第12話 8月3日(金) 思い出の場所
明日の土曜日は伊佐市花火大会だ。花火だけでなく、レーザー光線の演出もあって、派手に夜空を彩るかなり大がかりなイベントだ。毎年街の人口を超える大勢の見物客で賑わっていて、今年は大知の住んでいる菱刈地区で行われる。
人込みの苦手な僕はお祭り同様、沙紀に誘われても見に行ったことはなかった。今回は沙紀と大知をくっつけて、みんなで楽しみたかった。でも、四人の関係がバラバラだ。今の状態では無理な話だった。
月曜日に沙紀と話してから、台風が接近して三日間外出はできなかった。
その間やっぱり僕は彩佳さんに連絡ができなかった。沙紀との話し合いで彼女の行動に対してのわだかまりは消えていたけれど、いざ連絡を入れてみようとしても、何を言って良いのか分からない。彼女にとって僕は『イトコの同級生』以外の何者でもないのだ。彼女の真意を尋ねようとしても、親しくもない人に心の奥までのぞかれたくないと言われたらそれまでだ。
僕はまた不安に駆られていた。沙紀は応援していると言ってくれた。だけど、行動を起こすのは僕だ。やはりこわい。
そんなつもりで接していたわけじゃないの。
思わせぶりな態度で勘違いさせてごめんなさい。
彼女のことを思い浮かべても、そんなセリフしか想像できない。
横殴りの雨が窓を叩きつけていた。僕は枕に顔を埋めて何も考えないようにしていた。でも、目をつむると彩佳さんの顔が思い浮かんでしまう。
好きなんだ。
どうやっても自分の気持ちを誤魔化すことはできなかった。
相変わらず大知からも連絡はなかった。沙紀に対してだけでなく、僕に対しても返信がないのはおかしい。ゲームなどの話題を向けても返信がないのは異常だ。怪我で入院したのかとか、最悪のことを想像したりしたけど、いくら一人で考えてもどうにもならないことだった。
いろんなことが同時にねじれていた。でも、花火大会までにできるだけのことをしなくてはならない。時間はなかった。僕は一つ一つ絡まった糸をほぐしていくことにした。
台風は木曜日の夜中に大隅半島に上陸して高知県沖に通過していった。翌日金曜日、僕は大知に会いにいくことにした。住所は知らなかったけど、スマホで菱刈のブルーベリー農園を検索すると、猪原農園がヒットした。
自転車で二十分ほどの距離だ。それほど遠いわけではない。ブルーベリー農園まで行けば何か分かるだろう。僕は菱刈へ向かった。
国道を南下していくと、花火大会の誘導看板が設置されていた。ガラッパ公園というカッパの石像が並んでいる公園がメイン会場になっていて、屋台や観覧席の準備が着々と進んでいるようだった。その少し先に『ブルーベリー摘み猪原農園』の看板が出ていた。
脇道を入って農家の並ぶ集落を抜けたところに広い空き地があって、目立つ紫色の板を組み合わせた看板が設置されていた。空き地は駐車場になっていて軽トラックとミニバンが数台止まっていた。県外ナンバーも一台ある。空き地の奥の目の高さくらいの生け垣に囲まれた区画がブルーベリー農園だった。
入り口脇にはガラス戸のついた小屋があった。中に人はいない。農園をのぞいてみても人の気配がない。車があるから誰かいそうなものだけど、しんと静まりかえっていて、蝉の声しかしない。ふと、小屋の窓にメモ書きが掲示されているのが目に入った。
『不在の際はこちらへご連絡ください』
携帯の電話番号と菱刈の住所だった。僕はスマホでそれを撮影して、自転車をこぎ出した。国道まで戻ったところでいったん止まって住所検索した。それは田んぼの真ん中の一軒家だった。
国道脇の緑一面の田んぼの中に一筋の農道が延びている。田んぼの向こうには遠くからでも大きな門が目立つお屋敷が見える。真夏の日差しを弾き飛ばす勢いで僕は必死にペダルをこいだ。
ようやくたどりついた猪原の家はこのあたりの農家の中でもかなり大きな屋敷だった。敷地のまわりには堀が巡らされていて水が満たされている。水草の陰で金魚や黒い鯉が泳いでいた。黒板塀の上には古そうな土蔵が顔を出している。屋根付きの門にはうねるような松の木がかぶさっていて、表札には確かに『猪原』と書いてあった。
