10話:涼森鏡花はキャリアウーマン①
確証はない。
けれど、間違いなくそうだと思った。
「…………」
遮光カーテンを開けずとも、朝の陽ざしを浴びずとも。床に無造作に放置されたスマホが鳴り響けば、否応なしに目が覚めてしまう。
ベッドの上、瞼を開くまでの穏やかな気持ちは何処へやら。
信じたくはない。信じたくはないが、恐る恐るテレビを点けてみる。
普段なら、『今日も素敵な一日をお過ごしください♪』と、可愛い系のお天気お姉さんがハニカミ気味な笑顔で両手を振ってくれていただろう。俺も会釈していただろう。
今現在はどうだろうか。
『わ~~~! 今申し込めば、ハンディクリーナーが2台も付いてくるんですかー!?』
通販番組にて。ちょっと旬が過ぎた女タレントや芸人たちが、「お
そのまま、テレビ画面、左上の時刻に注目。
只今の時刻、10時37分。
「…………」
遅刻なう。
ぴえん。
アラサーが若者言葉を使おうと気色が悪いだけ。しかし、飲まないとやってられない夜があるように、現実逃避しなければ心のバランスが保てない。
「う、うおおおおおおおおお!?」
嘘です。現実逃避しても心のバランスは保てません。
どこでもドアどころか、タイムマシンを使わなければならない事態にパニック必至。
寝起きからエンジン全開。ベッドのスプリングを利用して、鳴りっぱなしのスマホへとビーチフラッグの如くダイビングキャッチ。
暴れ狂う心臓を鎮める時間さえ惜しい。電波と一緒に届けと、全力謝罪。
「おおおおっざっまーす!? じゃなくて! 誠にご迷惑お掛けしております! 可及的速やかに出社させていただきますので、もう少々お待ち――、」
『……ふっ! アハハハハッ!』
「え」
『おっざっまーすだって! アハハハハッ! 風間君、いきなり笑わすのズルい!』
「その声は、涼森、先輩……?」
朝から明瞭快活。ツボに絶賛ハマり中なのは、紛うことなき涼森先輩。
けれど、憤りとは程遠い笑い声が聞こえてくるのだから、そりゃ口も半開く。
「あの……、寝坊してるのに怒らないんスか……?」
『まだ寝ぼけてるの? 今日の日付、確認してみなよ』
「日付?」
年上お姉さんのクスクス笑い声をBGMにしつつ、いつぞやの町内会で貰った壁掛けカレンダーを確認してみる。
本日は8月11日の木曜。
平日にも拘らず、日付は黒色ではなく赤色で表記されている?
「山の、日……」
山の日。山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日。
それすわなち、
「きょ、今日が祝日なの忘れてた……」
『うんっ、おっざっまーす♪』
「……おざまーす」
恥ずかしいというか、朝から幸せ一杯というか。
お天気お姉さん顔負けの挨拶を受けてしまえば、完全に思い出してしまう。
昨夜の終業間際、
「さぁマサト先輩っ! 明日はお休みなので飲み放題です! ご一緒にオールナイトニッポ~~~ン!」
「お前はいつからラジオパーソナリティになったんだよ」とツッコむ間もなく。伊波に腕を引っ張られるままに、東通りの飲み屋で日本酒三昧。
さすがに終電ギリギリで解散したものの、少し羽目を外し過ぎた。帰宅早々、堅っ苦しいスーツを脱ぎ捨ててベッドへダイブ。そのままスリープモードへ。
そして、今に至るというわけだ。
まるで寝起きドッキリを食らった気分。天井知らずだった緊張やら恐怖心やらが急激に消失し、正座体勢から、うつ伏せにへたり込んでしまう。
「心臓に悪いです……。マジで人生終わったかと思いましたよ……」
『ごめんごめん。けどさ、これでも気を遣って遅めに電話したんだよ?』
「気遣いがもう少し欲しかったです」
『あっ。生意気言われた』
電話越しでも、涼森先輩がジト目で怒っているフリをしているのが容易に想像できる。
