこの星に来たことがあるらしい。彼はポツポツと語り出した。


「この星の時間で言って一万年ほど前であろうか、私はこの星を発見した。我が星はそのころから資源を他の星に求めて宇宙を渡っていてね、ここもその過程で見つけたのだよ。」


侵略者は懐かしいといった顔をして頷いた。


「その時は星の発見だけが私の任務だったから、すぐ帰らなければならなかったんだ…が、なんとなく興味が湧いてね、私はこの星に降り立った。人目につかないようひっそりね。」


侵略者はほほ笑んで、依然として優しい声色で語った。侵略者は二人に構わず話し続ける。


「ただミスをしてしまった。たまたま一人の人間に見られてしまったのだよ。そこで、私は逆にその人間に接触を図ることにした。人間という生物は何を食べ、どのように過ごし、そしてどれくらいの時間で死ぬのか、情報はいくらあっても足りないからね。彼は非常によく答えてくれた。実際に食べ物もくれたよ。あれはうどんと言ったか、非常にうまかった。」


「そこで、天ぷらを食べたんですか?」


茶々丸が尋ねると、「いや、食べられなかった」と侵略者は答えた。


「どうして食べられなかったんですか?」

「その人間は料理が得意ではなかったらしい。うどんは出来合いのものがあったから出したが、天ぷらは出来立てじゃないとおいしくないから店に行かないと食べさせられないと。だがそのおいしさだけは語ってくれた。『さくさくとした衣が旨い』そうだ。」


二人は顔を見合わせた。一度も見たことのない食べ物に関する、重要な情報だ。茶々丸はメモを取り出し、簡単に書きつけた。


「あまり多くの人間に関わると私の存在がばれてしまう。だから私は、また来るからその時は天ぷらを食べさせてくれと彼に言った。しかし時の流れが違ったんだな。私が来た時には…この様子だ。」


侵略者はがくりと肩を落とした。二人はこの侵略者が侵略者だということも忘れ話に聞き入っており、黙っていると侵略者は「申し訳ないね」と笑って話を続ける。


「私はこの星のことを本部に報告してしまっている。今回来たのも侵略のためだ。けれど、同じ星に生まれた君たちなら天ぷらが作れるかもしれない。だからね、」


侵略者は身を乗り出したポチと茶々丸の顔を覗き込んだ。


「もし君たちが天ぷら作りに成功したなら、私は君たちに持っているすべての武器と知識を渡し、本部に虚偽の報告をするつもりだ。いつか私の嘘がバレるかもしれないが、私は死にかけの老人だし、君たちも与えた知識で対抗できるようになっているだろう。悪い賭けじゃないと思うんだが、どうかね?」

「成功の基準はなんです?」

「私が旨いと感じたかだ。理不尽に思うかもしれないが、我々の星に帰ったのちに研究したところ、この島に住んでいた人間と我々の味覚はほとんど変わらないようでな。本物が無い今、これが最も良い判定方法だろう。私がこの星を生かしておけるのは長くて数日。二日後の夕飯に天ぷらを持ってきてくれ。」


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「はあ…どうすればいいんだ…」

「大変なことになっちゃったねえ」


帰りの車の中、一人は頭を抱え一人は茶菓子を貪り食っていた。滅ぼして頂いて結構です、なんて言えるわけがないので、とりあえず二人は了承してきたが。


「死んだ…死んだ…無理…」

「まあ確かに、食について研究してるって言ってもまだ分からないことだらけだからねー。天ぷらなんて初めて聞いたし、かといって誰かが知ってる料理じゃなかったし。」


もし誰かが知ってたら押し付けられたのに、といって茶々丸はポチを見た。茶々丸とて事の重大性を認識しているし、内心まずいことになったと思っている。しかしすでに自信を無くしている親友を見ていると、軽口でもたたかないとやっていられないのだった。


「とりあえず、やってみようぜ。どこから答えが見つかるかもわからないだろ。」

「そうだよな、そうだよな…」


それから研究室に着くまでの間、ポチはしきりに「そうだよな、そうだよな」と呟いていた。

研究室に着いた二人は教授と会って事の顛末を説明し、解散することになった。今のところ参考になるような資料もないので、徹夜してまでできることはないと判断したのだ。教授はその間に集められるだけの文献を用意してくれるらしい。良い先生を持ったと感じながら、二人はそれぞれ家へ帰るのだった。