自転車を止めて、開いている通用口から中をのぞくと、二階建ての母屋の隣に農機具の並ぶ納屋があって、見覚えのある外国ブランドの自転車が止まっている。間違いない、大知の家だ。
母屋には縁側が伸びていて、大広間が庭に面している。ここの写真を撮って見せられたら料亭や旅館と間違えそうな立派な建物だ。奥の庭園には橋の架かった池まである。どの植木もきちんと刈り込まれていて、石灯籠の横では百日紅の花が咲いていた。
なんだよこれ、大豪邸じゃないか。昔の豪族の屋敷みたいだ。
勝手に入ってもいいのか迷ったけど、知り合いなんだし、会いに来たんだから遠慮してもしょうがないと覚悟を決めて中に入った。幸い武士や忍者は出てこないようだ。
母屋の玄関脇には間口の広さには似合わない安っぽい呼び鈴がついている。押すと奥の方でピンコンと昭和を感じる音が聞こえた。反応はない。もう一度押す。ピンコン。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか」
奥の方からようやく足音が聞こえた。磨りガラスの引き戸が開く。大知だ。
「お、なんだよ、今村かよ」
寝癖のついた髪をなでつけながら僕を見おろす。Tシャツ短パン姿で昼寝をしていたらしい。見たところ怪我をしている様子もない。
「ここがよく分かったな」
単刀直入に用件を言った。
「お祭りの時に何があったんだよ」
「べつに何も」
Tシャツの中に手を入れて腹をかきむしりながら面倒くさそうな態度で話す。
「何もって、先輩達に呼び出されて、何もなかったの?」
「本当になんにもねえよ。先輩達に皆川のことで文句を言われたからよ、本気でつきあいたいんで俺のことは気の済むようにしてくださいって頭下げたんだ」
直球勝負だな。
「そしたら先輩達も納得してさ。お前がそう言うなら、頑張れやって言ってくれたさ」
何だよ。全然心配することなかったのか。
いや、むしろ、変じゃないか。
「じゃあ、なんで、あれから何も連絡がないんだよ。あの日も戻ってこなかったし」
「戻ったさ」
どういうことだよ。
「話はそれだけだ。じゃあな」
大知が扉を閉めようとした。僕はあわてて体を半分ねじ込んだ。
「先輩達には、本気でつきあいたいって言ったんだろ」
「そのときは、な」
「じゃあ、なんで」
「見たんだよ」
大知がうつむいて黙り込んだ。僕は次の言葉を待った。大知が鼻をすすってポツリとつぶやいた。
「皆川がお前の背中をつかんで泣いてたのを、よ」
ああ、あのときか。
こめかみが痙攣する。急に血の気が引いて頭がぼんやりする。
誤解じゃないか。
それは大知の話をしていたからじゃないか。
大知のことが好きだっていう話をしていたときだからじゃないか。
沙紀が自分で伝えると言っていたけど、約束を守っている場合ではなかった。
こんな誤解で沙紀を悲しませるわけにはいかない。
「違うんだよ。聞いてくれ」
「何だよ、ノロケ話か」
「あいつは大知のことが好きなんだよ」
「でまかせ言うなよ」
「あのとき、ほら、彩佳さんに大知のことをどう思うかって聞かれたじゃないか。あのとき、正直に好きだって言えなかったことをあいつは悔やんでいたんだよ。大知にも自分にも嘘をついたことになって、それが悔しいって、あいつはそれで泣いてたんだよ」
大知は黙っていた。
「僕もその時初めて聞いたんだ。あいつ、四月に初めて大知と話したときからずっと大知のことが好きだったんだってよ。ずっと大知と仲良くなるチャンスを待ってたんだってさ」
「もういいよ。いまさら」
「なんでだよ。お互いの気持ちが分かったんだから、もう隠すことないだろ。照れることないじゃないか。ストレートに自分の気持ちを伝えろよ」
「できるかよ、そんなこと」
「なんで?」
「皆川が好きなのはお前だろ」
僕?
