第13話 8月4日(土) 伊佐市花火大会
夕方、バスセンターで待ち合わせて僕らは菱刈に向かった。夏祭りの時と同じ浴衣だったけど、何度見てもいい。綺麗どころ二人を従える僕のことを他の乗客が不思議そうに見ている。
花火大会会場へ続く一本道の国道はずっと渋滞していた。渋滞するのは年に一度この日だけだ。座席は空いていなかったから僕ら三人はずっと立っていた。なかなかバスが進まなくて疲れないか心配したけど、沙紀はずっと上機嫌で、彩佳さんも微笑みを浮かべている。たまにあくびを浮かべてあわてて手で隠す仕草がかわいらしい。
「昨日ね、沙紀ちゃん、ずっと大知君のこと話してたんだよ。四月に出会ったときからの二人のヒストリー。もう、全然寝かせてくれないんだもん」
「そりゃお気の毒に」
「何、ねたみ?」と沙紀が顔をねじ込む。
「いいえ、師匠の教えをぜひ今後の参考にさせていただきます」
「イヤミな男はモテないぞ」
「はいそうですか」
「爆発しろとか思ってる?」
乗客が僕らの方を見る。ここでそんな話題出すなよ。
だいぶ暗くなってきた頃にバスがようやく会場に到着して、僕は二人を大知の家のブルーベリー農園に案内した。人の流れと反対に進んでいくと、空き地に一つだけ灯った小さな明かりの中に外国製の自転車が止まっているのが見えた。沙紀が走り出す。
「沙紀ちゃん、うれしくてしかたがないんだね」と彩佳さんが微笑む。
「転ぶなよ」
言ってるそばから下駄に石が入って片足で跳ねている。娘を見守る父親目線になっている自分が馬鹿みたいだ。
「なんだか私たちが沙紀ちゃんのお父さんお母さんみたいだね」
「へっ?」
隣で彩佳さんまでそんなことを言い出して思わず声が裏返ってしまった。
「おう、来たか」
僕らの声を聞きつけたのか農園の入り口に大知が出てきた。沙紀がいきなり抱きつく。
「おう。ほら、二人が見てるだろ」
「ねえ、浴衣どう?」
「この前と同じだろ」
「ちゃんと見てよ」
「くっついてたら見えねえよ」
沙紀が口をとがらせて一歩跳び退く。
「どうよ?」
大知が頭をかきながらつぶやく。
「かわいいぞ」
沙紀は胸の前で手を叩きながら喜んでいる。
こんな沙紀は見たことがない。
僕の隣で彩佳さんがそっとささやく。
「沙紀ちゃんがあんなに恋愛に夢中になるタイプだとは思わなかったね」
僕も同意だ。すっかり僕の知らない沙紀だ。お父さん気分になるのが嫌だ。
農場の中にはアウトドア用のテーブルが置かれていて、その上でランタンの光が揺れている。花火鑑賞の邪魔にならない程度の小さなものだ。
「今村、ブルーベリー食べるか」
ランタンの陰に隠れていたお皿を僕らの方に出す。山盛りのブルーベリーだ。
「このまま食べるの?」
「洗ってあるから大丈夫だ」
ヨーグルトとかないかって意味なんだけど、まあ、遠慮して気を悪くするといけないからごちそうになる。
「あ、うまいね」
僕の声に彩佳さんと沙紀も手を出す。
「うん、甘くておいしい」
「酸味もマイルドだね」
一度食べ始めると止まらない。
「帰りにお土産に持って帰ってくれよ」
「パイ作るって約束だもんね」と沙紀が大知の腕に絡みつく。
夜空が明るくなった。
一発目の花火が上がっていた。大輪の花が開いてそれを見上げる彩佳さんの顔が照らし出される。次の瞬間、ドンと腹に響く音が轟いた。
音の伝わる早さは秒速三百何十メートルとかいう理科の勉強を思い出した。
「おう」
「わあ、大きいね」
「すごい!」
沙紀はテーブルの向こうに回って大知の隣に寄り添っている。僕は彩佳さんと二人だ。
「きれいだね、カズ君」
彩佳さんが僕を見ている。何か言わなくてはと思ったけど、言葉が出ない。
「音が遅れて聞こえてくるね」
つまらないことを言ってしまった。
次の花火が打ち上がる。火の玉が上がり、大輪の花が音もなく天に咲く。一瞬置いて、彩佳さんが空に向かって叫んだ。
「伊佐、好きー!」
花火の爆発音が彼女の声に重なる。沙紀達には聞こえないだろう。僕にしか聞こえないメッセージだ。
彩佳さんが僕の方を向いてからまた空を見上げる。
もう一発上がる。
天空から爆音が遅れて舞い降りる瞬間、また彼女が叫んだ。
「伊佐よりも好きー?」
なんで疑問形?
何の疑問?
彩佳さんが僕をじっと見つめている。
次の一発が上がる。そうか今度は僕の番か。
「伊佐もいーさー」
早すぎて間抜けな叫び声が夜空に響く。彩佳さんの眉間にしわが寄る。その瞬間、叱りつけるような爆音が僕の頭を押さえつけた。
「えー、ここで、それ……」
ダメだこわい。滝に飛び込む方がましだ。
伊佐よりも君が好きだ。
そんなこと言えるわけがない。
連発で花火が上がって空一面に花開く。見上げていたら脇腹をつつかれた。
「うわっ」
「おしおきだよ」
彼女の方に振り向いたとき、手が触れてしまった。僕は思わず手を引っ込めた。
テーブルの向こうでは沙紀がしっかりと大知の手を握っていた。
僕はもう花火を見てはいなかった。見ていられなかった。自分の勇気のなさを手の中に握りつぶしていた。
隣で花火を見上げていた彩佳さんがそんな僕の様子に気づいたのか、そっと寄り添ってくれた。
「カズ君、ありがとうね」
「何が?」
「沙紀ちゃんのこととか、いろんなこと。いろいろ楽しかったよ」
「それはよかった」
これからももっといろいろなことをやろうよ。そんな一言すら言えなかった。
彼女が何か言おうとしたとき、連発花火の破裂音が轟き渡った。
「カズ君、好き」
空耳だ。
何も聞こえない。
彼女の口の動きがそう言っていたような気がしただけだ。僕の勝手な妄想だ。
色とりどりの大輪の花が次から次へ花開き、レーザー光線が空を駆け巡る。
豪華絢爛な光のショーに沙紀が飛び跳ねて喜んでいる。
彩佳さんが巾着の中をのぞき込む。スマホの画面がついていた。
メッセージを確認したままじっと画面を見つめている。天空の花火よりも重要なメッセージなんだろうか。両手で返信を入力してうつむきながら巾着にスマホをしまう。
彩佳さんが僕に向かって目を細めながら言った。
音が遅れて聞こえてきたような気がした。
「明後日、千葉に帰ることになったの」
僕の思考を吹き飛ばすように十数連発の花火が打ち上がる。
僕の夏が散華した。
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