いい根しました

川谷パルテノン

イイ根!

「あのぅ……」

「なんじゃい禿蛸」

「いつ、お帰りになっていただけるんでしょうか」

「どこに帰れ言うんじゃワレィ。お前が引き抜いたんやから最後まで責任持つんが大人ちゃうか? ワシなんか間違まちごとる? ちごてたら言うて。それと今日晩飯何かな? ワシ、カレー食いたいんやけど」


 最悪だった。就職活動中の私、中野寧子なかのねこは、昨今一向に収まる気配のない流行りウイルスの煽りを受け、悉く面接に落ちまくっていた。大学を卒業すれば就職。それは当たり前のことだと思っていた。思うも何も気にすらしていなかったんだ。幼稚園児だった頃、小学生になるのが嫌すぎてレモン石鹸を齧って自殺しようとした馬鹿な私は、檸檬の香りと「あ、コレは確かに食べ物ではないわ」といった味わいをもってしてもままならず、僅か六歳にして「人生はエスカレーター」なる悟りを得た筈だった。ところがどっこいそれから十七年の時を経て悟りでもなんでもなかったことを思い知らされている。こんなことならもう好きなことで生きていくではないけれど、趣味で続けていた漫画を描くことにおいて「プロ、いっちょやってみっか」と一念発起、某週刊少年誌が主催する新人賞に応募してみた。私なりに持てる力の限りを尽くした。尽くし尽くしたのだ。けれど結果はついて来なかった。友人から多少褒められたくらいでいい気になって、就職活動が上手くいかないからと逃げ根性で漫画家になんてなれるわけなどなかったのだ。思えば六歳の私もまた今と同じく逃げ癖のついたガキだった。本当に死にたかったなら死ぬ気でトリカブトでもテトロドトキシンでも手に入れるなんて努力もせずに石鹸で事を済ませようとしたし、何ならただ石鹸というのもちょっとヤダななんて考えてしまって「まだ食えるのでは?」なんてレモン石鹸か牛乳石鹸で悩んだりしていた私だ。人生はエスカレーター。全然違った。私は成長から逃げようとして死に走り、その死からすらも逃げようとした罰としての結果小学生になれたのだ。運命とは数奇で芳ばしい。その気づきが十七年という時を経て顕現するのだから。木の葉が落ちるだけで笑えるセブンティーンが一人生まれておかしくない計算なんだ。

 ともあれ何もかもに行き詰まって息の詰まった私は下向きがちで、実際下を向きながら歩くことが増えたにも関わらず、それに気づけなかったということは、結局私の視座とはどこにあったろう。この銀河に果てがあるのかは知らないが、では右から左と銀河中を隅々まで探してみても一千年バードウォッチャーを続けたイカれたベテランでさえ観測できない私の視座とやらは先述したとおりそのアスファルトを突き破るように生えていた草の茎を見事見落としたのだった。加えて気力とやらは最古の戦争で真っ先にくたばっていたために、私はその茎に蹴躓いてすっ転んだのである。アスファルトに強く叩きつけられた私の体は「まだ人間を忘れません!」と言わんばかりに痛みを教えてくれた。生きてんだよな。そう思うとこの先の暗さを悲観してしまうし悔しくて泣きそうになった。私の手にはあの時のレモン石鹸が確かに不確かながら確実と思わせる質量で握られていた。また繰り返すのか中野寧子。どうだっていい。もうどうだっていいんだよ。

「おい」

 声がした。大丈夫かが言われたい気持ちを神様が叶えてくれたんだと思った。それは無茶苦茶狡いです。いつだってギリギリで私を繋ぎ止めようとする。もうこんなことは何万回と繰り返してきたはずでウンザリなんですわ。