何言ってるんだよ、大知。
「だから、それは誤解だって」
「誤解じゃない。嫉妬だ」
嫉妬?
「だから、そうじゃないって。沙紀が好きなのは僕じゃなくて大知だよ。嫉妬なんか関係ないだろ」
「今村、調子に乗るなよ。余裕かましやがって」
大知が僕を玄関から押し出そうとする。僕はとっさに腕をつかんで逆に大知を引っ張り出した。引き戸に体をぶつけながら大知がまぶしそうに目を細める。
「もういいんだよ。俺は自信ねえよ」
何を言ってるんだよ?
自信? 余裕?
僕にもそんなものないぞ。
大知が後ろ手に引き戸を閉めて寄りかかる。僕は腕を放した。
「お前みたいに皆川と仲良くなる自信なんかねえよ。皆川が好きなのはお前だよ。それでいいじゃねえか」
「馬鹿にするなよ!」
僕は怒鳴った。沙紀を馬鹿にするなよ。
「沙紀はそんなやつじゃないだろ。沙紀の気持ちを台無しにするやつは許さないよ。あいつは本気なんだよ。本気の相手はお前だよ、大知」
大知が顔を背ける。僕は回り込んだ。逃がすつもりはなかった。
「沙紀が本気で大知のことを好きなのは僕が一番知っているよ。そうだよ、僕だよ。沙紀のことを一番知っているのは僕だよ。大知の何百倍もよく知ってるよ。うらやましいだろ。これからだって絶対に追いつけないくらいいろんな事を知ってるさ。あんな事もこんな事もみんな知ってるさ。お前なんか沙紀のことをなんにも知らないだろ。そうだよ、おまえは沙紀の良さを何も分かってないんだよ」
大知がぎゅっと目をつむる。そうやって目をつむって見えないことにして、なんでも都合の悪いことを誤魔化してきたんだろう。そうやって自分の弱さから逃げてきたんだろう。だけど、だからってそれを沙紀のせいにするのは許せなかった。僕は大知を許せなかった。
「沙紀はまっすぐで裏表がなくて、嘘がつけなくて、いつも僕に優しかったよ。そうだよ、沙紀はそういう女の子だよ。だから、沙紀の気持ちに本気で向き合ってくれよ。嘘をついているのは大知の方じゃないかよ。好きなくせに本気で奪い取る勇気がないからビビッてるんだろ。本当の気持ちを誤魔化して沙紀のせいにして、自分だけカッコつけようとしているんだろ」
僕は大知の腕をつかんで揺さぶった。目を閉じたままの大知に突き飛ばされて尻餅をついた。砂利がお尻に食い込んで痛い。しかもけっこう微妙なところにはまった。僕はお尻を押さえながら何とか立ち上がった。食い込んだ砂利をはたいて落とす。
「頼むよ。沙紀の話を聞いてやってくれよ」
僕は頭を下げた。自分の膝が真っ正面に見えるくらい頭を下げた。だんだん血が頭にたまってきて気持ち悪くなってきた。ふらふらになって、前のめりになって、大知の股間につっこんでしまった。
「てめえ、馬鹿かよ」
「馬鹿だよ。馬鹿でけっこうだよ。沙紀のためなら何でもするぞ。沙紀のためなら馬鹿になれるよ。お前はなれるか! 沙紀のために馬鹿になれるのかよ」
大知は僕の胸ぐらをつかんで持ち上げる。つま先立ちになって僕は大知をにらみつけた。大知も僕をにらみ返す。
「帰れよ」
「沙紀の話を聞いてやってくれよ。一度でも好きになったんだったら、直接あいつの話を聞いてやってくれよ。それでもあいつを信じられないっていうなら、僕も納得するよ」
「殴るぞ」
「殴れよ」
勢いで言ってしまったものの痛いのは嫌だった。顔色に出てしまったのか、大知が鼻で笑う。
「臆病者が」
おまえが言うなよ。
大知は僕を放り出して尻ポケットからスマホを取り出すと太い指でメッセージを打ち始めた。
送信するとすぐに返事が来る。また送信。すぐにまたスマホが鳴る。
『話がある』
『なに(ハートマーク)』
『今すぐ会いたい』
『待ってる(ハートマーク)』
スマホを僕に向けながら大知がつぶやく。
