第5話 接触テレパス

 駅前の薬局に行き、祖父からもらった処方箋を使い調剤してもらって受け取る。

 抗生物質に炎症止めの三日分。どう考えても、かすり傷の清楓さやかに必要な物ではないように思えた。包帯もついでに買って帰宅する。


「ただいま」

「おかえり」


 このやり取り。


 些細な事だが、彼女はすごく憧れを持っていた。

 くすぐったくて、少し楽しい家族ごっこ。

 彼女は洗面所でパパっと手洗いとうがいをして、リビングに戻るが、黒いTシャツ一枚の男が不機嫌な顔をしている事に気付いた。


「どうしたの?」

「どうやら完全に失恋したみたいだ」


 清楓さやかから借りたパソコンで、メールのやり取りでもしていたのか、パタっとその画面を閉じる。

 男からは悲しさや残念さ、寂しさは全く見て取れず、ひたすら怒りを持っているという様子で、失恋した人間の態度とは到底、思えなかった。


「彼女、いたんだ」


 それ程、感情が籠っていない口調で少女が言うのを聞いて、男はふっと目線を清楓さやかに向ける。


「いなさそうか?」


 少女は数歩、男に近づくと、まじまじとその顔を見て考える。

 顔立ち良し、体型良し、頭も悪くなさそう。強いて言うなら、ちょっと貧乏そう? 我儘で強引なところは、甘えん坊な気もする。


「年上の女に、可愛がられるタイプ!」


 ビシっと指を突き付けて、宣言した。いきなり指を目の前に突き付けられて、窪崎くぼざきは一瞬ひどく驚いた顔をしたが、すぐに笑った。

 男はその突き付けられた指を右手で掴むと、続けて左手で彼女の二の腕を掴んで、清楓さやかを引き寄せた。足元のローテーブルに膝があたり、躓いた形になった彼女は、窪崎くぼざきに向かって倒れ込む。


「きゃっごめん」


 しかし男はそれを狙っていたようで、腕を掴んだままで間近になった少女の顔を、見つめる。

 彼女は思わず、先ほどの感想を反芻し、更に”荒っぽい”という意見を付け加えた。


「なるほど、それがお前の俺に対する印象か」


 清楓さやかは腕を振り払って起き上がると、ぱっと数歩分の距離を離れた。


――そうだ、この男は接触テレパス!


「勝手に人の心を読むのはどうかと思うの!」

「テレパスに、心を読まれない方法を教えてやろうか?」

「え? そんな事できるの?」

「できる」


 男はソファーに座ったまま、一旦距離を取った少女を軽く手招きする。抗いがたい好奇心が沸いて、清楓さやかは近づくと、ソファーの傍の床に膝をついて窪崎くぼざきを上目遣いで見る。

 今度は一切の強引さはなく、男はそっと清楓さやかの頬に優しく触れた。


「この怪我は?」

「かすり傷だから」

「ほら、出来た」

「え?」


 少女はきょとんとした顔をするしかない。


「何でもいいから、喋るといい。テレパスの思考は、耳から入る音の方が優先されるから。黙ってると読まれるぞ」

「そうなんだ」

「しかしなんで、こんな怪我を」

「駅前で、超能力の暴走事故があって」


 男は、少女から手を離すと腕を組み、少し考え事をする様子を見せた。


「大規模な?」

「うん、それなりに。現場に、スーツ姿の人が来てたよ」


 考え事をする窪崎くぼざきを見ていて、清楓さやかはふと、思い出す。彼に銃を突き付けていた男と、あの現場に来ていた短髪の男は似ていなかっただろうか。


「そこにいた奴の顔、覚えているか?」

「一人だけ、目が合ったよ」

「見せてもらってもいいか?」

「うん」


 清楓さやかの頬に、窪崎くぼざきの手が再び触れる。彼女は目を閉じて、記憶にある短髪の男の顔を思い浮かべた。


「ありがとう」

「どういたしまして?」


 男の顔を確認し終えた窪崎くぼざきだったが、その結果より、接触テレパスである自分に、素直に協力する清楓さやかの事が気になっていた。最近まで付き合っていた女は、触れられる事を嫌がり、触れる時は喋りっぱなしで、一切、心を読ませようとはしなかった。読むつもりでなくても、そこまで頑なになられては興醒めもいいところである。

