4話:記憶にございません。……だけど?
早くから飲めるホワイト企業なら、二軒目、三軒目とはしごするのだろう。
あいにくウチの会社はブラック。一軒を堪能するだけで終電ギリギリである。
勘定を済まし、大通りから駅へと向かう道中、
「やだ~~! まだ先輩と飲みたい! まだ暗い!」
「逆だ! もう真っ暗なんだよ、バカタレ!」
案の定、隣の伊波がうるせー。
この酔っ払いが駄々をこねるのは毎度の恒例行事。何なら、電車にぶち込むまでがテンプレまである。
「はしごしたいなら、
「はしごしたいわけじゃないもん。マサト先輩と飲みたいだけだもん」
「可愛く言ってもダメなものはダメ」
「やだ~!」
なんて野郎だ。今年3歳になる姪っ子でもコイツより聞き分けが良いぞ。
「あのな。周りにある店を見てみろ。もうシャッター閉め始めてるだろ? 飲もうと思っても物理的に不可能なんだよ。……ん?」
どうしたことか。伊波が足を止めてしまう。
さらには、唇を尖らせ、とある方向を力強く指差す。
「! お、お前な……」
俺が照れ――、呆れるのも無理はない。伊波が指差す先は、通りから外れた横道。
横道を覗くだけでもド派手なネオン光の看板が、「アダルティな世界はコチラですよ」と
ホテル街へと通ずる出入口である。
伊波の瞳は真剣そのもの。
「ホテルなら終電を気にしなくてもいいから沢山飲めます。会社に近いから朝はゆっくりできます。合理的ですっ!」
「合理的ってお前――、」
「シャワーだって浴びれますっ! ベッドはフカフカでぐっすり眠れるはずですっ!」
伊波よ。こういうのって、男のほうが何かと言い訳並べて誘うもんじゃねーの?
俺とお前の立場逆じゃね……?
いつもより泥酔しているからだろうか。
「先輩が望むのなら腕枕だってします!」
「…………。!!! う、腕枕ぁ!?」
伊波史上、ダイレクトすぎるお誘い。
酔いを吹き飛ばすには十分すぎる。にも拘わず、新卒小娘のテロ活動は留まることを知らない。
「一緒にお風呂にだって入ります! お背中だって流します!」
「おふっ!? お、おせなっ!?」
「リーズナブルなお部屋で構いません! ピンクでエッチなお部屋でもアブノーマルなお部屋でも私は受け入れますっ!」
「ア、アブアブアブノーマッ……!」
「先輩が望むなら、セーラー服やナース服だって着ちゃう――、」
「~~~~っ! ドアホ! 酔った勢いで爆弾放り込むんじゃねえ!」
「
「
何だコイツ! 好感度120%のエロゲヒロインかよ!
「ホテル! 先輩とホテル行くの~!」と駄々をこねられる構図が修羅場すぎる。通り過ぎるリーマンたちの「羨ましいんじゃボケ」という視線が地獄すぎる。
とはいえだ。地獄から解放されるために、
俺は教育係、伊波は後輩。
それ以上でも以下でもない。
社内恋愛がどうとか以前に、伊波は俺にとって大切な後輩なのだ。『酔った勢いで、お楽しみしちゃいました』と傷つけるようなことはしたくはない。
だからこそ、答えはNO。
「さぁ。とっとと帰るぞ」
立ち止まっている伊波の腕を引っ張る。
しかし、伊波は微動だにしない。
「……約束したくせに」
「は?」
伊波の口から溢れる爆弾発言に、思わず固まってしまう。
約束した……? 俺が伊波とホテルに行く約束を?
いつ? どこで?
「いやいやいや。約束なんて絶対して――、」
「先輩のバカ」
「あん!?」
悲報。後輩にバカ呼ばわりされる。
いつもなら教育的指導でデコピンの1発や2発食らわしていたかもしれない。
何なら今だって食らわそうとしていた。
けどだ。実行する気が失せてしまう。
伊波の顔を直視してしまえば。
「伊波……?」
決して、冗談や嘘で言っているようには見えない。それくらい、薄暗い夜、背後のネオン光に照らされる伊波の表情は真剣そのもの。
約束を交わした記憶など全くないのだが、伊波を直視すればするほど、「酔った勢いとかで前に言っちまったのか……?」と不安になってしまう。
記憶を遡ることを、伊波は許してくれない。
「うお!?」
不意打ちだった。
伊波を引っ張ろうと握っていた手を、逆に力いっぱい引っ張られてしまう。
バランスを崩して前屈みに傾けば、必然的に伊波の顔が目の前に。
「マサト先輩……」
反射的に生唾を飲み込んでしまう自分が情けない。
距離を詰められただけ、名前を呼ばれただけで心臓の鼓動が早まってしまう。
『可愛い後輩』を『1人の女』として見てしまう。
見てしまえば最後。期待にも似た感情が胸の内から込み上げてくる。
そして、大きな瞳を涙ぐませる伊波に言われてしまう。
「気持ち悪い」
「…………。あ?」
俺の顔が、ですか……?
「飲み過ぎて、気持ち悪いです……」
「…………。はぁぁぁあ!?」
伊波、先ほどまでの真剣な表情は何処へやら。
アルコールが回って赤く火照っていた身体は気付けば真っ白、というより真っ青。何かにぶつかった瞬間、ゲームオーバーになりそうなくらい生の気迫も感じれず。マジでリバースする5分前。
可愛い後輩でも、1人の女でもない。
只の酔っ払いである。
廃人寸前の伊波が、最後の気力を振り絞ってとある建物を指差す。
「やっぱり、ホテル行きましょ……? ね?」
「ね、じゃねーよ!?」
事態は一刻を争うと、近場のトイレに押し込んだのは言うまでもない。
終電に間に合わなかったのは、もっと言うまでもない。
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