第21話 鹿児島行き優先搭乗
鹿児島行きの搭乗時刻が迫っていた。
私は受付横を通過してラウンジ隅へ向かう。こちら側には搭乗口近くに出られる一方通行のエスカレーターが設置されている。出口は白い壁と一体化した自動扉で、出た瞬間、搭乗口前の椅子に座った一般客に驚かれる。秘密の扉から出てくるせいで、空港関係者と間違われることもある。私もこれまでにトイレの場所を二度聞かれたものだ。
搭乗ゲートの地上係員がマイクのスイッチを入れる。
「お客様にお知らせいたします。鹿児島空港視界不良のため、条件付き運行となります。羽田空港への引き返しか、周辺空港への振り替えとなる可能性がございます。あらかじめご了承ください」
まあ、どうにもならない。幸い、スケジュール上、今日中に戻れれば問題はない。
ステイタス会員の優先搭乗が始まった。羽田伊丹路線ほどではないが、鹿児島路線でも常に十数名の資格保持者が並ぶ。顔見知りの県庁職員と目が合って会釈する。中央省庁や本社との連絡で多頻度ビジネス客は地方路線にも多いのだ。私が青いカードをかざしてゲートを通過したところで、一般客向けの搭乗案内がアナウンスされた。
機内では非常口席を予約してある。足下が広くて、満席でない限りは隣がいない。いつも通り、自分から非常口席の注意事項が書かれた札を持ち上げて、CAさんに挨拶を済ませる。こうしておけば、あとは目をつむっていてもかまわない。お互い手間は省いた方がいい。
非常口席の客は緊急脱出時の手伝いをする義務があるのだから、この後流される非常用ビデオを見るべきだという人もいるだろう。だが、数え切れないくらい見ている者としては、すっかり覚えてしまっているので問題はない。なんならCAさんの代わりに実演してもいいくらいだ。歌舞伎風にやってみせろと言われてもできる自信がある。一度、忘年会の余興でやったことがある。場が凍りついたのは言うまでもない。二度とお呼びがかかることはないから、そういう意味では役に立つ。
ただ、何度乗っても飛行機の揺れには慣れない。車の振動とは違って、やはり下方向に落ちる瞬間がある。彩佳さんの前で沙紀にからかわれたように私はビビリ性だ。さすがに漏らしたりはしないけれども。
だから、いつも席に着いたらさっさと眠ることにしている。眠っていれば怖くはない。経験的に、ラウンジでコーヒーを飲んでから搭乗すると、離陸するころにちょうどカフェインの揺り戻しで眠くなるのを知っている。羽田空港は特に広いから、飛行機が離陸ポイントに移動するまでに確実に眠れる。
先に乗っても早く着くわけじゃないと、優先搭乗に並ぶ多頻度客を笑う人がいるが、こういう事情もあるのだ。
だが、今日は眠気がやってこない。いくら目を閉じても、暗闇の中に彼女の笑顔が浮かんできてしまう。よけいな回想をしてしまったのが良くなかったのだろうか。
先に伝えておきたいことがある。
この物語の続きには救いがない。
水無月彩佳という女性は死んでしまう。
都合良くよみがえったり、実は生きていましたなんてことはない。
瓜二つの人が現れることもないし、時空がねじれて過去に戻ることもない。
悪魔と取引をして死後の世界に連れていってもらえるわけでもない。
そもそもそんな御都合主義の悪魔すら存在しないのが現実というものの残酷さなのだ。
取り引きできるなら、いくらでも捧げよう。
私にはもう魂など必要ないのだから。
私の経験したことは現実の残酷さを知らしめるだけの物語なのだ。
もしそれが嫌なら、私の話はこれで終わりでかまわない。
私は魔法を知らない。
あの廃校の夜、彩佳さんと二人で星空を見上げたとき、『今、この瞬間を永遠に変える魔法なんて僕は知らない』と思ったように。
そんな魔法なんてどこにもない。
残念ながら私の映画に青汁を飲んだ彼女が踊り出す場面は一度も出てこなかった。
それでも私は期待してしまう。
踊り出してくれ。
夢であったと言ってくれ。
だが、夢ではないし、夢であったとしても覚めることのない悪夢なのだ。
鹿児島まで二時間。
救いのない物語にはちょうどいい時間だ。
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