4. 第四博物館
シンジュクから電車で二十分。地図で見れば大した距離ではないが、景色がガラリと変わるのを見れば、少々遠出をした気分にもなる。
辺りが工場で囲まれた地帯であるのが、その原因の一つだった。灰色の直方体や円柱を並べた景色は、在りもしない郷愁を与える。海が近いためだろうか。風が少し重かった。
第四博物館は工場地帯の果てにあって、エントランスに入る前に設置されている機械仕掛けの噴水が有名である。二人が訪れた時には噴水が白鳥の形に水を噴き上げていて、多くの客がそれを眺めていた。
「第二工業革命以降の「傑作」を集めた博物館。貴女のような方にとっては特別な場所ですか?」
「この博物館で唯一褒めるに値するのは、フォート社の噴水を現役稼働させていることだけよ。美しき機械は動いてこそ価値がある」
「カラス弐号も同じく?」
「勿論」
博物館の入り口には持ち物検査をするための警備員と、金属探査用のゲートが置かれている。
正面から入る手もないわけではないが、リスクに比べて得るものが少ない。スラッグはそう判断すると、今度は視線を上に向けた。博物館は巨大な円柱型をしていて、中は螺旋状の構造になっている。つまり明確な「階」は存在しない。
「階が分かれていれば侵入しやすいんですけどね」
「そういうもの?」
「少なくとも三階にいれば二階にいる警備員に見られる可能性は低くなりますから」
屋上の警備は一見手薄だが、よく見れば窓ガラスを掃除するためのロボットがいくつか待機している。あの手のロボットには監視カメラがついていることをスラッグは知っていた。暗殺者に依頼されて、それらのカメラを粗悪品に交換したことが何度かある。
「……正面と屋上は厳しいですね」
「ロボットの監視カメラなら、ハッキングして破壊出来るわ」
「悪くない手ですが、貴女を屋上まで連れていくのが面倒だ。正面からノックして、ピザの宅配便の振りして入りますか?」
「それで警備員とピザパーティをするのね? 素晴らしいアイデアだわ」
マリアベルは笑いながら左右を見回す。
「このあたりは工業地帯ね。地下は排水用の水路があるんじゃない?」
「流石は、スラスト。着眼点が良いですね。上でだめなら下からです。この辺りの地下水路のマップが手に入ればいいのですが」
「私が手に入れるわ」
あっさりとした答えに、スラッグは「へぇ」と短く言葉を零した。
「地下水路といえど、政府の直轄ですよ。まさかそこのデータにハッキングをすると?」
「何も危険を冒さなくても、その程度の情報なら簡単に手に入る」
噴水を取り囲むように置かれた石のベンチに腰を下ろしたマリアベルは、視線でスラッグに隣に座るように勧めた。
スラッグはしかし首を左右に振る。
「安心しなさい。取って食べたりしないわ。ナメクジを食べるほど酔狂じゃない」
「どうでしょうね。貴女は必要なら毒も皿もすべて食べそうだ」
「えぇ、カラシマヨネーズをたっぷりかけてね。でも今は必要じゃないわ」
それでもスラッグは動かなかった。
マリアベルに対して警戒をしているわけではない。ただ、そのベンチの上が汚れているのを見てしまっただけである。少々潔癖な、というよりは衛生面において独特のこだわりがある男にとっては、僅かな汚れも許せないことがあった。
「それで? どこで情報を入手しますか。イケブクロあたりなら有能な情報屋が大勢いますが」
「必要ないわ……」
マリアベルは片手で持つには少し大きな携帯端末を取り出すと、それとは別に入力用デバイスを接続した。正方形のタッチパネルが埋め込まれているもので、片手の指の動作のみで文字を入力することが可能となっている。操作に癖はあるが、慣れてしまえば一挙動で文章を入力することが出来るため、マリアベルは気に入っていた。
タッチパネルの上を泳ぐように滑るように指が動く。それに伴い端末の液晶に浮かぶ内容も変化していった。
「何してるんですか?」
「社交ダンスでないことは確実ね。今、地下水路の地図を漁っているのよ」
「僕には複数のソーシャルサイトを開いているようにしか見えませんが」
「此処からアクセスするのが一番簡単なのよ、私みたいな人間にはね」
何度目かの操作で、突然画面に黒い歯車が浮かび上がった。その中にはカラスらしい鳥が羽を動かしている。
「これは?」
「情報収集用に作ったアバターよ。別に無くてもいいけど、ずっと画面を見てると気が滅入るでしょ」
「カラスが好きなんですか?」
「嫌いじゃないわ。黒い羽根に黒い目、黒い嘴。それらを覆う素晴らしい陰影。昔の人が不吉の象徴とした気持ちがよくわかるもの」
「詩人ですね」
「いいえ、分析論者よ」
