第9話 7月25日(水) 水曜日の補習

 翌朝、沙紀からスマホに連絡が入っていた。

 彩佳さんが具合が悪いから今日は沙紀の家で休んでいるというメッセージだった。

 昨日はあんなに元気だったのに。やっぱり暑い中を連れ回したのが良くなかったのか。

 僕は心配になって高校へ行ってみた。補習の沙紀に直接様子を尋ねたかったからだ。

 教室には大知がいた。

 僕は廃校でお弁当を食べた話をして、夏祭りには一緒に行こうと誘ってみた。

「勝手に行ったら、気を悪くするんじゃないか」

 相変わらず弱気なことを言う男だ。さすがの僕でも少し苛立つ気持ちがわいてくる。

「沙紀がみんなで遊ぼうって言ってたんだよ」

「社交辞令ってやつだろ。俺とお前が友達だから、ついでのおまけってことだ」

「そんなこと気にしてたらいつまでたっても沙紀と仲良くなれないだろ」

「今村、おまえ、けっこう攻めるタイプだな」

「そんなことないよ。大知が弱気すぎるだけだよ」

 僕は早く告白しちゃえとけしかけてみた。大知が顔を赤くして首を振る。

「じゃあ、いつ本気出すんだよ」

「今じゃない、いつか。俺も知らないいつか」

「早くしないと誰かに取られちゃうんじゃないの?」

 今までずっと僕と一緒だったから、周りの連中は沙紀が僕とつきあっているものだと思い込んでいたのだろう。それでみんなが沙紀に手を出さなかったとするなら、きっかけさえあれば、争奪戦が始まるんじゃないだろうか。

 大知が腕組みをしながら目を閉じる。

「なあ、告白ってどうしたらいいんだ?」

 僕も知らないや。

「どうするも何も、好きだって一言言えばいいだけなんじゃないの?」

「だからそんなことできないって。言っても一言『ゴメンなさい』で終わりだろ」

 終わる前提しかないのかよ。

「俺ダブりだから、振られたら中退するよ。学校どころかこの街にいられないだろ」

「そんなことないよ。僕らは菱刈の方にはあんまり行かないから」

「そういうツッコミじゃねえだろ」と冷めた目で僕をにらみつける。

 怒るなよ。僕じゃなくて、自分の問題だろ。

 普段本気を出していないやつが急に本気なんか出せないという当たり前の現実を突きつけられてしまう。大知はそうやって何でも後回しにして生きてきたのか。勉強もそうだし、沙紀のこともその程度なのかよ。両方とも後がない。全然お後がよろしくない。

