第32話 幕間:霞に顧みる

 神内家。

 壊術師の家系では、四大名家に数えられる一つ。日本海に面する庄内地方の術師のトップでもある。そんな家の血を引く直系の術師は、当然優秀な術師ばかり。

 私の四人の姉も、優秀な術師ばかり。特に一番上のあおい姉様は、神内家始まって以来の天才と呼ばれ、通常紙や木、石などしか式神として扱えない神内術式を独自に改良して、犬や猫にも使うことが出来るようにさせた。

 二番目の雨詩緒うしお姉様は、姉妹だけでなく、神内全術師のなかで最も多くの式神を同時に扱うことが出来る。一度に一〇〇〇体もの式神を操れる術師は、神内の長い歴史の中でも姉様一人。

 三番目の皇海すかい姉様は、非常に高い独創性を持っている。複数の式神を合成して、キメラ型の式神を開発し、多機能性と操作性を両立させた。

 四番目の和泉いずみ姉様は、非常に高い精度で式神を操ることが出来る。小さな式神で針の孔と通すようなコントロールが可能な術師は、姉様の他にいない。

 そんな優秀な姉妹の中で、私だけは落ちこぼれだった。術力、技術、何を取っても、一般術師にすら劣る。

「失敗作」「無能」「神内家の歴史の汚点」

 幼いころから、私は容赦ない言葉の火に晒された。姉たちからは相手にされず、両親からもいないもののように扱われた。次第に私の心を埋めていったのは、復讐心に似た野心。

「絶対に見返してやる」

 その一心で、私は修行に励んだ。人よりも才能もない私が、壊獣の力を使いこなすようになるには、十年もの歳月を要した。それでも、必死で特訓を重ね、どうにかして壊獣を扱うことだけは出来るようになった。

 そして今から六年前。十六歳の時、縛壊と契約。『縛り』の理を壊す縛壊であれば、契約次第では『術力の縛り』そのものを超越できると考えたのだ。目論見通り、壊獣術式を使う時は術力に関係なく術が行使できるようになった。

 その代償に私は、掌で直接何かに触れることは叶わなくなり、加えて、己の寿命の半分を奪われた。しかし、これで今まで私を見下してきた人々を見返せるのであれば、安いものだと、少しの悔いもなかった。多少の生活の不便があるだけだ。寿命なんて、そもそもいくつなのか曖昧極まりない。復讐さえなせれば、いつ死のうが悔いはない。そう思っていた。

 ――五年前、彼に出会うまでは。


 高校二年生だった私は、やっと手に入れた壊獣の力で、どうやって復讐を果たすか、

それだけを考えていた。情報は力であるとの考えから、勉強は全力で取り組み、成績は常にトップ。他にも、壊獣や、壊術師についても、神内家のみならず、他家についても調べ尽くし、すべて頭に入っている。死角はない。

 そんな折のことだ。

「神内。お前に鹿角かずみのことを頼みたい」

「は?」

 突然、担任に呼び出された。説教を食らうようなことなど一切の心当たりがなかったが、彼の要件は私の想像の範疇を超えていた。

「いや、神内は成績優秀だろ? 全科目一〇〇点ときた。加えて、お前に教えてもらったっていう生徒はみんな成績が上がっててな。教えるのが上手いって評判なんだ。だから、万年全科目赤点男の鹿角にも勉強を教えてやって欲しいんだ」

「いやいやいや……。冗談キツイですよ、センセ~」

 この十七年間で培ったありったけの愛想笑いをする。

「頼む! アイツ、空手の実力は確かなものだから、このまま留年させるわけにはいかないんだ。聞けばお前は部活にも所属してないらしいし、時間はあるだろ? な! 頼んだぞ!」

「え。ちょっ」

 先生はどこかへ行ってしまった。無責任極まりないな。

 鹿角かずみけいは、高校一年生にして、高校空手日本一に輝いた期待の新人。しかし、その学業成績は壊滅的であり、教員もずっと頭を悩ませていた。その情報は掴んでいたけれど。

「まさか私に丸投げするなんて……」

 とはいえ、私は受けるとは一言も言ってない。このまま素直に受ける意味もない。

「帰ろ……」

 さっさと家に帰って修行しよう。そうしよう。

 荷物を取りに教室へ帰ると、件の鹿角が机に向かって頭を抱えていた。

「げ」

 思わず声を上げてしまう。そして、鹿角の耳はその声を聞き逃さなかった。

「あ、神内さん!」

 はつらつとした笑顔と声。まるでこれまでの己の人生に、一点の曇りもないと言わんばかりの。酷くうっとおしい。

「鹿角さん……。部活はどうしたんですか~?」

「あぁ、この間のテストで全科目赤点だったから、補習で一科目でも赤点回避しないと部活に参加できないって」

「はぁ……」

 贅沢な悩みだ。才能のある人間の悩みだ。

 勉強をすることでしか己の価値を示せない私とは違う。

「そうだ、先生から聞いたよ。俺に勉強を教えてくれるって!」

「え"っ」

 鹿角は私の両手を掴んで、深々と頭を下げた。

「ありがとう。宜しくお願いします!」

「~~~」

 なんなんだ、こいつ。

 私に断る隙を与えないばかりか、嫌味のないお辞儀。今時の日本にここまで清々しくお願いが出来る人間がいるとは。

 きらきらとした瞳で見つめられ、私の口からは一言も反論の言葉が出てこなかった。

「……わかりました~。わかりましたよ、はい~」

 悪気なく出来なくて、その上でやる気がある人間を無下にするのは、私には出来ない。


 鹿角慧は、飲み込みだけは早かった。考え方や要点、解き方のコツを教えてやれば、すぐに自分のものにしていく。つくづく、考えなしでは空手も勝てないだろうと思っていたところだ。やはり、脳味噌のつくりは悪くないのだろう。

「鹿角さん、飲み込みが早いですね……。地頭がいい証拠ですね~」

「いや、そんなことない。神内の教え方が丁寧で的確なんだ。ありがとう、世話をかけてしまってすまない」

「――……。モテますね、さては~」

「? なんのことだ」

「いいえ~」

 教え始めてすぐのテストで、難なく全科目赤点を回避。

 これにて、お役御免、と思ったのだが。

 その次のテストではまた赤点マンに逆戻り。

「どういうことなんですか……。なんで一回できたことが出来なくなるんです~?」

「いやぁ、面目ない」

「まったく……。しっかりしてください~。皆、あなたの活躍を心待ちにしてるんですから~」

 そんな会話をしながら、私は晴れて鹿角専属教師と相成ったのであった。

「――神内さんは?」

 はじめ、その問いの意味が分からなかった。聞き間違いかと思ったが、彼は一言一句同じ言葉を繰り返した。

「私は、って……。何がですか~?」

「俺の活躍、見ててくれてるの?」

 夕日に照らされた放課後の教室に二人きり。彼の真っすぐな眼差しは、窓から差し込む燃えるような陽を映し、煌めいていた。私は、身体の熱の訳を探している。

 いや、きっと背中の夕日のせいだ。

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