「なあ、あいつの家、教えてくれ」
それを僕に聞くのかよ。馬鹿にはかなわないな。
「僕の家のすぐそばだよ」
「じゃあ、一緒に来てくれ」
大知は自転車を取ってきて、大きな門から外に出た。僕も自転車にまたがって後についていった。大知の自転車は速い。おいて行かれそうになるのを必死に食らいついていった。
自転車をこぎながら僕は少しほっとしていた。大知に殴られなくて済んだし、二人の関係が進展しそうだったからだ。同時に、まだ不安もあった。
沙紀にはまず大知への気持ちをしゃべってしまったことを詫びるつもりだった。誤解を解くためとはいえ、自分の気持ちは自分で伝えたかっただろう。
彩佳さんにも聞きたいことをまだ確かめていなかった。結果的にうまくいきそうだけど、二人の関係をぶちこわしそうなことをなんで言ったのか。彩佳さんがそういうことをしがちな人だというのなら、僕は彼女のことを好きになれそうにはなかった。でも、そこに理由があるのなら、彼女の奥に隠されたその何かを知りたかった。
僕らの住む大口地区まで戻ってきたとき、ポケットの中でスマホが震えた。先へ進もうとする大知に僕は後ろから声をかけた。
「待って、大知」
僕がブレーキをかけると大知も止まって振り向く。
「なんだよ。急げよ」
僕はスマホを取り出してメッセージを確認した。
彩佳さんだ。
『思い出の場所』
二人の思い出の場所だ。
家で待ってるんじゃない。
「大知、そっちじゃない」
僕は丘を指した。
桜の名所忠元公園だ。
思った通りだった。
駐輪場には見覚えのある白と赤の自転車が止められていた。自転車をおいて僕らも丘を駆け上がる。
今、桜並木は猛暑の日差しを遮るのには物足りない薄い影を投げかけるだけで、華やかさもなければメジロも鳴いていない。セミのけだるい鳴き声だけが響いている。でも、大知は迷わず思い出の場所へ向かって走っていく。僕も追いかけたけど、大知のスピードにはついていけなかった。脇腹が痛む。でも立ち止まるわけにはいかなかった。
沙紀と彩佳さんがいた。葉桜の木陰で二人並んで伊佐の街を眺めていた。
やっぱりここにいたんだ。沙紀と大知の思い出の場所だ。
大知が立ち止まったまま動かない。僕が追いついて背中を押してやっても、前に出ようとしない。ここまで来てそれかよ。
「話をするんだろ。自分でやらなきゃ意味がないだろ。当たって砕けろ。砕け散れ」
弱気なおまえなんか砕け散ってしまえ。
「お、おう」
二人に歩み寄る大知の後ろから僕もついていった。
「皆川」
声をかけると二人が振り向いた。
沙紀はキュロットにシンプルなカットソー。彩佳さんはデニム生地のワンピース。二人ともおそろいのサンダルだ。よく見ると細いストラップの色だけ違っている。
Tシャツ短パンの大知は自分の格好なんて気づいていないようだった。
沙紀は何も言わずに大知を見ている。彩佳さんが二人の邪魔にならないように静かに僕の方に歩み寄ってきた。
ヒントをくれてありがとう。
僕は目でお礼を言った。
彼女も微笑んでうなずいてくれた。
大知はなかなかしゃべろうとしない。臆病者が。僕はさっき言われた言葉を心の中でお返しした。
先に話を切り出したのは沙紀の方だった。しかも、僕にだった。
「カズアキ、ありがとうね」
「あ、うん。あのさ」
気持ちをバラしてしまったことを詫びようとする僕に沙紀は首を振った。
「いいの、ありがとう」
沙紀は柔らかな笑みを浮かべてうなずいていた。
「ここだって、よく分かったね」
「まあ、だろうなって思ってさ」
彩佳さんは何も知らないふりで葉桜を見上げている。
沙紀がうつむいている大知に歩み寄って正面に立つ。猫背の熊を見上げて沙紀が言った言葉は僕が予想もしないことだった。
「あたしカズアキのこと好きだよ」
え?