 予鈴が鳴って沙紀が駆け込んでくる。

「あら、またあんた来たの?」

「うん、おはよう」

「ヤマト君もおはよう」

「お、おう」

 僕は彩佳さんの様子を尋ねた。

「あのねえ」

 沙紀があきれたような顔で僕を教室から追い出そうとする。おいおい、なんだよ。

 廊下に出て、沙紀が小声で言う。

「モテないからって、これはダメだわ」

 女の子の事情だから心配するなと怒られてしまった。

「保健の授業で知識くらいあるでしょ」

 正直、男の僕にはよく分からない。まさに教科書だけの知識だ。

「彩佳はけっこう重いみたいね。人によるよ。まあ、昨日の疲れとかもあるのかもね」

「全然分からなかったな」

「あんたホントに女の子のことなんにも知らないよね」

 確かにそんなこと気にしたこともなかった。

「中学の頃だって、他の男子なんかさ、けっこうあからさまに女子のことからかったりしてたよ。やな連中だと思ってたけどね」

「そうだったんだ」

 巨乳のことばかりじゃなかったんだな。

「あたしなんか、軽い方だから一緒にいても気づかなかったのかもね」

 初めて知った。

「重い子、けっこういるよ。うちのクラスでもトモりんとか、ケーちゃんとか」

「おい、そんな他人の秘密、言わなくていいよ」

「ごめん、あたし、デリカシーないかな」

「聞かなかったことにするよ」

「まあ、あんたも彩佳のこと、何も知らないふりしてなよ。明日か明後日には大丈夫じゃないかな」

 沙紀に背中を叩かれた。

「あんた、背中丸いよ。しゃきっとしなよ」

 気がつかないうちに、自分の情けなさに落ち込んでいたらしい。気を取り直して背筋を伸ばすと沙紀がそっと教えてくれた。

「彩佳ね、遊びすぎて疲れちゃったって。あんなに楽しかったのは久しぶりだってさ。具合悪そうだったのに、うれしそうだったよ」

 そう言ってもらえたのは正直うれしい。

 ニヤけてしまったせいか、また背中を叩かれた。

「あんたってさ、草食系どころか夏バテ系男子かと思ってたけど、意外とグイグイいくタイプなんだね。見てておもしろいわぁ」

「そっちが世話してくれって頼んだんじゃないかよ」

「はぁい、これからもよろしくお願いしますよ」

 茶化されたのは悔しいけど、大知に夏祭りのことを伝えたと言ったら、それもほめてくれた。

「ありがとね。私からも言っておくよ」

「大知のやつ、遠慮してたからさ」

「なんで」

「僕のおまけとして誘ってるんじゃないかって」

「あんたの方がおまけだよね」

「ひどいな」

 補習の先生がやってきた。じゃあねと片目をつむって沙紀が教室に戻っていく。

 まあ、沙紀のご機嫌が直って良かった。

 僕は図書室で宿題をやるために渡り廊下に出た。今日は曇っていて、湿り気のある風が通り抜けていく。髪の毛がべたつく。

 校庭では野球部とサッカー部が練習に励んでいる。部活をやっている連中はカノジョのいるやつが多い。同級生はもちろん、マネージャーさんとつきあってるとか、他の高校の女子とつきあってるとか、いろいろだ。ああいう連中は僕みたいな失敗はしないんだろうか。経験を積めば僕もイケメンのように振る舞えるんだろうか。

 仲良くなればそれがゴールだと思ってた。まだスタートラインにも立っていないんだ。僕は何も分かっていないらしい。これなら宿題の方が簡単だ。答えがあるからな。

 気持ちの熱量で決められるのなら、僕は誰にも負けない自信がある。

 でも、それは一方通行の情熱だ。

 一方通行で行き止まり。

 その壁を突き破るためにできることはなんだろうか。

 何も思いつかない。

 彩佳さんにメッセージを送るべきか悩んだ。

 お見舞いというわけじゃなくて、昨日は楽しかったねとか、そんな軽い話題でいいはずだ。でも、べつに楽しくないしとか言われたら怖いし、無視されたらもう次からどういう顔をして会ったらいいのか分からない。

 そんな心配がいらないのは分かっている。沙紀は楽しかったと喜んでいたと教えてくれた。僕がただ言い訳をしているだけだ。メッセージ一つ送る余裕すらないんだ。大知のことを全然笑えない。

『拝啓、昨日は楽しかったですね』

 固すぎるか。

 いざとなると気軽なメッセージが一番ハードルが高い。

『昨日は楽しかったね』

 なれなれしいか。これで無視されたら最悪だ。

『今週末は夏祭りです。体調が良くなったら行きましょう』

 連絡網かよ。

 今は何もしなくていいじゃないか。

『もう、ずっと連絡待ってたんだから』

 そう言って怒ってもらうのが正解のような気がした。

 夏祭りでは大知の応援をしてやろう。ヘタレ同士の支え合いだ。あいつがうまくいったら、僕ももう一歩踏み出せるような気がした。今はそれが精一杯なんだ。見栄を張ることはない。彩佳さんもそう言っていたじゃないか。

 僕はスマホをしまって図書室へ向かった。

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