第一章 ~『怪物の森と龍の血』~


「アルドさんはどうして『怪物の森』に?」

「目的地までの寄り道みたいなものさ。それよりも君の自己紹介がまだだろ」

「あ、そうでしたね。僕はカイト。近くのランド村の住人です」

「剣を持っているなら、君もソルジャーなのかな?」


 ソルジャーは職業の一つであり、剣術を得意としている。だが素人同然のカイトがソルジャーを名乗るのは、何だか烏滸がましいと感じられた。


「僕はただの村人ですよ」

「……そんな君がどうしてこんな危険な森に?」

「実は――」


 カイトは病気の妹を治すために龍の血を欲していることや、幼馴染の友人に裏切られて殺されそうなところを助けられたことを説明する。聞き終えたアルドは悲痛で顔を歪めていた。


「大変な思いをしたようだな……でも俺が来たからにはもう大丈夫だ。龍の血を手に入れるのを手伝おう」

「でも危険ですよ?」

「危険には慣れているさ」

「それでも赤の他人のアルドさんに手伝って貰うのは……」

「ならこうしよう。手を出してくれ」

「手ですか?」


 言われるがままに、カイトは手を差し出す。その手をアルドは握り返した。


「これで俺たちは友達だ。助ける大義名分ができたな」

「アルドさん……ありがとうございます!」


 命を賭けた龍との闘いに協力してくれるアルドに頭が上がらなかった。ヤマトに裏切られて傷ついた心が、彼の厚意によって癒されていく。


「顔を上げてくれ。下を向いている時間はないはずだろ」

「は、はいっ」


 妹を救い出す。そのためには前を向かなければならない。握った魔剣を鞘に納めると、森の探索を再開する。


 薄暗い森は不気味な雰囲気が漂っている。いつ魔物が現れても不思議ではない。物音が鳴るたびに恐怖でビクッと肩が震えてしまう。一方、アルドは平静さを崩さなかった。


(アルドさんはどれだけの修羅場を超えてきたんだろう)


 まるで街を歩いているかのような落ち着きようだ。この境地に至るために幾つもの修羅場を超えてきたに違いない。それを象徴するように、剣を握る右手には古傷がいくつも刻まれていた。


「龍はここからそう遠くない位置にいるようだな」

「どうして分かるんですか?」

「この木を見てくれ」


 木の樹皮には爪痕が刻まれていた。その大きさから巨大な魔物の痕跡だと分かる。


「鋭い爪をした巨大な魔物だ。ゴブリンのような小型の魔物である可能性は低い」

「どうして爪痕を残したのでしょうか?」

「縄張りを主張するためだろうな。聡い者なら、爪痕だけで恐れで逃げ出すからな」


 爪痕から伝わってくる情報量は多い。身体の大きさ、爪の鋭さはもちろん、攻撃性の高さを敵に伝えることができる。


 相手と交渉の余地がなく、出会いが即戦闘になるなら、覚悟なき者は直ちに後退するだろう。無用な争いを減らす魔物なりの工夫だった。


「待て。魔物の気配がする」


 脅威を感じ取ったアルドは腰から剣を抜く。瑠璃色の剣は吸い込まれるように美しい。この剣もまた超常の力を有していると察する。


「僕も戦います」


 カイトもまた剣を抜き、上段に構える。恐怖を抑え込むために、大きな呼吸を繰り返す。


「君は下がっていてくれ。この気配、予想が正しければゴブリンだ!」


 茂みの向こうから現れたのは、アルドの推測通り、ゴブリンの群れだった。しかし想定外が二つ重なる。


 一つは敵がゴブリンの中でも上位種に位置するハイゴブリンである点。そしてもう一つは数の多さだ。


 少なく見積もっても数十体はいる。青肌のハイゴブリンたちは牙を剥き出しにして、獲物であるカイトたちを見据える。


「アルドさん、やっぱり僕も戦います!」

「安心してくれ。相手はたった数十体だ。俺の敵ではないさ」


 不敵な笑みを浮かべて、アルドはハイゴブリンの群れへと駆けだす。剣を振るい、流れるような剣技で首を刎ねていく。


 一騎当千という言葉がこれほど似合う男はいない。ハイゴブリンに後れを取ることもないだろう。そう確信できるほどに実力差は圧倒的だった。


(アルドさんに任せておけば心配いらないかな)


 ハイゴブリンの首と血が宙を舞うたびに、守られている安心感で体の緊張が解けていく。数十体以上いたハイゴブリンたちは、残り一体まで数を減らしていた。


「トドメだ」


 アルドは最後のハイゴブリンを袈裟斬りにする。力尽きた魔物は血を吹き出して、その場に倒れ込んだ。


「アルドさん、楽勝でしたね!」

「…………」

「アルド……さん?」


 先ほどまで余裕の笑みを浮かべていたアルドの頬を汗が流れる。雰囲気の異変から只事でないことが起きたと察する。


「悪いが、俺一人では守り切れないかもしれない。今すぐここから逃げてくれ」

「でもゴブリンたちをすべて倒したじゃないですか」

「どうやら援軍が到着したようだ。しかもこの気配。迫ってくるゴブリンの数は――」


 地響きと共に、森の向こう側からハイゴブリンの群れがやってくる。その数は百を優に超えている。一人の人間が捌き切れる量ではない。


「俺が時間を稼ぐ。その間に君は逃げるんだ」


 アルドはハイゴブリン相手に一歩も退かない。個としての実力は圧倒的なのだ。対等な闘いならば敗れることはない。


 だがカイトを守りながらの闘いになれば話は別だ。足手まといがいては、ハイゴブリンとカイトの守り、両方に意識を向ける必要がある。


 意識の分散は大きなハンデになる。カイトは自分が原因でアルドが苦境に立たされていることが悔しく、下唇を噛み締める。


(逃げなきゃ。僕がいなければ、アルドさんはハイゴブリンなんかに負けないんだから)


