第5話 伴いゆく


 触れなければ伝えられない彼のテレパスであったが、歪んだ空間は彼と彼女の精神世界を繋いでいた。窪崎くぼざきの心が少女の心に沁み込むと、遠くに飛んでいた彼女の意識はこちらへ徐々に後戻りを始める。


――ああ、あの人の声が聞こえる。


 窪崎くぼざきは一歩、一歩、ゆっくりと慎重に近づく。

 彼は心で語りかけ続けながら。


 少女が反応をわずかに見せその瞳を少し揺らす。必死にその力を抑え込もうとしている様子だ。だが力が巨大過ぎて彼女の意思を無視して溢れ続けているが。


 それでも。


 それでも耐えて。


 破壊的な力から、彼を絶対に守ろうと必死に戦った。

 派手ではない精神こころの戦い。自分自身との戦い。

 戦う彼女を窪崎くぼざきはその心で支え続ける。



 そしてついに彼女の傍に彼は到達した。


 彼女は放出される力は溢れるがままであったが、その動きはコントロール出来ているようだった。まるでモーゼが海を割るように、屈折した空間は窪崎くぼざきを避けている。


 制御可能なAランク……というのも、人に知られるとまずい気がして、富沢とみざわが自分一人にすべてを任せてくれたことがとても有難い。あの眠たげな顔の公務員も清楓さやかに好意を持っているように思えて、負けていられないとも思ってしまう。


 だが一介の研究員でしかない自分一人の力だけでは彼女を救えず、守れないのも事実であって、ここはひとつの目的のために共闘するしかあるまい。



 利用する相手ではなく、仲間……として。



 彼が少女を見上げると目と目が合った。

 清楓さやかはまっすぐに彼を見て、彼ならこの状況を打破してくれると完全に信頼している顔をしていたから、窪崎くぼざきはいつもの意地悪そうな笑顔を向けて心の中で「任せろ」と力強く言った。


 改造したリミッターは一時的なもの。それでも彼の計算が正しければ、抑え込む事は可能である。今まで培った知識と技術と得てきた知見を全てぶつけた現在の彼の集大成だ。


 自信作である。


 手錠という事で見た目がとにかく悪いが。


 いつか小型化に成功すれば指輪の形にするのもいい。最初の一つ目は彼女にあげたい。

 少女の左手を取りながら彼はそんな事を考えてしまった。それが彼女に伝わってしまったような気もするが、隠す必要もないと思う。


 歪んだ空間に縛られている彼女の左腕に、リミッターの手錠がついにかけられた。


 清楓さやかの脳内で乱発していた電気信号は、リミッターから送信される電気信号により次々と相殺されていく。まるで物質と反物質がぶつかり合い消えていくかのように。


 空間のゆがみは発生時とは異なり静かにゆっくりと収束し、同時に、周辺に満ちていた刺すような空間のトゲトゲしさが失われて行くのがその肌感覚でわかる。


 やがて無音の冴え冴えとした冬の夜の気配が取り戻され、留め置かれた空気は緩やかに解放されて四散し月光はまっすぐな光線を上空から地面に射し下ろす普段の姿に戻って行った。


 少女の浮き上がっていたその体は重力の縛りを思い出したかのように、ゆっくりと窪崎くぼざきの腕の中に落ちて来たから、彼はそのまま流れるように彼女を受け止めしっかりと抱きしめる。


清楓さやか、迎えに来たよ」


 少女は、窪崎くぼざきに嬉しそうに頬ずりをしてくる。


「ポチ!」

「なんだ、まだポチ呼ばわりなのか」

 

 窪崎くぼざきは笑った。

 再びしっかりと抱きしめると少女もぎゅっと抱きしめ返して。すりすりと甘える仕草は子供のようだったが、彼女はそうする事で愛情を表現しているのだ。甘えるのは相手を信頼している証である。


 そんな清楓さやかを抱きかかえて階段を降り地上に降り立つと、騒がしい光景が目に入って来た。 


 吹き飛ばされた研究員達はあの衝撃の中であっても、空間の歪みのせいか壁に叩きつけられた時の負傷で済み、多少の骨折は伴ってはいるのか瓦礫の傍でうめき声を上げてはいるが命に別状はないという様子を見せている。

 次々に警察官に取り囲まれ、救急隊員によって担架に乗せられていた。


 ビルから出て来た二人の姿を見つけた真友まゆが、その長い髪を振り乱して走り寄って来る。


清楓さやか~!」


 窪崎くぼざきが名を呼ばれた少女の体を地面に下ろすと、彼女達は抱き合って再会を喜び合う。きゃぁきゃぁと明るく弾む元気な声を聞き、超能力を使った事による問題が生じていない事を知り彼はやっと安堵した。


 富沢とみざわはそんな少女達の姿を眺めやるとふぅと息を吐き、その右手を窪崎くぼざきに差し出した。

 差し出された側は少し戸惑ったが同じく右手を差し出し、握手を交わす。

 接触テレパスであることを知った上で、富沢とみざわは触れ合う事を選択したのだ。これが彼なりの信頼の証である。


 何方どちらともつかず、手を離す。


「さて」

「帰るのか?」

「いや、銃を無くしたからな。これから局に戻って始末書を書く」

「働きすぎだろう。でも今夜は、あまり眠そうな顔をしていないな」

「生憎だが、眠い時ほど眠そうじゃなくなる顔なんだ。今、猛烈に眠い」

「不便な顔をしてるな」

「何とでも言え、生まれつきだ」


 彼は寝るまいとする努力が顔に出ると、目が覚めて見えるのだった。

 そんな富沢とみざわの肩を、真友まゆがツンツンと突く。


「ん? どうした真友まゆちゃん」

「はいっ」


 その手に彼の銃が返された。


「あれ!? え!?」


 清楓さやかが元気に種明しをする。


真友まゆの趣味は手品なんですよ」

「すっかり騙されてしまった……飛ばされた物だと」

「だって、これが無くなると困るでしょ? 拾われても大変だし」


 気が利くお嬢様に四人は笑い合った。



 今ここに孤独な者は一人もいない。



 一匹狼たちは、ついに群れを成す。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る