第38話 幕間:霞に想う②

「この人型影壊が、慧くん……⁉」

 戯言だ、と一笑に付すのは簡単だ。

 しかし、灯也さんからのメッセージが私に引っかかった。

「金髪の人が現れた、ですか……」

 謎の攻撃にさらされた時。そして、この影壊と戦う直前。あの黒い顎のような技。私の見立てが正しければ、あの攻撃は闇の攻撃。即ち、闇壊。

 目の前にいる異形の怪物が変わり果てた恋人の姿だなんて信じたくはないが。

 しかし逆に、そうであってほしいと思う気持ちも心のどこかにある。

「ダメですね……」

 笑えて来てしまう。

 会いたい一心でここまで来たというのに、いざとなると、会いたい気持ちが邪魔して冷静な判断力を奪う。

 影壊が一瞬で視界から消える。

 反射的に亀甲を構える。しかし、術式が完成するよりも早く、影壊の一撃が私の腕を直撃する。

 ドガァアアアアアアン‼

 痛みより先に妙な感覚がやって来る。すぐにそれが、腕の感覚がなくなった、という感覚だと気が付く。とんちを言っているつもりはないが、しかしてとんちであればどれだけよかったか。

「ぐっ……うぅッ‼」

 波紋のように広がっていく痛覚。

 肩まで骨が飛び出している。腕がくっついているだけ喜ぶべきことなのかもしれない。

 あり得ない方向にひしゃげている肉と骨の塊を引きずりながら、なんとか両脚で立ち上がる。

 腕がこの有様では術式も使えない。文字通り、詰みだ。あとはもう、この影壊に殺されるされるだけ。

 途端に、頬を雫が伝った。

「あれ……?」

 少しずつ大きくなる震えは、私が恐怖していることを克明に伝えてくる。

 この影壊の戦い方、動き。思い返せば、確かに慧くんの動きと重なる部分がある。松神一志が言っていたことは、もしかしたら本当なのかもしれない。

 そう思うことは、果たして都合のいい解釈をしようとしているのか。現実逃避なのか。

 一撃受けてしまった時も、一瞬、躊躇いがあった。反射的に術式を展壊し、ガードをすることも出来たのに、構えるところで留めてしまった。

「なんで、泣いてるんだろう……」

 とめどなく溢れてくる。とどまることなく震えは続く。

 音も発さず、闇にたたずむ影壊に、私は一歩、後ずさった。

「会いたい……」

 まだ、私は何もしていない。

「死にたくない……」

 彼の隣で、その笑顔を見たい。

「諦めたく、ない……!」

 もし、松神一志の言うことが本当なら。いや、この際嘘でもいい。今までと何ら変わらないだろう。

 一縷の望みがあるのなら、諦めたくない。

 目の前にいる怪物が、変わり果てた恋人なら。それをどうにかしたいと思うのは、必然だった。

「慧くん――!」

 その時だった。

 隕石のように光を纏って、私と影壊の間に何かが降ってきた。

 ドゴォオオオオンッ‼

 土煙と、焦げるような匂い。そして、チリチリと肌を焼く熱気。ゆらりと立ち上がった人影は腕を一振り。

 同時に、周囲の木々が燃えはじめ、私の腕を伝っていた血も一瞬で焦げ付く。

「チッ。歯ごたえのねぇザコばっかりだなァ」

 煙が晴れ、その姿が月光の下に晒される。

 燃える炎のような紅蓮の髪。理性など欠片も感じない獣のような眼光。そして近づくもの全てを焼き尽くさんとする熱気。圧倒するような術力。

「灯也さん――?」

 危機的状況下の味方。私は一歩彼に近づいて、二歩目を出す前に、私の左肩を、光が掠めた。

「――え?」

 どちゃ、と重く湿った音が聞こえた。

 辛うじて繋がっていた神経が、その先の左腕の感覚が、完全に消える。

 ゆっくりと視線を左下へ落とすと、そこには私の腕あった。肩口は焦げている。そして左肩は、同じように焦げた傷があるだけ。肩から先にあるはずの腕がない。痛みはない。

「テメェらがなんだかなんてどうでもいい。が、コイツは今寝てる。どうやら近くにあの邪魔な氷女はいねぇ」

 様子が明らかに違う。放つ雰囲気も、これまでのものとは全く違う。

 しかし、その姿は間違いなく神宮灯也である。

「灯也さん……?」

 まるで、術者というよりも、壊獣に近い――。

 初めて彼を見た時、普通の術師とは違う雰囲気を感じた。その正体が何だったのかその時は分からなかったが、今ならわかる。

「これ……、だったんですね……」