「おいオンナ。キミや」

 振り返ると奴はいた。私はヒエェエエ! とかヒョアアアアア! とか、とにかく南斗水鳥拳の使い手くらいのトーンで悲鳴を上げた。なにせそこにいたのは明らかに人語を解しているばかりか人間社会といったものを適切に理解していなければ取れない態度で私を「おいオンナ」と呼ぶなんかしらの植物の根っこだったのだ。根っこと呼んでいいのかも実際はわからなかった。口のような、それは人間なら当たり前に動かしている鼻の下の溝の下の唇で囲った口と呼ばれるそれを動かしていたから。私はすぐに頭の中の電子辞書で逆引きリファレンスしてみたが「根っこ」は喋ったりしないのだった。

「何ジロジロ見とんじゃキッショイのぅ! お前コラ蹴り腐るさかい飛び出してしもたやないかい! カッタいアスファルトさんのちんまい隙間んとこズルズルーーッて! ……ズルズルーーッて! 痛アアて!」

「な……な……なんなんですかあああああなたああああ!!」

「うるさああああぃッ!!」

 人通りの多い場所だったのでめちゃくちゃ見られたと思うけれど絶叫してるのは私だけだった。皆んなはこうやって根っこが当たり前のように喋ってるのに慣れているのだろうか。だとしたら新聞読まなさすぎたなと反省する。そりゃあ就職なんて無理だ。私は世間も世論も分かっていない。

「ちょっと落ち着いてきました。最近流行ってるんですか? ハロウィン的な? その、ソレ系の」

「なんの話しとんねんキショい。誰が流行り病じゃ禿蛸!」

「えっと、こっちもわかんないんですけど。とりあえずすみません蹴っちゃって」

「とりあえず責任とってくれ。姉ちゃん指何本や?」

「それはどういう?」

「指何本や聞いとんじゃボゲェ!」

「じゅ、十本ですけど!」

「足のも足さんかいボンクラ! 要するに二〇本やろ。二〇で手ぇ打とか」

「それは」

「二〇言うたら二〇やろ! 諭吉二〇枚じゃ! どこまで言わせんねん禿蛸!」

「二〇万円なんてないですよ。月のバイト代でもその半分いくかどうかですよ」

「なんじゃいしょうもない。無いの乳だけちゃうんかい」

「ちょ! 誰が貧乳ですか!」

「気にしとんやないかい。ほなもうええ。叫ぶから覚悟せえや!」

「覚悟? 叫ぶってなんですか? もしかして警察! ちょっと待ってください! 私わざと蹴ったわけじゃないですよ! 捕まりたくない!」

「おまわりさああああん! ってなんでやねん! 姉ちゃんもしかしてワシのこと知らんのけ?」

 やっぱり新聞は読まなきゃ。全然知らないよ。根っこさんのこと。

「気ぃ失せたわ。つまらんの引いてもたのぉ。ああ怠ぅ。姉ちゃん、タバコあるか」

「吸わないです」

「大概にしとけよ! ああムシャクシャするわ。どないしたろかなこのオンナ」

「あの」

「なんじゃい禿蛸!」

「何回言うんですか……すみません。こっちが蹴っ飛ばしててアレなんですけど、バイトの時間近づいてて」

「なんやオンナ。ワシのことほったらかして帰る気かいな? ほえー、見かけによらず肝座っとんのお! このままワシが乾涸びてかまへんちゅうわけやな!? 人でなし!」

「いやいや根っこさんこそ正真正銘人間じゃなくないですよね」

「末代まで呪ったるからな! もう知らんからな! ああこの世界で一番可哀想な草に愛をください! こんなクソオンナちごてべっぴんで巨乳でただただエロいギャル限定で愛をください!」

「最低」

「おい暴力オンナ、まあええわ。お前で我慢したるわ。とりあえず家入れてや」

「この流れでヤですよ!」

「なんじゃい! それもアカンのか。どんだけしょうもないねん! しょうもない人生!」

 目の奥が熱くなって、居ても立っても居られなくなって、今すぐ逃げ出したかったのに、擦りむいた膝の傷を目にする勇気が出なかった。私はこんな時立ち上がれない。どうしてか頑張ってる自分がかっこよく描けない。最後に頑張ったのは漫画だったけど、結局私はかっこ悪いことがわかっただけだった。根っこに根っこの部分を見透かされてゲームオーバーです。私は何も見ないフリをして駆け出した。今日はシフトに入っていない。