答え合わせしたいんで、ビデオ通話に切り替えてもいいでしょうか。
下心はさておき。
「で、休みの日にどうしたんですか? 仕事のトラブルとか?」
いくら親しい間柄とはいえ、俺と涼森先輩は仕事仲間。モーニングコールでイチャコラするような関係ではない。
『ううん。別件というか、ちょっとお願いしたいことがあって電話したの』
「お願い、ですか?」
『今日って時間ある?』
「??? そうですね。ゲームして飯食って寝るくらいなんで、時間は有り余ってます」
『良かったぁ』
「ほあ」
独身男らしい、ワンパターンな行動で良かったということでしょうか。
というわけではないらしい。
『私とデートしてくれない?』
「…………。ええっ!?」
何この素敵な休日。
※ ※ ※
駅チカにあるチェーン系カフェは、休日の避暑地には打ってつけ。
角席のテーブル席へと腰掛け、背伸びしつつも周囲を見渡してみる。やはり同じ考えの人々は多いようで、冷房がガンガンに効いた店内は沢山の客で埋め尽くされている。
友人グループ、家族連れ、ドヤ顔マック、恋人同士などなど。
俺たちの関係は、一体どう思われているのだろうか。
「? まじまじ見てどうしたの?」
カフェラテを飲んでいるだけなのに、実に絵になる人だ。
オフィススタイルな服装ばかり見続けてきたので、涼森先輩の私服姿はとても新鮮味を感じてしまう。何度も見惚れてしまう。
相変わらずセンスが良い。清楚感や清涼感を漂わせるフレアスカートに、ざっくりVネックが特徴的なサマーニットのコーデ。大人っぽさを引き立てるのは、なだらかな鎖骨部に飾られた細身のチェーンネックレスや、引き締まった足首を覆うヒールサンダルらのおかげだろう。
まじまじ見てる理由?
「いや、この人は自分の魅せ方を知ってるなぁと」
「人をブリッ子みたいに言わないの」
俺が注文したアイスコーヒーを頬にくっつけられてしまえば、ヒヤッとしたりキュンとしたり。俺の情けない反応に、涼森先輩がクスクスと笑ってくれたり。
あぁ……。こんな幸せが永遠に続けばいいのに……。
「で、どうかな? ノートパソコンの調子」
「あー、そうスね。確かにキーボードの反応悪くなってますね」
知ってました。永遠などこの世に存在しないことくらい。
気付いてました。デートが冗談なことくらい。
ネタバレをしてしまえば、
『ノートパソコンの調子が悪いから相談に乗ってほしい』
デートのお誘い後、そのような言葉を掛けられてしまえば、己に求められているものが『異性としての魅力』ではなく、『同業者としてのPC知識』なことくらい存じ上げてしまう。
舞い上がる寸前に落ちたため、ダメージは然程ない。むしろ、社内にはもっと詳しい人間がいるのに、俺へ白羽の矢を立ててくれたことが誇らしいまである。
泣いてねーし。マジで。
というわけで、修理に出すにせよ、買い替えるにせよ。まずは動作チェックを始めることから。カフェにてノーパソを開いているというわけだ。
「サイトのキーボードチェッカーで確認したんですけど、左部分のキーが完全に死んでるっぽいです」
「へー、そんなサイトあるんだ。どれどれ?」
向かいの席に座っていた先輩が、俺隣の席へと肩を寄せるように腰を下ろす。
画面共有するのだから当然の行動なわけだが、いつもと違う装いなだけに少しばかりドキッとしてしまう。
結果画面を見て、ふむふむと頷く先輩の横顔は真面目そのもの。「やっぱりココらへんかー」と動かなくなったキーを人差し指でポチポチ押してみたり、「困ったねー」と唇を少し窄ませてみたり。窄ませた唇のまま、カフェラテのストローを咥える姿が色っぽかったり。
先輩上司と分かっていても、やはり綺麗なお姉さんと認識してしまうのは仕方ない。
「やっぱり買い替えるしかなさそう?」
「あ、いや。パーツさえ手に入れば修理できると思います」
