本編

第1話 これは浮気ですわね

 玉座の前に、朗々とした声が響き渡ります。


「エステファニア・サラ・メレンデス――お前との婚約を破棄する」


 突然の宣言に、私はきょとんとした顔で壇上を見上げました。まだ国王陛下と王妃殿下の席が空いた壇上で、セブリオ国の王太子クラウディオ殿下が仁王立ちしています。


 騎士の逞しさに欠けるが、筋肉質な身体の持ち主は胸を張っておられます。王子の肩書に相応しく、顎を反らせた態度は傲慢さが滲んでいました。


 夕日に似た赤髪に縁どられた肌は日に焼け、野性味のある美形と呼べるのかも知れませんわ。青い瞳はくすんだ色をしており、王族特有の少し尖った顎は国王陛下にそっくりですもの。


 紺の礼服をきっちり着こなした姿は様になっており、腰に細い剣が飾られた正装は馬子にも衣装。王宮の侍従の方々の努力の跡が見えますわね。顔はまともな王太子殿下――ただでさえ威圧的に受け取られるお立場なのですから、少し態度を柔らかくなさいませ、と先日も忠告申し上げたのに。まったく聞いておられなかったようです。


 出来の悪い弟のしでかした失敗を見る姉に似た、生ぬるい眼差しになってしまうのも当然ですわ。いっそ弟なら殴って叱れましたのに。


 眉を寄せて、右手の扇を広げました。


 名を呼ばれたのは確かに私で、彼の婚約者でもありますから言われた内容は理解できました。言葉の内容だけですけれど。


 今夜は王妃殿下の誕生祝いで、国中のほとんどの貴族が招待されました。その大勢の前で叫ばれた内容は、我がメレンデス公爵家の名誉を著しく毀損するもの。


 周囲の貴族が唖然とした顔でこちらを見ていますが、それも当然でしょう。大勢の貴族がいる公の場で、王太子という責任ある立場の人間が、この国最大の公爵家に喧嘩を売る現場に立ち会ったのですから。


 国内の勢力図を知る大貴族は青ざめております。


 貴族は体面がすべて。この国の経済や政を手中に収めた公爵家に、いろいろやらかす王族が泥を投げつけた姿に、数人の気の弱い貴族が卒倒する姿も見受けられました。この場をどう収めても遺恨が残ると気づいた貴族の中には、立場を表明するために会場内を移動する者も現れる始末です。


 あらあら、皆さま。ですわよ。


 派閥の変更を決めた貴族を受け入れながら、人当たりのいい笑顔で誑かすお兄様のご機嫌なこと。今まで王家の勢力を削ることに尽力なさった努力が報われて、本当に良かったです。


 周りがざわめき騒ぎが大きくなるほど、私は落ち着いてきました。


 取り乱すほど王妃の地位に魅力は感じませんし、王太子殿下は愛するお方でもございませんから、婚約破棄も、解消もまったく問題ありません。それでも……婚約者のエスコートをせず、見知らぬご令嬢を抱き寄せる愚行を問うのは、やはり私の役割でしょうか。


 これでも、まだ婚約者ですもの。義務ですわね、きっと。


「王太子殿下。発言の許可をいただけますか?」


「ならぬ!」


 ざわっと他の貴族のどよめきが場を揺らしました。私は切れ長の緑の瞳を僅かに伏せます。溜め息をつきかけた唇を、扇でそっと隠しながら。淑女の嗜みだと持たされましたが、こういう場面で役に立ちますのね……皮肉げな感想が過りました。


 お母様から頂戴した扇は、ミントの香油を含ませたため香りが爽やかです。いっそ、心を落ち着けるラベンダーにしてもらえばよかったかしら。寝る前に香袋に入れるハーブの名を思い浮かべながら、先ほど飲み込んだ溜め息をこっそり吐きだしました。


「お前は私が愛するカルメンに、嫌がらせをしたであろう。そのような女を次期王妃とすることはできぬ!」


 理論が破綻しております。「私が愛するカルメン」が嫌がらせより先に気にかかりますわ。婚約者より愛する人とやらは、不貞の公言ですのよ? 私が王太子殿下に嫌がらせをされた、の間違いではございませんこと?

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