 

 家に着くなりベッドに突っ伏した。リクルートスーツはシワシワで、疲労に疲労を重ねた私と比例した。もうどうでもいい。何度吹っ切れようとしたって現実はそれ以上にのしかかってきて世界で一番不幸だと信じ込むのだけは上達していく。自問がある。お前は何になりたい。しあわせの四文字は漠然とし過ぎていて、まるで幽霊だ。私の幸せは今生にはないかもしれない。幽霊になってそのありがたみに気づいても私は今と変わらず後悔だけをし続けるのだろう。そんな考えが堂々巡りに押し寄せてくる。しょうもない人生。言ってくれるぜと笑い飛ばす元気も勇気も資質も資格もない。逃げて逃げて逃げまくった結果がこれだ。もう涙が止まらなかった。一人にならないと泣けないなんてどうしようもないな寧子は。転がっていたトイレットペーパーを手で巻き取って涙と鼻水をいっしょくたに拭う。

「お前、それケツ拭くやっちゃろ」

 私はその声にハッとなった。聞き覚えも聞き覚え。なにせ会話らしい会話なんてこのひと月で考えてみてもこの人としかしていない。いや、草か。

「何で居るんですか!」

「ワシゃオンナの涙あるところにワシありちゅうて」

「意味わかんないですよ! そこサボテン植えてた鉢!」

「サボテンなんかほったらかしても育つやろ。甘ったれんな!」

 ほんとこの草何なんだ。いちいち私を苛つかせる。おかしいな。こんな腹を立てるくらいに私は私に期待なんてしてなかったはずでは?

「ちゅうわけでサボちんの代わりにワシがこの土風呂使わせてもらいます。言うたで。責任とれて。禿蛸」

 また禿蛸だ。蛸に髪なんて生えないし、蛸は等しく禿げではないか。

「返してください私のサボテン!」

「サボちんは帰ってきません。ワシが今日からお前の愛玩植物です。ハイライト買ってきなさい」

 無視することにした。草が喋るわけなんてないんだ。これもまた私の逃避が見せる幻覚或いは幻聴だ。いつかまた違ったカタチの逃避が始まる。それまで喋らせておけばいい。

「叫ぶよ」

 好きにしたらいい。

「ほんま後悔しても知らんで自分」

 その道の達人な私だ。

「じゃあ言うといたるけどワシこそがその絶叫をもってして人をも殺せる植物界の鉄砲玉! マンドラゴラです!」

 明日の面接はもう行きたくなかった。私の言葉は誰も揺さぶらない。こうしてシカト決め込んで何も話さないのがお似合いだ。

「無視すんなや! ワレ恐ろしないんかい!」

「アーーーッ! もう五月蝿いですよ! 私明日大事な面接があるんです! 集中しなきゃなんです! お帰りくださいマラドラゴンさんでしたっけ?」

「誰が龍のちんぼやねん! なめくさりおって! 承知せんぞ!」

「大体もう何回も叫んでんじゃないですか? 私いっこうに健康ですけどどうなんでしょうか? タツノチンボってなんですか?」

「おま! ナニちんぼ恥もなしにぬかしとんねん! これやさかい処女は」

「いいでしょ別に! こっちだって守りたくて守ってんじゃねぇーっての! それで! 私死んでないんですけどそれはどういう」

「元気あるやないかい」

「え」

「犬のアナルみたいな顔してしょぼくれよってからに。お前の人生ワシが変えたるちゅうてんねん」

「なんで……」

「なんやその顔。嬉し泣きか。感謝せえよ嬉ションオンナ」

 根っこの言うとおり、私は泣いていた。さっきとはちょっと違う感覚で。


 それから奇妙な生活が始まった。私は就活の傾向と対策をマンドラゴラに教わっている。ふざけた話だが本当だ。相変わらず採用には至らなかったけれど以前に比べて体が軽くなってきた気がする。どうしてマンドラゴラが親切にしてくれるのかは分からなかったけれど彼の教えに則って挑む面接は何故か手応えが感じられた。これはどうにか就職出来てしまうんではと期待してしまう。それは駄目だと理解していたけど、それでもやっぱり私は楽しかったのだ。最悪だ。期待なんかさせないでほしい。