何言ってるんだよ。
なんで今それを大知に言うんだよ。
まん丸になった大知の目を見つめながら沙紀が続けた。
「いまさらコイツのこと嫌いになれない。だってカズアキがいいやつだってことはヤマト君だって知ってるでしょ。今までさんざんコイツの世話してきたし、世話になってきたし、そういうのも全部ひっくるめて今のあたしなんだもん」
僕が大知に言ったことと同じだった。僕が沙紀に対して思っていたことと沙紀が僕に対して思っていたことが同じだった。
大知の嫉妬も織り込み済みって事か。
「ねえ、あたしじゃダメかな?」
沙紀が軽く首をかしげて大知に尋ねた。
一度空を見上げてぎゅっと目を閉じると、大知がゆっくりと頭を下げた。
「俺の醜い嫉妬で嫌な思いをさせてしまった。すまん」
起き直った大知は沙紀をじっと見つめてはっきりと告げた。
「俺は、皆川、お前が好きだ」
沙紀の横顔が輝く。こんなに柔和な表情は今まで見たことがなかった。僕の知らない沙紀がいる。
「もう逃げたりしない。誤魔化したりしない。正直になる。隠し事はしない。全部さらけ出す。だから、皆川、お前のそばにいさせてくれ」
沙紀がうなずく。
「俺、おまえのこと、本気だから」
「わかった。ありがと」
沙紀が大知に抱きついた。
夢の国で黄色い熊に抱きついている女の子みたいだ。いや、熊と相撲してる金太郎か。
ふと彩佳さんを見ると、二人の様子をうれしそうに見つめていた。僕の視線に気づいて、静かにうなずいてくれた。
ほっとしたような表情の大知に対して、沙紀がにらみつけるような表情で見上げた。
「好きだって言ってくれるの、もうずっと待ってたんだからね。待ちくたびれたよ」
「ごめんな。もう待たせないから」
「あたしが呼んだらすぐ来てくれる?」
「おう」
「真夜中に寂しくなったらすぐ来てくれる?」
「おう」
「スマホに連絡したら即レスだよ」
「おう」
「あたしけっこう甘えん坊だよ」
「お、おう」
は? 沙紀が甘えん坊?