次の日、二人は研究室に集まった。茶々丸は普段通りの気分であったが、ポチは昨晩よく眠れなかったらしい。目の下に隈をこさえてやってきたのだった。

研究室に入ると教授が「おはよう、よく眠れたかね」と声をかけてきた。茶々丸は「ばっちりです」と答えて、広い机に大量におかれた資料に目をやった。


「ああこれはね、天ぷらを作るための資料だよ。この土地の料理の作り方とか、人間の味付けとか、いろいろだ。」


天ぷらがどんなものか見当つかないからね、と言って教授はため息をつく。集まった膨大な数の資料から考えて、教授は一睡もしていないだろう。親身になって手伝ってくれることに二人は感謝した。



「人間の調理法は、茹でる、煮る、焼く、揚げる、炒める、蒸すなど様々あるけど、あの宇宙人の『さくさく』という表現から考えて、焼くか揚げるのどちらかだと思うんだ。」


椅子に座るとポチは言った。とにかく時間がないから絞れるだけ絞ろうというわけだ。


「それじゃ、俺は名前の方から考えてみようかな。例えば味噌汁は味噌の入った汁もの、みたいに、案外名前にヒントが隠されてるかも。こういうアプローチができないか、文献を漁ってみるよ。」


茶々丸は答えた。二人に時間がないことは明らかだった。なので、まず手分けして作業を始めることになった。茶々丸が食材の名前を、ポチが調理法を調べるのだ。



二人が分担作業を初めてまもなくのことである。コンコンコンコン、と部屋をノックする音が聞こえた。


「すみません、こちらポチさんと茶々丸さんのいらっしゃる研究室でしょうか。」


入ってきたのは、昨日部屋までポチ達を送ってくれた女性だった。


「宇宙人の方から伝言を預かってきたのですが…」


そう言った彼女の手には白い紙が握られていた。ポチが紙を受け取ると、彼女はそそくさと帰っていった。


「なんて書いてるの?」


茶々丸が尋ねると、ポチは教授と茶々丸の見えるように、机の上に紙を置いた。


『言い忘れていた。天ぷらの素材は様々らしい。だから人間の彼が特に話していたエビにすることにしよう。この生き物については手配してもらえるように頼んでおいた。青年たちよ、健闘を祈る。』



「これで、素材について考える手間は省けたな」


ポチは安堵したようにつぶやいた。素材を考えるのは途方もない手間であるから、また成功の確率が上がったといって間違いないだろう。しかし茶々丸はその言葉に対して「それだけじゃない」と言った。手には調理法の文献を持っている。


「素材に関係なく美味くなる調理法があるってことだ。これに全てがかかってる」


ポチは頷いた。素材を考える手間が省けても、自分の仕事はより重要なものになったらしいと分かった。


そこから数時間、教授を含めた三人は黙々と資料を調べ続けた。集まった資料は人間の味覚や食事方法など多岐にわたり、普通であれば一週間かかっても読み切れないほどの量である。それらを使って明日の夜までに『天ぷら』を作らねばならないのだから、彼らのハードワークっぷりが分かるだろう。ただ、例え胃に穴が開いたとしても地球が滅ぶより数段良いだろうが。


ゴーンゴーンと学校のチャイムが鳴る。時刻は十二時過ぎを指しており、集中しっぱなしだった三人は、気の逸れたその一瞬で猛烈な空腹感を感じた。


「教授、飯にしましょう…」


茶々丸はそう言って机にへたり込んだ。読んでいた文献がバサリと床に落ちる。苦笑した教授はそれらを拾いながら「今日は私が奢ってやろう」と言った。

食堂でお弁当を買った三人はすぐに研究室へ戻った。ポチが、ご飯を食べながら進捗を確認しましょうと言ったからである。抜け目のないやつだと茶々丸は思った。


「じゃあまず僕から。僕は今まで調理法について探っていたんだけど、『天ぷら』は揚げ物だと考えるべきだと思う。食材がエビの場合、焼いてもサクサクにはならないだろうから…。まあどういう下準備をしてから揚げたり焼いたりするかによっても変わると思うけどね。茶々丸は?」


「俺は名前のほうを探ってたけど、ちょっとアテが外れたかな。手掛かりになりそうな単語はなにも。あるとしたら『天ぷら』自体が調理法の名前っていう説?鍋に食材をいっぱい入れる料理のことを『お鍋』って言うらしいし」


とりあえず、こっちの路線で調べるのはいったん止めにするよ、と茶々丸は言った。教授はここの地域の言葉で「てんぷら」と書いてある遺物が無いか探しているらしく、こちらも特に成果は出ていないようだった。三人は各々唸りながら昼食のお弁当を食べ進め、午後の作業に取り掛かることになった。


今は個人で作業していても構わないが、試作することを考えると今日中にある程度の答えを出さなければいけない。午後もポチと茶々丸はそれぞれ調べものをしていた。あと大量のエビも届いた。

