第7話 卒倒して運ばれたいですわ

「お、俺を殴ったのか?! 王太子である、俺を!」


 正確には、もう「元王太子殿下」ですわ。私を妻としない王子に王位継承権はありませんもの。やはり知らないのですね。本当に……どれだけお勉強をさぼったのでしょうか。


「クロード様ぁ、大丈夫ですかぁ?」


 先ほどは誰も指摘せず無視しましたが。この国の貴族階級の間では、男女が愛称で呼び合う行為は「性行為を済ませた」と公言するのと同じ意味を持ちます。家族や婚約者なら許されますが、そうでなければ公認の愛人が呼ぶ程度でしょう。中には結婚しても愛称で呼ばない夫婦もいるほど、厳格なマナーですのに。


 マナーや慣習をまるっと無視した王子に、貴族の天秤が大きく傾くのを感じ取れます。じりじりと距離を離す貴族の顔は引き攣っておりますから。その分だけ王家への信用は落ちるのですが、気づいておられないようですね。帝王学も真面目に取り組まず、遊び惚けた男を見下ろしました。


 くねくねと歩み寄るカルメンは、「ひどいですぅ」と頭の悪そうな間延びした口調で、クラウディオ王子の頬を撫でています。手袋なしの手で。


 人前で素肌を触れ合わせる、婚約者や夫婦ではない2人――他人の寝室事情を覗いたような光景に、若い男女は一斉に目を逸らしました。貴族令嬢の中には真っ赤になって卒倒する者も出ています。実家が厳格な貴族令嬢なら当然ですわ。目の前で突然始まった濡れ場に、年若いご子息やご令嬢の目を覆うご両親も出始めました。


 周囲の冷ややかな視線に気づかぬ王子は、撫でるカルメンの手に頬を摺り寄せています。格式高い謁見の広間で、元婚約者と浮気相手の濡れ場を見ることになるなんて。想像もできませんでしたわ。


「私も卒倒して運び出されたい」


 呟いた本音に、フランカがくすくすと笑いを堪えます。


 ここまで騒動が大きくなれば、さすがに国王へも連絡が行きますわね。何やら外交の話があるとメレンデス公爵である我が父を呼び出し、奥の部屋で話し合っていた2人も顔を見せました。


 もう婚約解消しましたので、遅いですけれど。


「何事だ!」


「聞いて下さい。父上! あの女が俺の頬を殴ったのです。不敬罪で投獄してください!」


 その情けない姿は、一国の王子というより虐められて親に泣きつく幼子でした。一部始終を見ていた貴族達が、これを虐めと判断するはずはなくて……恐れながらと声を上げる人達が散見されます。


 あの王太子の振る舞いに眉を顰めない貴族が、ほとんどいないのだから当然ですけれど。発せられた意見はことごとく私の擁護でしたわ。わかっていてもホッとします。


「先にエステファニア姫様を侮辱したのは、王子殿下です」


「婚約破棄だと叫び、姫様を悪様に罵りました」


「そこの商売女……失礼、下品ではしたない女性を妻にすると公言し、婚約破棄を口にされましたが、正気とは思えません」


「場を弁えぬ下着紛いの女性は、王子殿下を愛称で公然と呼んでおります。これは不貞ですぞ」


 これは貴族でない国民も知っていますのよ。人前で愛称で呼ぶのは、肌を重ね熱を交わした証拠となります。婚約者であっても、結婚まで純潔を貫くのが貴族ですから。王太子の振る舞いは嫌悪の対象です。


 竜の乙女を娶る予定の王子が、礼儀も知らぬ小娘に愛称を呼ばせ、夜を共に過ごしたと公言している――これは一般的な常識を知る人々の反応として、当然でした。同時に、竜の乙女である私との婚約を解消した王太子が王子と呼ばれるのも、当たり前なのです。もう彼は王太子を名乗れる権利を持たないのですから。


 知識も常識もないカルメン嬢は、なぜクラウディオ王子が責められるのか理解できていないご様子。必死の形相で喚き散らしました。淑女を気取るおつもりなら、大声は控えた方がよろしいですわ。


「何を言ってるの? クロード様は婚約破棄したんだから、あたしと結婚すんのぉ。だからあんた達なんて、王妃になってやっつけてやるんだからぁ!」


 ……王妃になれると思ってるのが凄いですわ。この国の貴族すべてを敵に回して、どうやって王子と結婚するおつもりかしら。ああ、でもただの王子なら結婚は出来るかもしれませんわ。我が国に、王族と平民の結婚を妨げる法はありません。


 ただ……クラウディオ王子の王位継承権は消滅しましたので、結婚なさっても王妃にはなれませんわよ?

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