「根っこさん!」

「なに? パンツくれんの?」

「あげませんから! え、勝手にタンスとか開けてないですよね!?」

「せやから何やて!」

「決まりました」

「ほう、よかったやないけ」

「先にそれ言ってくれてたらパンツあげてたかもしれません! 根っこさんのおかげです」

「ほなよこせや! しょうもないオンナ」

「飲みましょう! プレモル買ってきました!」

「ハイボールが良かったな」

「ささ! どうぞどうぞ!」

 酔っ払ったのは三年ぶりだ。マンドラゴラはずっとセクハラ発言を繰り返したけど私はもう大丈夫だった。自信。いつかはどれだけ掘っても土しかなかった場所にようやくそれが見えた。上手く事が運び過ぎてる気がしないでもないが私はもう大丈夫だった。


 私が就いたのはガチャポンのカプセルを作る会社だった。規模は所謂中小零細ではあったけどこんなご時世でも仕事は絶えない。先輩や社長もよくしてくれる。言うことなしだった。職場は。でもマンドラゴラは姿を消した。


「お前誰や」

「!? チッ! まだ誰かいたのか!」

「せやからお前誰やコラ!」

「どこだ!」

「どこ目ぇついとんじゃドグサレぃ! 目の前の土風呂じゃ!」

「は? 俺は頭がおかしくなったのか?」

「もとからやろがい! 空き巣やな」

「はん! だったらなんだ脅かしやがって」

「お前、ワシより先に寧子のパンツ盗まさんぞ」

「くだらねえ。お前こそ黙って植えられてろ」

「ワシ、口ついとんのやわ。因果な商売やで。ポリ公来るように叫んだろか?」

「黙らせるしかないみたいだな」

「どないすんねん。窓から投げ捨てる気か? 近所のオバハンに通報されんぞ」

「草なら引っこ抜きゃ終わりだろ」

「自分かしこやな。ええ線ついてるわ」

「負け惜しみか」

「完敗や。せやから一つ頼まれてくれんか? そこの公園にちんまて可愛かえらしいコスモスが咲いてんのよ。後生や、最後に拝ましてもらえんやろか。そしたら通帳と印鑑の置いたある場所ゲロってもかまへん」

「クソッタレだなお前」



「ああ、コスモスちゃん! おおきに! 最後に見れたんがコスモスちゃんでワシ有頂天! 助かったわ、お前がアホで」

「は?」

「寧子はようやっと仕事も決まってこれからなんや。お前みたいなクソが邪魔する人生やない。あの部屋で死なれたらけったくそ悪いおもてな」

「何言ってんだテメぇ!」

「お前みたいなクソとは比べもんならんくらいアイツの人生は光り始めとる言うとんじゃボケェエア"ァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……




 手紙、と言っていいのかわからない。いつから貼ってあったのか。冷蔵庫に貼られたマンドラゴラのメモ書きを私は自分の幸せに浮かれていて気付けなかった。

「こないだ作ってもらった焼き飯がとても美味しかったです。お前が仕事に出てる間に真似して作ってみたらそれを超えました。冷蔵庫ん中に入っているので後でチンして食べてしまいました。もうないです。ザマーミロ」

 私は、汚い字のその言葉を何度も何度も読み返しながら読み終えてしまうたびに震える声で「もう大丈夫」と口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いい根しました 川谷パルテノン @pefnk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