午前同様誰も喋らない沈黙の時間が続く。そして日ももうすぐ暮れてしまうという頃に、茶々丸がふと顔を上げて呟いた。


「宇宙人は『衣』がさくさくしてるって言ってた。まさか本当に着る物を食べているわけじゃないだろうし、これって何かが素材を包んでるってことじゃない?」


ポチは茶々丸のほうを見た。そして一言、「それだ」と言った。


「『何か』で包んだ素材を揚げたものが天ぷらということか、間違いない!」

「じゃあ今度はその何かが問題だよね。さくさくする何か。」

「硬いもの、か…」


その時突然、資料に埋もれていた教授がふふふと笑った。二人がそちらを見ると、教授は「ああ、気を散らしてしまってすまないね」と言った。手には人間時代から残っている自分たちの研究史料のかけらが握られている。


「これは文字の書かれた破片だよ。二人も知っている通り、自然に分解されない素材でできている。そこら中に落ちていて環境問題になっている。」


そう言って、教授はやわらかい表情でその破片を見つめた。


「しかしこういう遺物があったおかげで私たちの進化は速く、今回もこうして抗えていると考えると、ありがたいことだな。」



「…そうか、そういうことか!」


ポチは叫んだ。


「うわっ、いきなりどうしたポチ」

「分かったんだよ、天ぷらに足りないものが!」




次の日の午後六時、この星の運命が決まる時間、応接間にいる宇宙人の前に姿を現したのはポチと茶々丸だった。手には『天ぷら』を持っている。


「こちらが、天ぷらになります」


「ほう、これが」


ポチは宇宙人の手前のテーブルにそれを置いた。その表情は真剣なものだった。


「自信はあるか?」


「あると言えば嘘になります。けれど、全力は尽くしたつもりです。」


「なるほど、頂こう。」


侵略者は『天ぷら』に手を伸ばした。作り立てのそれは少し湯気が立っていてエビの匂いも香ばしい。侵略者はそれを丸ごと口に含んで、


ガリ、という音とともに咀嚼した。


時は昨晩。



「なんだよ、見逃していたものって」

「茶々丸が名前の方面で探していたのは正しかった。見つからなかっただけで。」

「え?」

「教授が持ってるあの素材の名前を言ってみろ、茶々丸」


茶々丸は教授のもつかけらを見つめた。物によってさまざまな絵や文字が入っているそれは。


「あれは合成樹脂、プラスチック…プラスチック?」


茶々丸はハッとした。


「まさか、『天ぷら』の『ぷら』って…!」


ポチはその場にあったプラスチックの板をバキバキと割り始めた。昼間届いたエビを一匹持ってきて、それにプラスチックを纏わせる。


「これだ…」


人間の噛む力は自分たちより圧倒的に低いということを、二人はすっかり忘れているのである。





応接間にはソファに座る侵略者とそれをとり囲む弱い生き物たち。そこにいる者は皆そろって『天ぷら』を食す侵略者を見ていた。ガリガリと音を立てて侵略者はそれを飲み込む。そして一言、



「まずい」



それは世界の終わりの合図だった。


「終わったな。」

「ああ。終わったな。」

二人はビルから出てあてもなく歩いていた。あのあと侵略者は応接室から出ていき、そこにいた者たちは魂が抜けたように立ちすくむばかりで。いてもたってもいられず、茶々丸はポチの手を引いて外に出た。

陽の沈んだ空には星が浮かんでいて、とてもきれいだった。


「なあポチ、天ぷら作るの、楽しかったよ。」


茶々丸は隣にいる相棒にそう声をかけた。彼は応接間を出てからずっとうつむいたままだ。彼は鼻をすすり茶々丸の方に向いて、「僕も」と答えた。


「なあ、最期に良いこと教えてやるよ!」


そう言って茶々丸はプラスチックの板をポチに見せる。教科書サイズの薄いそれに、彼は紙を載せた。


「ほら、こうやってさ、紙の下にこれを敷いて文字を書くと、超書きやすいんだぜ。」


そう言って茶々丸は鉛筆を差し出してきた。ポチはそれを手に取って、紙に「天ぷら」と書いた。


「ふふっ確かに。」

「だろ?新発見だよな!」

「じゃあこういうのはどうだ?」


ポチは鉛筆を茶々丸に返しつつ、彼の目を見た。


「紙の下に敷いて書くと書きやすいから、これは今から下敷きって名前だ!」

「それいいな!」


二人は笑った。彼らの後ろのビルに爆弾が落とされるのは、このやりとりからたった数秒後のことである。











天ぷらの語源には諸説ございます。興味を持たれた方はお調べください。

(完)

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