 逃げると決めたカイトは背中を向ける。だが意思とは無関係に、その場で足が動かなくなった。


 金縛りにあったような感覚は、心の拒否反応だ。理性が逃走を選択しても、本能が闘争を選択したのだ。


(体は正直だ。僕のために戦ってくれている人を置いて、逃げられるはずがない)


 アルドは無関係の第三者だ。それにも関わらず、カイトの妹を救うために善意の協力を申し出てくれたのだ。


 当事者である自分が逃げることは、末代までの恥になる。手の中にある祖父の魔剣を握る資格さえ失う。


「僕は逃げない。妹のために死ぬ覚悟を決めてきたんだ」


 ハイゴブリンの群れへと、カイトは足を踏み出す。


 魔物は本能に正直だ。アルドよりも遥かに弱いカイトが手の届く距離まで近づいてきたのだ。目標を変えるのは当然である。


 ハイゴブリンたちの動きの変化にアルドも気が付く。しかし彼を取り囲むハイゴブリンは減ったとはいえ、まだ数が多い。


 それにカイトがアルドに助けられることを良しとしなかった。


「自分の身は自分で守ります。アルドさんも自分の闘いに集中してください」

「だが……」

「勝算はあります」

「――ッ……分かった。死ぬなよ」

「はいっ!」


 カイトは心の中でアルドに感謝する。一定数のハイゴブリンをアルドが引き受けてくれているからこそ、彼の負担も減っていたのだ。


「さぁ、かかってくるといい」


 向かってくるハイゴブリンへと剣を振り下ろす。刃が青い肢体を切り裂いた。肉を斬る感触が手に残り、嫌悪感で眉を顰める。


「グギギギギッ」


 ハイゴブリンが威嚇しながら棍棒でカイトの顔を叩く。首から上が吹き飛んだかと錯覚するような一撃だ。鼻から血を流しながらも、何とか態勢を立て直す。


「よくもやってくれたね」


 全身の体重を乗せた一撃をハイゴブリンに放つ。棍棒を盾にしようと構えるが、痛みのおかげで剣に迷いが消えていた。


 振り下ろされた剣戟は、棍棒を切り裂き、ハイゴブリンを袈裟斬りにする。血を吹き出して倒れる姿を見下ろしながら、顔の痛みが引いていくのを実感する。


「『癒しの魔剣』のおかげかな」


 魔物を倒せば傷が癒える、ならば恐れる理由はない。


 ハイゴブリンたちが一斉に飛び掛かってくるが、その牙を笑みさえ浮かべて受け止める。牙の突き刺さった箇所から血が流れるが、痛みは一時的なものだ。


 振り払うように、ハイゴブリンの首を『癒しの魔剣』で刎ねていく。一匹、また一匹と首が地面で転がる度に、彼の肉体は元の状態へと復元した。


「生きるためには斬るしかないッ」


 魔物を殺す感触は嫌悪の極致だ。魚を捌く時でさえ目を瞑るカイトにとって、身体が傷つくよりも心に湧く罪悪感の方が苦しかった。


 だが手を止めるわけにはいかない。


 これは自分の命を救う闘いではないのだ。病気の妹を救うためなら悪鬼にさえ堕ちてやると、ハイゴブリンの身体を切り刻んでいく。


 倒した数を数えきれなくなった頃、剣を振るう手が疲れで震え始めた。際限がないとさえ思えたハイゴブリンは数えるほどまでに減っている。


「まだ続けるかい?」


 カイトの問いを理解したのか、それともこのまま戦っても勝てないと感じたのか、ハイゴブリンたちは逃げるように森の奥へと姿を消す。カイトの執念が勝利を呼び寄せたのだ。


「アルドさん、僕、勝ちましたよ!」


 ハイゴブリンとの苛烈な戦いを繰り広げていた仲間に視線を送る。アルドは余裕の笑みさえ浮かべながら、ハイゴブリンを撃退していた。最後の一匹を袈裟斬りにして、カイトと目を合わせる。


「ははは、やっぱりアルドさんは凄いや」


 アルドの周囲に転がるハイゴブリンの死骸はカイトと比べ物にならないほど多い。


 ハイゴブリンたちは弱者であるアルドを狙って戦力を集中させていた。そのためこの結果は計算が合わない。


 考えられるのはただ一つ。本来カイトに割かれるはずだった敵を、アルドがカバーしていたのだ。


 その証拠にアルドの立ち位置は初期配置から変わり、カイトへの進行を妨げるような位置取りとなっていた。


(アルドさんには助けられてばかりだ)


 もしアルドの助力がなければ、ハイゴブリンたちの数の暴力の前に膝を突いていただろう。


 尊敬と羨望が胸の中で熱い炎となって燃える。絵本の中のヒーローが飛び出してきたかのようだった。


「気を取り直して、探索を再開しようか」

「はいっ」


 アルドの背中を追いかける。彼と肩を並べる日は遠いかもしれない。だがハイゴブリンとの戦闘を経験したおかげで、胸を張って前を歩ける男に成長することができていた。

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