第6話 お覚悟はよろしいですね?
手袋を外した白い手の甲は、鮮やかな模様が浮かんでいます。
ドラゴンを示す古代語だという文字は、メレンデス公爵家の娘にのみ受け継がれてきました。かつてドラゴンと契約した乙女が刻まれた聖痕は、精緻で美しい模様だったと伝わっています。本来は家族と王族以外は目にしない模様ですが、今回は仕方ないでしょう。
陽に当たることがなかった白い肌は、乱暴な王太子の扱いで赤い擦り傷が出来ていました。ひりひりした痛みに眉を寄せて、見慣れた聖痕へ視線を落とします。
「クラウディオ・リル・セブリオンの名において、
破棄という単語を使いますのね。一方的に自分側から婚約を解除すると宣言されました。
言葉と同時に、じわりと手の甲が熱くなります。文字が熱を持ち、僅かに光って輝きました。竜の残した文字がメレンデス公爵家の娘にしか継承されない理由は不明ですが、何らかの魔法に似た力が働いているのでしょう。
王家は王太子と姫が2人生まれます。これは必ず決まった数で、メレンデス公爵家同様、変わることのない不変の理なのです。メレンデス公爵令嬢を母に持つ者が、王家の王女と王子である――そのため竜の文字を持つ女性の不思議を、誰も解明しようとしませんでした。
失われて久しい魔法を自在に操った竜に憧れる子どもは多いでしょう。この国で一番有名な御伽噺なのですから。竜が残した遺産は平穏無事に暮らせる大地と、竜の乙女のみ。眠り続ける竜が実際にいるか分からなくとも、竜の乙女として生まれた以上は存在を信じてきました。
神のもつ神秘に近いのです。理に触れることはタブーであり、竜への不敬と捉えられてきました。左手の文字が熱くなる中、婚約破棄の単語を聞いた私は大きく深呼吸しました。
掴まれた左手をそのままに、右手を大きく振りかぶります。その手には畳んだ扇を強く握りました。
お覚悟はよろしいですね?
「無礼なっ! 手を離しなさい!!」
大きな声で叱咤し、右手を全力で振り抜きました。ぱしっと大きな音がして、クラウディオの頬に真っ赤な扇の跡がつきます。
気分がすっとしますのね、悪くありません。
緩んだ隙に左手を取り戻し、数歩後ろへ下がりました。よろめくように下がった理由は、後ろにいた御令嬢にぶつかりそうになったから。
何とかドレスの裾を踏まず、床に倒れ込まなくて済んだことにほっとしましたわ。危なかったですもの。
驚いた王太子が離した手は、赤い擦り傷が痛みます。咄嗟にスカートで包むように隠していました。普段人に見せない肌や紋様を晒すのは、気が引けますし……はしたないでしょう?
兄が選んでくれた淡いピンクのドレスは、柔らかなシフォンの感触で手を包み隠してくれます。
「ティファ、大丈夫? 礼儀も弁えない男が王太子だなんて、最低ね」
ハーフアップにした銀髪の一部がほつれたのか、一房肩に落ちてしまいました。それを耳にかけてひとつ溜め息を吐きます。
右足の踏ん張りも、振り抜いた手の速度や角度も完璧でしたわ。上手に出来てよかったこと、ダンスのターンの練習が役に立ちました。自画自賛しながら、左手にレースの手袋を嵌め直します。これで一安心です。
「ティファ、ちょっと待って。見せてごらん、清めてあげるから」
駆けつけたリオ兄様が左手をそっと捧げ持ち、竜の文字に異常がないか確認してから空いた手を横へ出します。心得たように、派閥の若者が濡らしたハンカチを差し出しました。丁寧に指先や爪まで拭いてから、リオ兄様は竜の文字に唇を押し当てています。
恭しく、お姫様に愛を乞う騎士のように。妹である私をいつも甘やかしてくださる兄様の仕草に、くすっと笑みが漏れて口元が緩みます。
「これでいい」
ほっとした様子で返してくださった手は、レースの手袋が丁寧に嵌められていました。人前で素肌を見せるのは恥ずかしいですが、リオ兄様の気遣いを素直に嬉しく思います。
私が笑えるように、わざと道化じみた所作をなさったのね? 私にはもったいないくらいのお兄様ですわ。
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