画面が再び切り替わると、地図のようなものが映し出された。それを確認したマリアベルは口元を緩く吊り上げる。
そして、いつもそうするように右手の人差し指で銀髪を絡めて、前方に弾いた。
「あったわ」
「地下水路のマップですか? でもどうやって」
「アセストン・ネットワークというものを知っている?」
スラッグは首を左右に振る。
「少なくとも幼馴染にはいませんね」
「噂話で構築されたネットワークのことよ。といっても特定の回路を持つわけじゃない。この世界の全てのネットワークの上に無数の「接続点」を持つことで存在している」
ふぅん、とスラッグは首を右に傾ける。
「それが何なんですか?」
「コツさえ掴めば、ネット上に存在するあらゆる噂話を収集して解析することが出来る。そして実際に存在するデータにアクセスすることも可能なのよ」
「なるほど。デジタル領域であるネットワークにアナログのアクセスポイントを置いているって解釈で良いですか? だから貴女は表面化しているソーシャルサイトからアクセスした」
あら、と少し意外そうな表情を浮かべてマリアベルは目を瞬かせた。
「案外賢いわね」
「職業柄、知識は広く浅くってだけですよ。幼児用プールみたいなものです」
「大仰なプールに浅い水しか入れてない連中よりは数百倍良いわ」
「違いない。……ちょっと見せてください」
スラッグは体を傾けるようにして、マリアベルの端末を逆側から覗き込んだ。表示されている地図の隅々まで視線を巡らせ、考え込むしぐさをする。
「排水用の水路としては随分と広いですね」
「でもそのうちのいくつかは使えないと思うわ。劇薬浄水桶から出ている水だもの」
「でしょうね。となると南から侵入するのがリスクは低いでしょう。データを頂いても?」
入力用デバイスの横にあるスロットから、マリアベルはメモリチップを抜き取った。指で挟んで差し出すと、スラッグは丁寧に礼を述べて摘まむように受け取る。
「他に欲しいものは? ついでだから調べてあげるわよ。ノーマ・ジーンの死の真相とかどう?」
「マリー・プレヴォーの飼っていたワンワンの余生なら是非とも調べたいところですね」
普通に犬と言えばいいところを、スラッグはわざと幼児語を使った。そのネットワークに対する信用度が高くないことを、言外に含んでいる。警戒心が高く、それでいて好奇心も備えている。マリアベルはスラッグのそういう側面も評価していた。
「イット・ガールとは趣味が渋いわね」
「それはクララ・ボウですよ。まぁトーキーで人気が落ちたという点では似てますけどね」
「どちらにせよ渋いわよ」
数世紀前の映画がある時から着目され始めたのは、恐らく当時の情勢に違いなかった。とある最新のコンテンツを踏み台にして、長らく忘れ去られていた古い映画が至るところで上映された。少し広いカフェに入れば壁いっぱいに映し出されたジーンが真っ白な肌を躍らせ、ヴァレンチノが色っぽい視線を向ける。サイケデリックな色と音楽、そして最新技術を駆使した映画に飽き始めていた若者は、古い映画を一種の教養として自らの文化に受け入れた。そんな時代がもう何十年も続いていた。
「建物の構造から推測するに、内部に侵入するのはそう難しくないでしょう。ただ、貴女を連れて行くとなるとリスクが一気に高まる」
「だから、いざとなれば置いて行って良いと言っているじゃない」
「それで僕が無事に逃げられるなら、そうしますよ。捕まった貴女が口を滑らさないとも限らない」
「非常に合理的だわ。私は人を売ったりしないけど、自白剤や拷問の訓練は受けていないもの」
マリアベルは素直にそう認めた。虚勢と虚偽は似て異なる。そしてスラッグはその手の誤魔化しが効く相手ではない。
「なので約束してください。多少貴女の美学に合わずとも、僕の工程に口は出さないと」
「目的地までを運転手に委ねろというわけね。例えメーターが上がっても」
「そうすれば皆ハッピーです」
スラッグは断ずるような口調で話を打ち切った。
「今日の午前0時。集合場所は追って連絡します」
「何か準備はいるかしら?」
そう尋ねたマリアベルに背を向けて、スラッグは歩き出す。そして、まるでその場で思いついたかのように口を開いた。
「動きやすい服装でお願いします。僕はスカートやらストッキングやらを丁重にエスコートする趣味はありませんからね」
「ハイヒールも?」
「ヘドロの上でハイヒールでタンゴを踊るつもりですか。良いご趣味だ。その時は薔薇を一本差し入れしましょう」
結局振り返りもせずに立ち去ったスラッグは、その背後でマリアベルが苦笑しながら肩を竦めたことには気が付かないままだった。
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