11. 闇夜のカラス

『足を払ってバランスを崩したところを殺せ』

「気絶させるだけで十分でしょう」

『あの女のことだ』


 パロットの声が静かに鼓膜に刺さる。


『気に入らない』

「殺したいほどに危害を加えられたとは思えませんが」

『あぁいう女は、トライフルに飾り砂糖を掛けて召し上がるのさ。上等な女だ。俺たちとは違う』

「上等だから殺すんですか?」

『そうじゃない。あの女が俺たちの領分に入ってこないようにさ』

「領分?」

『可愛いアンジー。平穏な生活に必要なのは、侵略する異物の排除だ』


 マリアベルのことを、パロットは異様に敵視しているようだった。だが、スラッグとしては殺すほどの相手とは思えない。

 第一、スラッグは交換屋であり、殺し屋でもなければ始末屋でもない。あの手合いのように「殺すために殺す」真似は出来ない。パロットの命令であっても、素直に従うことは出来なかった。

 散らばりかけた思考を押しとどめるように、マスクの下で唇を噛む。それから右足の爪先で床を蹴り、一気に飛び出した。殆ど音もなく数段駆け上り、そこにあった一本の足に警棒を振り下ろす。右足だった。左足はもう一段上にあったが、今起こったことを理解出来ないように動かない。その反応からして人間であることを確信すると、スラッグは愉快そうに笑った。


「な……っ」


 想像より野太い声がした。手に持った小型ライトをこちらに向けようとするのを察して、スラッグは立ち上がる。その勢いのまま、警棒を下から上にスイングした。

 確かな手ごたえと一緒に、やはり野太い呻き声が階段に響いた。体が大きく傾き、階下に向かって転がり落ちそうになったのを、スラッグは腰のベルトを掴んで引き留めた。体躯の大きな三十がらみの警備員は、不法侵入者の失礼な振る舞いに対して、白目を剥いて黙り込んでいた。

 顎を狙った一撃は、人間の意識を途絶させるには十分だった。これがアンドロイドであれば、もっと別の手段が必要になる。首に刻まれたバーコードの保持のため、大抵のアンドロイドは首に保護プロテクタが仕込まれている。警棒ごときでは通用しない。


「すみませんね。でも夜は寝る時間ですよ」


 ベルトに仕込んでいた指錠で、警備員の両手の親指を拘束する。口を塞ごうか否か悩んだが、完全に気絶していることを考えると避けたほうが良さそうだった。下手なことをすれば窒息死を導きかねない。

 階下にいるマリアベルを呼ぶと、数秒してから昇ってくる気配がした。スラッグはその気配が、自分が想定していたものより遠いことに気が付く。らせん状の階段と闇のせいで分かりづらかったが、意外と上に移動していたようだった。

 改めて視線を上げて周囲を見回す。少し先に、ぼんやりと光る壁が見えた。展示物を照らすための仄かな照明が、やけに明るく感じる。


「あれだ」


 直感がそう告げていた。あれが、マリアベルが欲して止まない『カラス弐号』だと、なんの根拠もなくスラッグは信じた。

 警備員の体をそこに置き去りにし、階段をゆっくりと昇っていく。マリアベルよりも先に、それを見たいという純粋な欲望によるものだった。子供じみた、独占欲にも似た行動は、スラッグにとっては珍しいことではない。いつもならばパロットが止めてくれるが、今は何故か静かだった。

 壁と一体化した展示用ケースの前に立つ。分厚いガラスの向こう側に、黒い鳥が大きく羽を広げた姿が描かれていた。黒いペンキか何かで大胆に描いたらしいそれは、荒々しさの中にも繊細さが透けて見え、本物のカラスのようにすら見えた。そして、その巨大なカラスの胸元に一つの銃が掛けられている。

 カラスと同じ黒い銃身。その側面に並んだいくつもの歯車。仄かな光の中で、歯車の細やかな陰影が映える。


 スラッグはそれを暫く見つめていたが、数秒してから興味を失った。

 変わった銃には違いないが、こんな危険を冒してまで得る物には見えない。それに実用的な代物かどうかさえ怪しかった。スラッグは銃は使えない。使う気もしない。手応えのある得物が小さい頃から好みだった。ただ引き金を引くだけの道具に興味はない。


「それがカラス弐号よ」


 マリアベルの声がした。随分慎重に昇ってきたのか、少し息が乱れている。銀色の髪が展示ケースの光を受けてザラリと鈍く輝いた。


「素敵でしょう」

「玩具としては上出来ですね」

「この美しさが理解出来ない人間がいることは大した驚きではないわね。美しさというのは共有化された唯一絶対のものではないから」

「そういうものですか?」

「誰が見ても美しいものがこの世に本当に存在するのなら、芸術なんて代物はとっくに消え失せているわ」


 マリアベルは一歩進み出て、黒い銃を見上げた。


「だからこそ、この銃は美しいのよ。父が全てを注いで全てを失った『カラス弐号』。これこそが私の求める歯車よ」

「よくわかりませんね。技術屋というのは変わり者が多いと見た」

「最高の誉め言葉ね。まぁそれはさておき、さっさと「交換」しましょう。このレプリカとね」


 そう言うと、マリアベルは大事に携帯していた一抱えの包みを取り出した。分厚い布で二重三重に包まれた中から、一つの鉄の塊が姿を現す。

 それは、造詣こそ展示ケースの中にあるものと瓜二つだったが、中身は子供の玩具にも劣るレプリカだった。受け取ったスラッグは、一応形状を確認し、本物と外見上の差分がないことを確認する。


「問題なさそうです。あとはドローンの巡回を避けて、ケースの中の本物と交換するだけ。寝ていてもできますよ」

「優秀な交換屋にお願いしてよかったわ。……あぁ、そうだ」


 マリアベルは思い出したように、服のポケットを探る。そして何か小さなものを掴みだすと、スラッグへと差し出した。


「これ、貴方のでしょう?」


 銀色の無線イヤホンが、手袋の上に転がる。


「地下水路から此処に昇ってくる時に落としたのよ。気付かなかった?」


 スラッグは反射的に自分の右耳に手を当てたが、そこには何も無かった。

 イヤホンはそんなスラッグの失態を咎めるかのように、冷たく黙り込んでいた。

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