第19話 幕間:細氷に咲く②

一か月の期間で出来ることは限られている。私と愛夢さんのコンビネーションは、元々そこそこ出来ていたことだが。

「私さ、考えたことがあるんだけど。術式結合じゅつしきけつごうして、雪南ちゃんの氷に私の吸収の力を付与できないかなって」

「氷に?」

「そう。雪南ちゃんの氷塵獄。あれに、術力を吸収する術式を結合するの」

 術式結合。その名の通り、複数の術式を結合させることで、新しい術式を作り出す技。以前私が行った術式併合は、一の術式の後に連続して二の術式を自動発動するもの。今回の術式結合は、一と二、二つの術式を同時に発動することで、相乗効果を生み出す。

「でも。術式結合は二人で一つの印を結ばなくちゃいけないから、かなり難しいですよ」

 術式結合の最大の難点は、片方の右手と、もう一人の左手でタイミングを合わせて印を結ぶ必要があるということ。実践では隙も大きくなるうえに、一時的にどちらも術を使えなくなる為、リスキーなのだ。

 すると、愛夢さんはなんだか自信ありげだった。

「ちっちっちっ。普通はそうだけどね。私にはこれがある」

 そう言って愛夢さんは、右腕を見せた。

「この腕は、常に術式が発動している状態。即ち、この腕で雪南ちゃんに触れれば、雪南ちゃん越しに氷塵獄に結合、そしてそのまま術力を吸収できるんじゃないかなって」

「……試してみる価値は、あるかも」

 私と愛夢さんは、顔を見合わせてにやりと笑った。


 その日の修行を一通り終え、お風呂から上がった。すると、宿舎の愛夢さんの部屋の電気がついているのに気が付いた。

「先に寝るからお風呂先に上がったはずなのに」

 何となく気になって、部屋の中を覗いてみた。

「……‼」

 すると、宿舎の部屋の床、壁、一面に紙が散らばっていた。その一枚一枚に、リンゴがデッサンされていた。

「うーん。ちがうなぁ……」

 また一枚、愛夢さんは紙を放り投げた。

「早くこの腕に慣れないと……」

 愛夢さんは、目が覚めてから神宮家へ帰ってきていない。ずっと本部で腕の調整をしていたとは聞いていた。

 以前少しだけ帰ってきた時、部屋から何かを持って行ったようだったが。

「あーもう! こんなんじゃいつまで経っても戻れないじゃーん!」

 あの時、愛夢さんは絵を描くことを諦めた、と言っていた。それが何故、もう一度絵を描く方に向くことが出来るようになったのだろうか。

「よし! 悩んでも仕方ない! こんな時は散歩だ! 散歩!」

「えっ、あっ!」

 勢いよく立ち上がるや否や、すたすたと歩いてきて、扉を開いた。

「ありゃ? 雪南ちゃん」

「す、すみません……」


「にゃははは。恥ずかしいとこ見られちゃったなぁ」

 愛夢さんに見つかり、そのまま私も一緒に夜の散歩へ行くことになった。

「いえ。すみません。私も覗き見てたみたいに……」

 聞きたいことが無いわけではないが。私から突っ込んでいくのはいささか気が引けた。

「……」

「……」

 沈黙を抱えたまま、夜の闇を歩く。夏の夜は、昼とはうって変わって涼しく過ごしやすい。壊術師として活動する関係上、夜に外に出ることは珍しくない。けれど今は、人生で一番緊張する夜だった。

「ねぇ」

「はいッ!」

 緊張して声が上ずった。

「あははは、なんだその声。どした、体調悪い?」

「あ、いや。そういうことじゃ」

「なら良かった。……さっきのさ、見たんでしょ?」

「――はい」

「まぁ、別に隠してたわけじゃないけどさ。やっぱこう、姉としては妹にダサいところを見られたのは恥ずかしいなぁ。と」

「そんな、恥ずかしくなんてないです! 私にとっては、ずっと愛夢さんはかっこいいですし。どんな姿でも」

「にゃははは、照れるなぁ」

 私も自分で言ってて恥ずかしくなってきた。

「……実はさ。私、大学辞めようと思ってたんだ」

「――‼」

「この腕になってさ。やっぱり微妙な力加減とか、難しいんだよね。何度描いても、満足な絵にならない。だから、諦めようと思ったの」

「……」

「でも、なんで私が絵を描いているのか、思い返してみてさ。誰かの為に、絵を描いてるんだよ。誰かの、笑顔の為に」

「誰かの笑顔……」

「雪南ちゃん、覚えてるかなぁ。君が早織さんのところに来たばかりのころ。全然懐いてくれなくてさ。しかも死んだような目をしてんの」

 三歳やそこらの時の記憶だけれど、何となく覚えている。母が死に、父とも一緒にいられなくなった私は、ひたすらに孤独を噛みしめていた。味のしないガムを延々噛み続けるような、そんな感覚。

 愛夢さんは、そんな私に笑顔を与えてくれた。

「なんとなく覚えてますよ。愛夢さんがギャグ紙芝居みたいなのをしてたこと」

「ギャグ紙芝居⁉」

「そうですよ。後半とかもうわけわかんないことになってたじゃないですか」

 私の記憶が確かなら、最終的におじいさんとおばあさんが白いロボットに乗って宇宙の平和を守る為に戦っていた気がする。

「まぁ、とにかく。昔、しかめっ面ばっかりだった雪南ちゃんが笑ってくれるようになったのが、私すごくうれしくてね。そのことを思い出したんだ」

「だから、あんなに絵の練習を?」

「うん。まぁ、大体は描けるんだけど。やっぱりちょっと気に食わないところがあるからさ。もっと練習して、早いとこ感覚を取り戻して、復学して、勉強しなくちゃ、って」

 腕を月明かりに透かす。

「まぁ、正直この腕はまだ慣れないし、やっぱりまだしんどいけど。灯也君にも行ったしね。大事なのは今だって。お姉ちゃんがずっとくよくよしてらんないでしょ?」

 そう言って笑う彼女は、やっぱり私の知る、強い愛夢さんだった。

「とはいえ。任務も大事だし、やっぱり今の私に一番できるのは戦うことだから、その合間を縫いつつ、になると思うから、何年かかるかわかんないけどねぇ……」

 愛夢さんは、すん、と眉をひそめる。

「あ、じゃ、じゃあ。愛夢さんの分、私も頑張ります。そうすれば、絵の練習する時間も増えるだろうし……」

「ふふっ。そっか。かわいいな、こいつめ」

「えっ? なに、なんですかぁ?」

 両手で頭を撫で繰り回された。柔らかな手の感触と、硬い木の感触。愛夢さんの感触。

「そっか。うん、じゃ、頼っちゃおうかな。無理しない程度に、ね?」

「はい。もちろん。わかってます」

「そうと決まったら、明日からもっと修行頑張んなきゃだね」

「はい!」


 そして、新人戦の日がやって来る。

 即ち、百鬼夜行。作戦開始の日。

「よし。やったりましょう。愛夢さん」

「お? いいね、やる気だね。頼りにしてるよ~?」

 拳を合わせる。

「さて。右腕の借りを返しに行きますか!」

「はい!」

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