第37話 幕間:霞に想う①

 灯也さんと分かれ、北側から越智合のグラウンドを目指して走っていた。

 壊獣の気配は感じるが、そこまで近くはない。なるべく全速力で駆け抜ければ、問題なく予定しているポイントまでたどり着けるだろう。

 このままオブジェクトを破壊すれば、この空間は消えてなくなる。一つ大きな問題があるとすれば、壊獣がそのまま野に放たれることだ。しかし、このままの空間で壊獣を倒し、謎の敵を倒す、ということを成すのは些か無理があると考えた。なにせ新人戦だ。私や灯也さんのように既に壊獣を宿している者もいるだろうが、その大部分は影壊を使うだけの、影法師あがりの人達。強敵との戦闘は難しい。であれば、多少街に被害が出ることになっても、勝率の高い方を選ぶ。

 結果どうなったとしても、その責任を取る覚悟は出来ていた。

 しかし、術師としての力を失うわけにもいかないのだが。

「慧くん……」

 三年前のあの日。

 私の一瞬の迷いが原因で、恋人だった鹿角慧を失った。

 彼の死体を見た訳じゃない。行方不明になってしまったのだ。それから、私は彼にまた出会うため、戦い続けてきた。手がかりがあるわけでもない。どこかにいるという確証があるわけでもない。

 ただ、またあの笑顔を見たい。その一心だけで、今日まで戦ってきた。そして、これからも戦い続ける。

 あの日から、一度たりとも彼の顔を、表情を忘れたことはない。そして、彼と交わした約束も。

「やれやれ……。皮肉なものですね~」

 縛りの理を壊すはずの私が、約束に縛られている。そして、鹿角慧という一人の男に。

 彼を失って初めて気が付いたことだが、私は独占欲が強いのかもしれない。

「! 灯也さんから……」

 通信用として灯也さんに渡した式神から、連絡があった。

「接敵、よくわかんないけど、さっきの金髪の怖い人が出てきた、と……?」

 どういうことだ。彼の死体を見たわけではないが、その絶命の瞬間は確かにこの目で見た。間違いなく死んでいるはず。

 考えられる可能性としては、最初から彼は敵側の人間で生きていなかったか。もしくは、死んでしまった上で取り込まれたり乗っ取られたりしたか……。

 その時、先行させていた式神がなにかの存在を感知した。

「これは……。術師ですかね~」

 このまま真っすぐ向かった先の駐車場にいる。さっきの金髪とは違ってもう少し話の出来る相手だといいんだが。しかし、交渉の余地はある。私は走った。

「あの……。参加者の方ですよね~」

 駐車場に人影がない。私は広いところに出て声を上げる。もしもの時に備え、防御用の式神を忍ばせておく。

「なんだ、君か」

 駐車場の茂みから出てきたのは、はぐれていた松神一志だった。

「一志さん……。無事だったんですね~」

「あぁ。まぁな。ところで、灯也くんはどうした? 一緒じゃないのか?」

「はい……。灯也さんは越智合の反対側にいます~」

「へぇ」

「――あの、一志さん~」

「なんだ?」

「質問してもいいですか~?」

「なんなんだ。一体」

 一歩、彼へ近づく。

「一志さんは、神山術式の人なんですよね~?」

「あぁ。君も見ていただろ」

 一歩。

「じゃあ、松神家は村山の家ってことですよね~」

「そりゃそうだろ」

 一歩。

「では、話は変わりますが……」

「なんだよ」

 一歩。

「松神家という家は、存在しないということはご存じですか~?」

 私も彼も、同時に動き出す。でも、私の方が一手早い。彼の手が私に到達するより先に、私の掌が彼に触れた。

 そしてその瞬間、彼の身体は雁字搦めに拘束され、その場から一歩も動けない状態になった。あと数秒遅かったら、彼の手刀が私の首に触れていた。

「まぁ、神という字が入っている人間は全て壊術師関係の家の人間ですし~。適当な偽名でも存外違和感なかったりするので、気づきにくくはありますが~」

 彼は口角を鋭くして、尋ねた。

「じゃあ、なんでバレた?」

「簡単です……。松上まつがみさん、という修術師が庄内にいるので~」

 同じ「まつがみ」という発音になる家は二つ存在することは絶対にない。ややこしいから。

「さて……。目的をお教えいただきたいですね~。なんで偽名なんて使って新人戦に参加したのか~。あとはまぁ、さっきの二人の行方とかもご存じなら是非~」

 すると、松神一志は笑い出した。

「はははは。なるほど、なるほどな。焦りすぎたか」

「そうですね……。計画としては些かザル過ぎるかと思いますよ~」

「そうだな。君の言う通りだ。でも、君も少し周囲に気を遣った方がいいよ」

「? ――‼」

 ドガァアアアアアアンッ‼

 轟音と共に駐車場のアスファルトが砕け散る。間一髪回避したが、今度は手応えがなくなる。空を掴んだようだ。

「逃げられた……」

 土煙の向こう、ゆらりと立ったのは、さっき会った人型影壊。そして、拘束を解かれた松神一志。

「出し惜しみせずに術式を使うべきでしたね~」

「いや、危ない危ない。危うく死んでしまうとこだった」

 二対一。それに、片方は手の内が知れないし、もう片方は迂闊に近づけない、ときた。

 相当キツい。

 しかし、私の読みが正しくて、もう一つ仕掛けておいたブラフに引っかかってくれれば。状況は大分マシになる。ダメならもう詰みだ。多分私はここで死ぬ。

 ふと、慧くんとの約束が頭をよぎる。

「大学を卒業したら、結婚しよう……。ですか」

 大学入学を控えたあの日、私に言われた言葉。そして、突然襲われた彼と、彼にこの力を見せることを躊躇った私。

 掌を見つめる。契約の影響で、手袋越しでしか彼と触れ合えなかった。そんな私でも、彼は理由を聞かず愛してくれた。彼を失った日から、手袋をすることを止め、今のように長い袖の服を着るようになった。

「もう私、二十二歳になっちゃいましたよ~?」

 また出会えたら、今度こそ、全部打ち明けたい。そして、素手で。彼に触れたい。

 息を吸って、吐く。

 勝算は薄い。勝ち目はない。でも。

「死ぬわけにはいきませんね~」

 私は、式神に灯也さん宛のメッセージを送った。

「さぁ……。返り討ちにしてあげますよ~」

 すると、松神一志はにやりと笑った。

「悪いが、君の相手はこいつだ。俺には別の仕事があるんでな」

 恐らく、その内容は――。

「神宮灯也を殺さなくちゃならない。アイツは、生き残りだからな」

 やっぱりそうか。

「反対側にいるってことは、南か」

 私は地面に触れ、地面越しに彼の足を縛る。

「そうはさせませんよ~」

 しかし、途端に足が黒いもやになって消え、そして程なく二本足が蘇った。

「その力は――」

「じゃあな。神内家の落ちこぼれ」

「……‼」

「あ、そうそう。一ついいことを教えてやろう」

「何ですか……?」

「その影壊。名前は確か、鹿角慧、とか言ったか」

「――⁉」

 それだけ言い残し、松神一志は越智合の南側をめがけて跳んで行ってしまった。

 灯也さんがいるのは、越智合の東側。一応ブラフをかけておいて助かった。少しは時間が稼げるだろう。

 しかし、それ以上の問題が発生した。

「人型影壊が、慧くん……⁉」

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