第43話 越智合闇影戦⑨

 長い眠りから、目が覚めたような気分だった。

 ……ああ、また気を失っていたのか。

 それは、すぐにわかった。

 術力を使いすぎると、俺は気を失ってしまう。

 ……気を失っていた……?

 少しして、ついさっきの記憶がよみがえる。

 俺が、壊獣だと言っていた、彼の言葉の記憶。

 ……炎壊……。

 その名前を、心の中で呼ぶと、遠くから。うんと遠くから、返事があった気がした。

 朧気な意識は、徐々に現実と結びつく。視界が、開けていく。

 感覚が、内側から、ゆっくりと先に戻っていく。

 最初に目に映ったものは、赤。

 温度を遅れて感じる。

 濡れている?

 右腕に、重みも感じる。

 気分が悪い。

 目の前のピントが、合って、ずれて、また合う。

「――――え?」

 俺の右腕に伝うものは、血液。

 俺が右腕で、身体を貫いている人の、血液。

 その人が誰かを理解することと、今の状況を理解し、何故そうなったのかを想像することを同時にはこなせない。

 先に、その人の名前が浮かんでくる。

「――……香澄、さん?」

 そう。

 香澄さん。神内香澄さん。喋り方が特徴的で、小さいけど年上で、守らなくちゃいけない人。味方。

 その記憶が確かであると理解する度、現状との矛盾で、混乱していく。

「――え、え?」

 ごふっ、と。香澄さんがむせる。同時に、俺の腕に血が飛び散る。

 状況の理解よりも、先にやるべきことの理解。

 助けなくちゃ。

 腕を引き抜く? いや。そうしない方がいいんだったか。

 そのとき、クスクス、と心の奥で嗤う声が聞こえた。

 ……誰だ?

 そんなことは聞かなくてもわかっている。でも、現実から、目をそむけたくなった。

 ……わかってるじゃないか。

 ずっとはっきり、声が聞こえた。背筋が凍るような感じがした。

 ……お前がやったのか?

 そんなことは、聞かなくても想像がつく。

 ……お前だよ。お前がやったんだ。

 己の内から響く声に、燃えるような怒りを覚える。

 ……いいぞ。いいぞ! もっと怒れ! 燃やせ! 

「――――や!」

 違う。

 外側から聞こえる声。

 よく知っている、優しい声。

「――と――や! 灯也!」

 その人の名前を、こぼすように口から答える。

「せつな、さん……」

 強張っていた全身から、力が抜ける。

 ずるりと音を立てて、香澄さんが腕から抜け落ちる。

 ぐん、と現実に引き戻される。

「香澄さん! 香澄さん! 大丈夫ですか⁉ 今、止血を……!」

 立ち尽くすしか、ない。

 右腕にべっとりと残る血と温もりが、彼女の命を奪った証。

「灯也! しっかりして! 今は香澄さんを助けることだけに集中!」

 そう言われて、ハッとする。

「でも、どうすれば……」

 壊術に治癒の術はない。修復を専門とする修術師の人が来なければ、結局は無駄になる。そんなことは、俺より雪南さんや、香澄さんの方が分かっているのだろう。

「いいから、とにかく止血を――!」

 叫ぶ雪南さんに、香澄さんが手を当てて制した。

「だい、じょうぶです……。わたしは、もう……」

「そんな! そんなこと言わないでください! 一緒に出掛けようって言ったじゃないですか‼」

「あはは……、すみませ、ん~……。やく、そく……、……やぶって、しまって~……」

 苦しそうに、ひとことひとことを絞り出すように、喋る香澄さんに、俺の胸も締め付けられる。

 すると、香澄さんは俺をみて、笑った。

「よか、った……。とうやさん、もどったんです、ね~……」

「香澄さん、俺、俺……!」

 きつく、拳を握る。

「すみ、ま、せん……。とうやさん……。わたしがもっと、つよければ……」

「そんな、そんなこと……‼」

 香澄さんは何も悪くない。俺が、己の力に飲み込まれたことが。全ての元凶。

「とうや、さん。すみません……、こっちに、きてもらっても……、……いいですか~……?」

 血まみれで横たわる、香澄さんのそばに座る。池のようになっている血だまりは、小さな彼女の身体から出る血の量を、遥かに超えている。

 震える俺の手に、もう冷たくなってきている手を、そっと、重ねた。

「とうやさん……。ありがとう、ございます~……」

「え……?」

「わたしは……、むかし、やみの、かいじゅうのせいで……。ゆくえふめいに……、なった、こいびとをたすけたくて……。かれを、すくうために……、かいじゅつしに、なりました……」

「――!」

「かれにあうためだけに……、わたしは、きょうまで……いきて、きて……」

 香澄さんの咳に合わせて、傷口と口から、血が、命がこぼれていく。

「かれは……。あえましたが……、こんどは。……めのまえで、……しんでしまいました……」

「そんな……」

「……でも……、とうやさん、せつなさん……。ふたりの、ために。いきてもいい、と。おもえたんです……」

「どういう、ことですか……?」

「いきたい、とおもうことは……。どうじに、そのためにしねる、ということ……。かぞく、こいびと、ゆうじん……。わたしにとっては。かれを、うしなった……。わたしに……とって、ふたりが、いきていてくれることが……。わらっていて、くれる、ことが……。いきる、いみです~……」

「香澄さん……」

「わたしは……、たすからない、でしょう。……でも、ふたりが、しあわせに、いてくれれば……。……わたしの、いきるいみは……。いのちの、いみは……、きえません~……」

 そこまで言うと、香澄さんはもう片方の手も、俺の手に重ねた。

「なにを……、なくしても……。うしなう、わけじゃ……、ありません……。いきて、ください~……。しあわせに……」

 そして、言葉も、腕も、力がなくなっていく。

「あなたの……、せおう…………、うんめいに…………、まけ、ない、で………………」

 霞が晴れ、月明かりが降り注ぐ。

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