「ほんと?」
「このノーパソ、
デスクトップ型と違ってノート型は修理しづらい印象があるが、パーツさえ手に入れば何とかなるケースも案外多いもんだ。
ましてや天下のパナ製品。代替パーツも充実しているのは言うまでもない。
「確実にゲットするなら、今のうちに通販サイトでポチっちゃいますけど、どうします?」
「うーん。風間君さえ良ければだけど、お店にまで連れて行ってほしいかな」
「えっ」
少々というか、中々に意外な返答だった。
「もしかして風間君、早く帰ってゲームしたい感じ?」
「!? いえいえ! 嫌だから驚いたわけじゃないですって!」
「じゃあ、どうして『えっ』って驚いたのさ」
「いやー……、店に行くより通販利用するほうが合理的だし、涼森先輩っぽいかなーと」
キャリアウーマン=合理的な判断ができる
スマートに仕事をこなし続ける涼森先輩のことだ。このクソ暑い炎天下の中、わざわざ店にまで足を運ぶような選択はしないと思っていた。
「効率ちゅーって奴だ」と不慣れなネットスラングを使う涼森先輩は、一度使ってみたかった言葉なのか。口にしただけでニコニコと満足気な表情になっている。
「確かに仕事では合理的だったり、効率的な作業を心がけてるかな。けどさ、休みの日くらい、まったり羽を伸ばしたいよ」
「まったり、ですか?」
心からの言葉なのだろう。そう確信できてしまうくらい、目の前で頬杖つく涼森先輩はのんびり寛いでいるように感じた。ガラス張りのパネルから差し込む陽光も相まって、日向でまどろむ猫を彷彿とさせるくらい。
キャリアウーマンもウーマンなのだと当然なことに気付いたり、オンとオフをきっちり切り替えられるところは、さすがキャリアウーマンだと思い知らされたり。
何よりもだ。羽を伸ばす相手に任命されたことを知ってしまえば、コッチまで笑みが伝染ってしまう。
「どの店にもパーツ置いてなくて、無駄足になっても責任持ちませんからね?」
「いいのいいの。最悪は通販で買っちゃえばいいわけだしさ」
「まぁ、それもそうッスね」
「それにさ、」
「それに?」
「折角のデートなんだもん。のんびり楽しもうよ」
「っ!?」
「あははっ! 顔赤くしちゃって可愛い!」
小悪魔お姉さん降臨。俺の純情を弄ぶことがそんなに面白いのか、特等席と言わんばかりに目の前で大笑い。
「あの、涼森先輩……? ノーパソの命運を俺が握ってることは分かってますか?」
「んー? 明日は渚ちゃんや深広に、『おっざっまーす♪』って挨拶しちゃおうかな?」
「ぐっ!」
想像しただけでも恐ろしい……。
密告なんかされてみろ。一ヶ月はアイツらに、「おっざっまーす」をこすられちまう。
恨むべきは、夜遅くまで俺を連れ回した新卒小娘か、はたまた、楽しげに鞭を振り回すドSなお姉さんか。
知ってます。悪いのは寝ぼけていた俺です。
「よ、喜んでPCショップまで、ご案内させていただきます!」
「うんっ、エスコートお願いしまーす♪」
涼森先輩のイタズラたっぷりな笑みを間近で見れるのは眼福だが、尻に小悪魔の尻尾が生えているかを確認したいものである。
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更新久々になって申し訳ないです!
今作品、『かまって新卒ちゃんが毎回誘ってくる』がめでたく書籍化です!
久々の更新で覗きに来てくれた方は、「は?」って話ですよね……(笑)
近況ノートに色々情報を記載致しましたので、是非是非ご覧ください!
-公式ページ-
https://fantasiabunko.jp/special/202111shinsotsu/
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