第9話 設定

「麗香ちゃん、その、当たって…」

 そう言ったとたんに、思わず顔が赤くなった気がする。還暦を過ぎたというのに、まだ純な気持ちが残っているのだろうか。なんだか、嬉しくもあった。

「おいやですか、ご主人さま。ふふ、純情なんですね。先ほど寿命のお話をしましたけれど、これからのご自愛の具合によりましては、折角の寿命も縮んでしまいます。ご主人さまは、糖尿病ですし。麗香、本当に心配です。ご主人さまには長生きをして頂いて、麗香のことをずっとかわいがっていただきたいのです」

 甘ったるい声が耳元に届き、思わず身ぶるいしてしまった。それにしても、一事が万事、わたしが喜ぶような返事がかえってくる。

「娘、お嫁さん。どちらがよろしいですか?」

 突然に意味不明のことを聞いてきた。答えられずにいると「申し訳ありません。説明不足でございました」と、悲しげな目を見せている。

「まず、初期設定をしていただかなくてはいけません。男性・女性の選択ができます。年齢の設定ができます。赤児からお年寄りまで、ご自由な設定ができます。さらに、家族・他人という設定がございます。勿論、恋人という設定ができます」

 これは気が付かなかった。なんとも細やかな配慮がしてあるものだ。返事に窮したわたしだったが、その心を見透かすように言った。

「今の麗香は、年齢的には娘ということになるのでしょうか。それは、イヤです。幸いにもご主人さまは、お独り身でございます。恋人にしてください」

 言うが早いか、わたしの背に抱き付いてきた。じんわりと伝わる暖かみ、そして何よりさっぱりとした柑橘系の匂いが体を包み、心の中にまで沁みこんできた。

「ご主人さま、ご主人さま」

 と、肩を揺すられた。十分ほどの肩揉みだったろうか、あまりの気持ちよさに、ついうたた寝をしてしまったようだ。

「悪かったね。気持ちが良くて、つい寝てしまったよ」

満面に笑みを浮かべる人形に、思わず娘の顔を重ねてしまった。離婚後に父親としての勤めとして高校入学の手続きをした娘で、今年二十歳になるはずだ。成人式には振袖姿になることだろう。

 昨年の十一月に、妻―いや、元妻と称すべきか―からレンタルと言う手もあるが、この先も着ることがあるだろうから買ってやりたいと連絡がきた。ついては、半額だけでも出しくれませんかと手紙が届いた。金額が書いてないのを、どう考えればいいのか。貯蓄などほとんどないわたしだ。通帳の残高は、情けないことに十万円もない。全額送ってしまうと、たちまちに公共料金等の引き落としで残高不足になってしまう。

 会社勤めとはいえ、今は嘱託の身だ。賞与など望むべくもない。結局のところ、窮状を訴えて五万円を送金した。それからひと月経つけれど、なんの連絡もない。少ないとかなんとか文句のひとつもくれば、ああ届いたのだと分かるのだが。こちらから聞く気にもならず、写真の一枚も送ってくれと、ひと言添えておけばよかったと、今さらになって後悔している。

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