第41話 幕間:霞に想う⑤


「香澄さんなら、って。何を考えてるんですか?」

 ぐちゃぐちゃになってしまった腕を見つめる。

「私は、縛壊と契約しました……。その内容は、壊獣術式で術力を消費しない代わりに、この掌で触れたものに自動的に術を行使するというものです~」

「縛壊――!」

「灯也さんがどうしてあぁなってしまったのかはわかりませんが……。あれが何かしらの縛りであれば、私が外すことも出来ますし……。逆に、縛りをつけることもできます」

 今使わずして、いつ使うのか。

 この力を得た意味は、潰えたけれど。

「灯也さんとは、そんなに長い付き合いではありませんが……。でも、彼は真っすぐでした~。そして、あんな感じではなくて~……」

 彼の今の状態が、明らかに普通ではないことはわかる。

 だからこそ、助けたいと思った。

「私に出来ることがあるのなら……、助けたいんです~」

 新しく、目の前にある。

 それを、掴みたい。

 雪南さんは私の手を取って、ゆっくりと凍らせていく。神経も死んでしまったのか、寒くも冷たくも、痛くもない。

 ゆっくりと凍っていく手は、ゆっくりと死に向かう自分を見ているようで。

 気が付けば、頬を雫が伝っていた。

「あっ、ごめんなさい、痛かったですか?」

「いえいえ……。気にしないでください~」

 慧くんを失い、私にもう生きている意味はあまりないけれど。

 まだいっちょ前に、死に向かうことを怖いと思えるようだった。

 やがて手が凍り付き、ぶらんぶらんだった肉と皮の塊が固定される。

「よし、これなら……」

 あとは、隙を見て突撃をして、一瞬、触れられれば大丈夫だ。

 そのあと、燃え尽きることになっても……。

「……これなら……」

 怖い。

 寒くはない。寒くはないはずなんだけれど。身体の内側にある芯が、小刻みに震えだす。やがてその震えは伝播し、私の身体も、小刻みに震えだす。

「はは……。ダメですね~」

 どれだけ自分に言い聞かせても、ダメらしい。

 情けない話だ。

「あの」

 すると、雪南さんが据わった瞳で尋ねてきた。

「私に、力を貸してくれませんか」

 誰でもわかる、覚悟を決めた瞳。

 私は、自分の恐れを努めて隠しながら、その真意を問う。

「どういう……、ことですか~?」

 雪南さんは周囲を確認して、いきなり上の服を脱ぐ。

 羨ましいくらいに豊満な、その左胸元には、獣印があった。

「縛壊であれば、壊獣との契約の縛りも一時的に解除出来るんじゃないですか?」

「まぁ……。それは出来ますが~」

「私は、壊獣の力を最大で五割までしか引き出せないようになってます。その縛りを、一時的にでいいので、解除して欲しいんです」

 五割で、あの状態の灯也さんを相手にあれだけ立ち回れるのであれば、充分ではないのか。

「あの状態の灯也を止めるには、一度完全に凍らせなくちゃならないんです。それには半分の力じゃ足りない。全力で瞬間的に凍らせなくちゃ」

「もし……、全力の、一〇〇パーセントの力なら、灯也さんを止められるんですか~?」

「……止めます」

 確証はないのだろう。でも、その言葉には強い意志を感じた。

 既視感。

 その正体の半分が、他でもない神宮灯也であると気が付くのに時間はかからなかった。

「弟子は師匠に似るんですかね……。灯也さんもきっと同じように言うでしょうね~」

 少しだけ、落ち着いてきた。

「雪南さんは……。怖くないんですか~?」

 ふっと笑って、雪南さんは堂々と答える。

「怖いですね」

「やっぱり、そうですよね……」

「でも」

「戦う理由がある……、んですよね~?」

「はい」

 既視感の正体のもう半分。

 かつて、慧くんを失って、それでも救うと。何も確証なんてなかったけれど、そう強く信じていた。そんな自分。

 気が付けば、あの頃の気持ちに身体が追いついていた。

「私も、その気持ち、わかりますよ~」

「香澄さんは、なんで戦うんですか?」

「恋人が、壊獣の被害に合って……。行方不明、だったんです~」

「だった、ってことは会えたんですか?」

 彼を消し飛ばしたのが灯也さんだと言う必要はどこにもない。すると答えに困るもので、私は笑うことしか出来なかった。

 私の、その表情で雪南さんは察したのか、哀しそうな顔を返す。

「生きる意味でした。彼に会うためだけにずっと努力してきて……。でも、それが亡くなってしまって、初めて思いました~。戦うのが怖いって~」

「じゃあ……!」

 生きる意味。それはきっと、戦う理由と命をかけられるモノの二つが合わさった状態。ものすごく、矛盾に満ちたモノ。戦う理由に、死んでもいいという覚悟があって初めて、生きる意味になり得るのだろう。

私にとって慧くんは、救うための戦う理由であり、また二人でいられるようになるために命をかけられるモノだった。

多分、死ぬわけにはいかない、と強く思うことが大切なのだ。死ぬわけにはいかないと思うから、人は覚悟を決められる。慧くんに会うまでは死ぬわけにはいかない。どれだけ危機的な状況でも、そう思ってきたから頑張れた。

 灯也さんを救いたいという気持ちの嘘偽りはない。でも、それでも怖かった。

「いえ……。もう、大丈夫です~」

 それはきっと、私はもう死ぬわけにいかない、と思えないから。

 そして、だからこそ間近に死を感じる。

 死ぬかもしれない、と強く思う。

その恐怖を超えられるものなんて、そう多くはない。

「確かに、まだ戦うのは怖いですけど……」

 でもそれは、きっと雪南さんも一緒で。

 それでも彼女は、戦おうとしている。

「でも、もう大丈夫ですよ~。私も、戦います~」

 そんな彼女を。

 彼女と、彼の未来を。

 守るなんておこがましいかもしれないけれど。ただ、戦うには充分だった。身体の震えが止まるくらい、私が戦う理由には充分。

 そしてそれは、死ぬわけにはいかない、と決めた覚悟じゃない。

 生きる意味は、もうないけれど。

「戦う理由は、しっかりとありますから~」

 死んでもいいと、決めた覚悟。でも、不思議と恐怖も、後悔もない。心はむしろ晴れやかで。

にやりと、笑えるくらいには。

「一緒に戦いましょう……。灯也さんを、元に戻すんです~」

 今回の件が、全部終わったあと、平気で生きている気すらする。

「雪南さん」

「はい?」

「今回の件が全部終わったら、灯也さんに何か奢ってもらいましょ~」

 突然何を言うんだこいつは、と一瞬顔に出ているが。

 すぐに彼女は吹き出した。

「三人で出かけましょ~。山形市は初めてなので、案内してください~」

「あははは。そうですね、そうしましょうか!」

「はい……。約束ですよ~?」

「はい! 約束です!」

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