 だが、テレパスに対しては大多数が拒否反応を示す。彼はそれを知っていて、ずっとその能力を伏せて生活していた。愛し合っていると思っていた彼女に、ついにそれを告白をした途端、態度をひるがえされて、かなり傷ついた。


 相手の気持ちより、己の保身に走る女。


 だが窪崎くぼざきにしても、最初はともかく最近は人脈作りに彼女を利用したかったという気持ちがあって、お互いが相手を利用し合っていたとも言えるだろう。

 だから手酷い裏切りの別れ方をしても、ただ腹が立つだけだという。

 だが、この少女は全く違う。接触テレパスと知った上でも態度は変わらず、まっすぐに飛び込んで来るのだ。戸惑いもあるがそれが心から嬉しいとも思えてしまう。この感情がとても新鮮で心地よさがある事に多少の戸惑いも感じてしまったが。


 そんな風に長々と考え事をしている間に、目の前から清楓さやかはいなくなっており、キッチンで昼食を作っていた。


「いつも自分の分だけだから、大したものは作れないの」


 男の前のローテーブルに置かれたのは、インスタントのコンソメスープとオムライス。卵の上にはケチャップで、”ポチ”と書いてある。

 清楓さやかは床にクッションを敷いて、ここでの食事に付き合うつもりのようだった。

 彼女の卵の上には、ハートマークがたくさん書いている。


「オムライスが好きなのか」

「ケチャップの味が好き」


 口の周りを真っ赤にして、子供のようにもぐもぐ食べる少女。

 食後に、先程処方された薬を男に差し出した。


「どうしたんだこれ」

「おじいちゃんに会いに行ったら処方してくれたんだけど、私の怪我にこの薬はいらなくない? でもポチにはいるでしょ?」


 ポチと再び呼ばれている事にも気づかず、窪崎くぼざきは少し考える。


「日夏友彦……」

「おじいちゃんを知ってるの?」

「知ってる」


 清楓さやかは意外そうな顔をした。医師と探偵に、接点があるとは思えなかったから。だが窪崎くぼざきは、これが自分のために処方されたという事を理解した。


――あのジジィめ。


「おじいちゃんって、もしかして非接触テレパスなのかなあ」

清楓さやかは、あからさまに顔に出るからだろう」

「えっ、出てる?」

「出てる」


 薬を飲む男の姿を見て、清楓さやかも自分の薬の事を思い出す。


「私も薬飲まなきゃ」

「何の?」

「持病があって。ヴィルケグリム症候群って知ってる?」

「知ってる」


 ヴィルケグリム症候群。人々に超能力が出現しだした頃、同時期にドイツ人医師によって発見された、脳細胞が変質する不治の病。超能力発現との因果関係も疑われ、長く研究の対象になっている。

 現在、薬によって進行を抑える事が出来るとされているが、それでも超能力を使いすぎると激しい頭痛が起こり、脳内出血の原因になる事も。

 致死性は低いが、障害が残る可能性がある。


 唯一の完治手段が脳の一部移植という、倫理観が振り切った方法のみ。しかも生きた脳を使う生体移植。人の死は脳死を以てとする現在、法律上の問題もあり、提供者が出る事も滅多にある事ではない。

 頭ははっきりしているが、他の体の機能が完全に停止しているなど、このまま生存を続けても、と言う状態になった人間が安楽死を望む交換条件として立候補する事があるが、たいてい家族が反対して実現しない。

 国内で手術が実施されたのは過去一例のみだという。


 彼はその一例を追っていた。


 窪崎匡裕くぼざきまさひろは本来、探偵などではない。ライザと同じ春日部超能力研究所に努めていた、元研究員である。


 いかなる立場になろうとも、その行動力と信念で、この男は一人でも真実にたどり着く強引なまでの強さを持っていて、利用できるものはすべて利用し尽くすつもりでいるという。


 彼は一人であっても、孤独をものともしない一匹の狼。


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