 彼が今どういう状態なのか、全く以て見当がつかない。

 理解と疑問が混沌として、思考回路に垢のように溜まっていく。

「手負いの術師とザコ壊獣だけだが――。まぁ、肩慣らしくらいにはなるか」

 そう吐き捨てて腕に持っていたものを投げ捨てる。それは、黒焦げになった人体。やがてそれは、ボロボロと崩れ落ちてしまった。

「まさか、一志さん……⁉」

 灯也さんが味方ではないことは肌でわかる。しかし、私が思っている以上に今は悪い状況なのかもしれない。

 状況は硬直状態。それを崩したのは、影壊だった。

 一歩踏み込み、迷いのない正拳を繰り出す。しかし、その拳は灯也さんに届くことなく燃え、焦げ、灰になって行く。

「先に死にてぇらしいな?」

 左腕を影壊に向ける。

「ダメっ!」

 私は夢中で駆け出し、影壊を抱えて、駆けだした。

 腕はもう使えない。術式も使えない。今の私はただの人間だ。抱えているというより、小さな体に影壊を乗せているだけ。

 それも、特に何か考えがあったわけじゃない。

 このまま焼き殺されるだけ。

 状況は一つも好転していない。

「でも……、諦めません――っ!」

 諦めない。こうして影壊を助けたのも、こいつに慧くんに繋がる希望があると思ったから。

 命からがら、転ぶようにして物陰に隠れる。間一髪、強烈な火炎放射が空気を焼いた。

「あぶな」

 言い切るより先に建物が破壊される。物陰に隠れたのを見ていたのだろう。瓦礫が私の上に降って来る。

 ダメだ、避けられない。死――。

 ガッ‼

 痛みはない。逆に、夜の匂いと、自分の血の匂いはきちんとする。

 生きてる? 恐る恐る目を開く。

 すると、瓦礫は私に届いてはいなかった。

「慧くん――?」

 影壊が、私をかばうようにして、立っていたからだ。

 何がどうなってる?

 混乱が最初に押し寄せる。影壊は、瓦礫を退かし、私の身体を抱えてその場から離脱した。

「えっ、えぇええ⁉」

 明らかに行動に理性がある。

 慧くんの意識が戻ったのか。であれば、本当にこの影壊は――。


 どうにか灯也さんから離れ、越智合の中にあるスケート場に隠れる。

「慧くん、慧くんなんですか~⁉」

 影壊は静かに頷いた。

 今までの思い出や寂しさや、色々なものが一気にこみあげてきて、思わず泣き出してしまう。

 すると、慧くんは指でひっかくようにして、氷に文字を書いた。

――香澄、ごめん。俺のせいでそんなケガを。

私はこれでもかというほど首を横に振った。

「そんなことよりも、私は慧くんが無事に生きてくれていたことのほうが嬉しいです……」

 すると、影壊は首を横に振った。

「どうしたんですか~?」

 ――あの日、俺は闇の中に飲み込まれて、死んだんだ。

「!」

 ――今の俺の姿は、闇の壊獣の力で複製されただけの傀儡なんだよ。

「そんな……。じゃあ、どうしてそうやって自我を持って会話できてるんです⁉」

 ――それは分からない。愛の力かな。

 空気も読まずにこういうセリフを吐いてくるあたり、本当に本物の慧くんと見て間違いないだろう。

 ――とにかく、いつ俺のこの自我がなくなるか分からない。今の俺にある記憶や情報を全部香澄に伝えるよ。

「待ってください……。その後、慧くんはどうするつもりなんですか~? まさか――」

 ――俺は、あのオブジェクトを破壊するよ。実は、現実世界のオブジェクトのそばには、俺達の大元である闇の壊獣を宿した壊術師がいるんだ。そいつは強い。普通にやったら勝てないと思う。でも、今の神宮灯也なら、あるいは。

「灯也さんは、私達を追ってきます~。私達じゃ彼に勝てません~。なのに、オブジェクトを破壊しに行ったら、壊獣諸共――」

 なんとなく、彼の目的が分かった。何故か暴走している灯也さんに、壊獣、自分もろともオブジェクトも破壊させるつもりなんだ。

 ――壊獣、壊術、そして壊術師。その存在は、今の俺の記憶には確かにあって、理解してる。その上で、この事件を起こした首謀者であり、俺達の大元になる存在のことも知ってる。それは、闇の壊獣、闇壊獅あんかいしをその身に宿した男――。壊術師協会の名誉会長、神縣かみがた玄導げんどうだ。

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