第47話 越智合闇影戦⑬

 心は猛る。それに呼応するように、情緒豊かに炎は燃ゆる。

「――!」

 下。

 はっきりと足下から殺気を感じる。次の瞬間、闇の顎が地面ごと俺を喰らう。

「フ……、フハハハハ! 所詮は見掛け倒しか、なんということはないな!」

「遅いぞ」

 神縣玄導が、その背後から聞こえる俺の声に驚き振り向くよりも先に。右拳を振りぬいた。まともにその攻撃を受けた彼は、弾かれるように吹き飛ぶ。そしてそのまま、観客席に音と土煙を上げてぶつかった。

 眼前の雪南さんは、瞳まで闇曇に侵されている。

「雪南さん! 目を覚ましてください! 俺です、灯也です! しっかりしてください!」

「……」

 呼びかけても反応はない。

「どうすれば……」

 近づこうと足を一歩踏み出した。次の瞬間、身体の中に金属の型を入れたようにピクリとも動かなくなってしまった。

 ――近づくな。危険だ。

「炎壊……?」

 足を戻そうとすると、さっきまでの硬直が嘘のように身体が動いた。

「何してるんだよ、早く雪南さんを助けないと――」

 ――あの男がどこまで闇壊の力を引き出せているのか分かりかねるが……。一度操った人間を救うことは容易ではない。逆に、あの男からすれば如何様にもすることが出来る。それこそ、わざと術力を暴走させて自爆させることも、な。

「――自爆⁉」

 ――迂闊に近づくのは得策ではない。まずは、確実にあの男を倒すことを優先した方がいいだろう。

「……わかった」

 雪南さんがおもむろの手を動かす。瞬間、四方八方から氷柱が飛来。

 一度、大きく距離を取ってその攻撃をかわした。そして目線を、神縣玄導を吹き飛ばした客席の方へ向ける。しかしそこに、神縣玄導の姿はない。

 地面がひっくり返るほどの勢いで土を蹴り、身体を空へ跳ね上げた。上から見ても、その姿は見えない。

「どこ行った――」

 言い切るより早く、後方から感じた強い殺気に振り返る。

「フ、フフフハハハハハッハハ。フアハハハアハハハハハハハ!」

 そこにいたのは、紛れもなく神縣玄導である。しかし、それを疑うほど彼の放つ雰囲気は異なっていた。先ほどまでの紳士的なそれとは違う、川底の泥漿のような、淀みのような、雰囲気。

「『流石は』ハ、ハハ『炎壊』イ……、ィ『これほど』ォド、『とは』」

 違う。目の前にいるのは、神縣玄導の姿をした何か。否、何か、ではない。

「闇壊……」

 闇壊。神縣玄導の壊獣。しかし、これは……。

「意識を……、乗っ取ったのか?」

「フ、ァ『乗っ取ったとは』ワ、ァア『少し違う』ゥウウ」

 呻き声のような声の上に重ね塗りするように、はっきりと聞こえるその闇壊の声は、穏やかで理知的な、しかしはっきりとした狂気と殺気を感じさせる声だった。

「モ『「枷」を内側から』『壊した』タ『のさ』」

「なんだと?」

「『貴様らは、獣印』『と言っていたか』カ」

「獣印を――⁉」

 壊獣との契約に際して、術師の身に刻まれる契約の証。そして壊獣と術師との間に力以上のつながりを作らないようにするためのストッパーでもあるもの。それが獣印。

「『獣印壊放というヤツさ』」

 その獣印を、術師が意図的に壊し、壊獣に己の身を委ねる、壊術師の奥の手。獣印壊放と呼ばれるその技は、即ち壊人になることを意味している。

「『おや。やっと馴染んできたかな』」

 神縣玄導……、闇壊は、首をコキコキと動かしたり、手を握ったり開いたりしてその具合を確かめているようだった。

「内側から壊したってどういうことだ」

 闇壊は、にやりと笑う。

「『この男は、最早死にぞこないの老体だ』」

 まるで歌劇でも演じているかのように大げさに両腕を広げてみせる。

「『不満のひとつもあるというものだ。我が力を使いこなせない男が、己を縛り付けているのは』」

 そして闇壊は雪南さんを指さした。

「『あの女もそうだろう。氷の壊獣……、氷壊の力を使いこなせていない。せいぜい八割

程度だ。お前に分かるか? 自分の力よりも小さな器に閉じ込められることの苦しみが』」

 闇壊は、ゆっくりと両腕を広げながら、言葉を続ける。

「『私は壊獣を解放する。縛られ、閉じ込められている我が同胞を。そのために、ずっと待っていたのだ』」

「待っていた?」

 ピン、と真っすぐ前に伸ばされた人差し指は、俺を指す。

「『炎壊よ。貴様をな』」

「――!」

 ――……。

 俺の驚きと対照的に、胸中、炎壊の反応は落ち着いていた。

「『今この世界で囚われている壊獣すべてを解放するには、貴様の力が必要だ。まずは、空壊を解放する』」

 空壊。雪南さんの父、空幻さんの壊獣。その力の全貌は分からないが、空幻さんが最強の術師と呼ばれていることにも意味があるだろう。

「『そのために、あの男の娘である、あの女を操った。あの男が身内を大切にしていることは妻を操ったときに証明されているからな。そして、一度闇に侵された人間はもう二度と救えない』」

 闇壊が近づいてくる。

「『聞こえているんだろう? 炎壊。獣印のない貴様を引っ張り出すのは容易ではないからなぁ』」

「――何?」

 獣印が、ない?

「今、何て言った?」

 俺の問いに、闇壊は怪訝な顔をした。

「『人間。貴様ではない。私は炎壊に――』」

「炎壊の、獣印なら、あるだろ」

「『は? そんなモノあるわけがないだろう。貴様は、炎壊と2つで1つの状態。表向き壊術師として力を使えても、その本質は壊人となんら変わらないのだから』」

 頭が混乱してきた。

「『だからこそ、抑え込まれた炎壊を意識のある状態で引きずり出すのは困難だった。この世界で活動するには人間の身体は必要だからな。下手に引っ張って壊物になっては意味がない』」

 そして、その混乱と対照的に、やはり炎壊は、落ち着いていた。

「『一度臨死させることで、壊獣と接触させる。計画は完璧だ。あとは、人間の意識を飲み込めばいいだけだ。さぁ、炎壊。何をしている、早くやれ』」

「『はぁ』」

 口がひとりでに動く。

「『退屈だな、貴様の話は』」

 その声は、俺のモノではなく。今まで聞こえていた、炎壊の声だった。しかし、その声を聞いた闇壊は、目を見開いて驚いた。

「『な――、なんだと? どういうことだ――⁉』」

 明らかに狼狽える闇壊に、炎壊は俺の身体と顔を使って嘲笑を返す。

「『貴様の予測は当たっている。ただ一点を除けばな。そしてその一点だけで、全てがひっくり返る』」

 炎壊は、右腕に炎を灯す。

「『確かに、私が炎壊である。――そして』」

 口角が吊り上がる。

「『陽壊ようかいでも、あるのだが、な』」

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