まさか。何言ってんだよ。
沙紀が僕の方をチラリと見た。
「あんた、あたしのこと全然分かってないでしょ」
そうだな。甘えん坊な沙紀なんて見たことがない。沙紀が大知から離れて一歩下がる。
「こんなあたし見せるの、ヤマト君が初めてだからね。よく見ててよ」
大知が頭を下げる。
「すまなかった。今までの分、何でもするよ」
「じゃあ、おんぶして」
「おう」
大知が沙紀に背中を向けてしゃがむ。勢いよく乗っかると、大知の背中に胸を押しつけて抱きつく。立ち上がった大知の背中で、騎馬戦の大将みたいに僕らを見おろす。彩佳さんが微笑みながら手を振ると、沙紀もVサインを出して喜んでいる。
まあ確かに大勝利か。ずっと待ってたんだもんな、この瞬間を。
「次は抱っこして。お姫様抱っこ」
大知がしゃがんで降ろすと沙紀は前に回り込んだ。大知は戸惑いながらも軽々と抱き上げる。大知の首に腕を回しながら沙紀が僕を見る。
「へへ、うらやましいだろ」
大知が左右に腰を回転させる。安定していて乗り心地が良さそうだ。
夢の国のアトラクションかよ。
犬を散歩させている人たちが二人の様子を見て笑っている。僕と彩佳さんが隣にいるせいか、単に仲間同士でふざけてやってるみたいに思われているらしい。ホントにこいつら甘アマなんですと叫びたくなる。なんなら防災無線で街中に放送してやってもいい。
甘いの苦手なくせに、甘すぎるぞ、大知。
心の中でつっこんでいた僕の表情を読んだのか沙紀が言った。
「なによ、あんたもやってほしいの?」
「なんでだよ」
彩佳さんがつぶやく。
「いいなあ、沙紀ちゃん。うらやましいな」
うん、僕も大知がうらやましい。彩佳さんにあんな事してあげられない。今日から筋トレすれば間に合うだろうか。明日からでもいいか。
お姫様気分をたっぷり楽しんで降りると、沙紀は大知と向き合った。
「じゃあ、もう一つ」
「おう」
「今ここでキスして見せて」
「お、今?」
「二人の前で誓いのキスをしてよ。あんた達、証人だからね」と沙紀が僕らの方を向く。
証人て。何言ってるんだよ、おい。
大知の目がまん丸だ。メジロみたいだな。
「こいつが浮気したり、あたしのことを振ったりしたら、うちらで集まって裁判しようね。二人とも証人……。何て言うんだっけ。証人カモン?」
フレンドリーだな。
まあ、呼び出していることに間違いはない。
「証人喚問だろ」と大知もつっこむ。
つっこむところはそこじゃないだろ。名コンビだな。
彩佳さんが困り顔で言った。
「私も千葉から来るの?」
「うん、交通費はこいつに請求して呼び出しだよ」
「お、おう」
大知が彩佳さんに頭を下げる。
だからそこは真面目に受け取るところじゃないって。
沙紀が顔を上げて目を閉じた。
大知は真っ直ぐに顔を近づけた。
僕は隣の彩佳さんを見た。彼女も僕を見ていた。彼女の目もまん丸だった。
僕らは証人として二人の儀式を見届けるしかなかった。
時が止まったように感じられた。いつまでくっついてるんだよ、おい。
酸欠で死ぬレベルじゃないか。
ようやく離れると、沙紀が歩み寄ってきて、僕らの肩に手を置いた。
「さて、明日の花火大会が楽しみだね」
「よかったね、沙紀ちゃん」
彩佳さんが沙紀に抱きついて喜んでいた。素敵な笑顔だな、と僕は見とれてしまった。
彩佳さんに対するわだかまりも消えていた。彼女も僕と同じように、沙紀のために頑張ってくれたのだ。自分のことのように喜んでいる彩佳さんの姿を見て、僕は改めて彼女のことを愛おしく思った。
いつのまにか大知が僕の隣にいた。肩をがっちりとつかまれる。
「おう、ありがとうよ」
「よかったね」
「お前も、俺を参考にしろよ」
何を調子こいてるんだよ。参考にならないよ。
でも、これで明日の花火大会を思いっきり楽しむことができる。頑張って良かった。
大知が沙紀に声をかけた。
「俺のところのブルーベリー農園から花火がよく見えるから、明日はみんなで見に来てくれよ」
「やったあ。浴衣着ていこうね、彩佳」
「自転車で大丈夫なのか」と僕は気になって尋ねた。
「バスで行けばいいじゃん」
なるほど。普段使わないから思いもしなかった。
「あんたは一人で自転車で行けば」
「一緒にバスで行かせてください」
「まあ、いいけど」
沙紀がわざとらしく胸を張る。
「ヤマト君、今度はちゃんとあたしの浴衣姿ほめてよ」
「お、おう」
甘えん坊だな。
葉桜並木の揺れる影の中で僕の知らない沙紀が大知に寄り添っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます