癒しの魔剣と英雄の孫
上下左右
プロローグ ~『奪われた魔剣と龍の血』~
『プロローグ:奪われた魔剣と龍の血』
カイトは理不尽な不幸を嫌悪していた。
善良に生きた者は幸せになる権利がある。だが世界はいつだって理不尽で、困っている人を放っておけない妹は、病気の父を看病している内に、同じ心臓の病を発症した。
病気の父は口から血を吐いて亡くなった。治療薬も治療法も確立されていない不治の病だ。天運と諦めるのが利口なのかもしれない。だが命の繋がっている妹だけは救いたいと願った。
その願いが奇跡を起こした。吟遊詩人がカイトの住むランド村を訪れ、ある伝承を残してくれたのだ。
『闇深き森の先、伝説の龍が眠る。その龍の血は外傷や万病を容易く癒すだろう』
闇深き森とはランド村の近くにある『怪物の森』だと察する。魔物が出現するため、村の住民は誰も近寄ろうとさえしない禁忌の場所だが、妹を救える可能性があるのなら、足を踏み入れることに躊躇いはなかった。
「不気味な森だなぁ」
日光が葉を照らして、地面にゆらゆらと揺れる影を生み出す。背の高い木々が軋むたびに響かせる音や、ジメジメとした多湿な気候は恐怖を増長させる。
「クククッ、カイトは相変わらずのビビリだぜ」
「ヤマトのように強くはないんだから仕方がないだろ」
『怪物の森』の恐怖を和らげていたのは、隣を歩くヤマトの存在が大きい。彼は幼馴染であり、ランド村一の剣の達人だ。
彫りの深い顔と、筋肉質な肉体のおかげで女性にモテるし、村長の息子ということもあり、将来性も抜群だ。
口が悪いことだけが欠点だが、心根も優しい奴である。その証拠に友人であるカイトのために、妹を助ける協力を申し出てくれた。
「やっぱり魔物が出るのかな?」
「そりゃ出るだろ。でなきゃ村人の出入りを禁止したりしない」
「随分と余裕だね。ヤマトは魔物が怖くないのかい?」
「まったく。なにせ俺は自分の剣の腕に自信があるからな」
ヤマトは腰から剣を抜く。白銀の刀身は日光が反射して輝いており、漂わせる暴力の香りに惹かれそうになる。
「俺はな、この剣でゴブリンを何匹も討伐してきたんだ。今更魔物を恐れるかよ」
「街への行商の護衛を任されているだけはあるね」
魔物は『怪物の森』以外でも出現する。街への商路はその一つであり、ゴブリンや上位種であるハイゴブリンも出現する。
そのすべてを彼は傷一つ負わずに撃退してきたのだ。その結果が村一番の剣士の称号だった。
「ヤマトは凄いよ。僕なんかとは大違いだ」
「そりゃ俺には才能があるからな……だが所詮は井の中の蛙さ。村の中で一番の実力でしかねぇ。カイトの爺さんのように村の外にまで名が轟いてこそ本物だ」
カイトの祖父は口から火を噴く赤龍の首を刎ねた伝説の剣士だった。その首は剥製として村の中央に飾られ、一目見ようと、街から村に訪れる者がいるほどだ。
龍殺しの祖父と、ゴブリンにさえ勝てる自信が持てない自分。惨めな感情が心の底から湧きだしてくるが、すぅと息を吸い込んで、感情を抑え込む。
(僕の目的は妹を救うことだ。有名になるためでも、僕自身が強くなることでもない)
魔物に敗れたとしても、妹さえ救い出せたなら、それだけで十分なのだ。龍の血を持って帰ることさえできるのなら、捨て石にさえなる覚悟だった。
「そういや爺さんの魔剣は持ってきたのかよ?」
「もちろん。僕の唯一のアドバンテージだからね」
腰に差した鞘に納められた剣は魔法の力が込められている。『癒しの魔剣』と称された宝剣は、魔物の血を吸わせることで、持ち主の身体を癒やすことができる。
地味な力のように思えるが、その効力は魔物との闘いを想定すると、如何に強力か分かる。魔物はいつだって多勢で襲ってくる。個々の実力が勝っていても、敵の数が多ければ傷を負うことはありうる。
傷は身体の動きを縛る。闘いを重ねるごとに状況は不利に傾いていくため、冒険の最中はいつだって気を抜くことができない。
だが『癒しの魔剣』さえあれば、敵を斬ることで不覚を帳消しにできる。剣士ならば誰もが欲するほど力だった。
「まったく、カイトが羨ましいぜ。俺の爺さんも魔剣を残してくれりゃいいものを」
「ははは、運だけはいいからね」
「運か……それなら俺も負けてないと思うがな」
「それはどういう?」
「話は後だ。敵のお出ましだぜ」
茂みが揺れて、黄肌の魔物が姿を現す。最弱の魔物ゴブリンが棍棒片手に、鋭い牙で威嚇している。
敵は一匹。ヤマトと力を合わせれば、負けるはずもない。腰から剣を抜き、上段で構えた。
「僕が先陣を切るよ。ヤマトは援護を頼む」
「背中は俺に任せときな」
正面の敵にだけ注力すればいいのだ。意識を正面のゴブリンに向け、恐怖で震える足を前へと踏み出す。
「妹のためだ。許してくれとは言わない」
魔物も命ある生物だ。だが病気で苦しむ妹を救い出すためなら、その命を刈り取ることに躊躇いはない。
「やあああっ」
雄叫びをあげて剣を振り下ろす。だがゴブリンの棍棒によって受け止められてしまう。
「このまま力で押し斬る!」
棍棒を切り裂くために体重を乗せることで、白銀の刃が徐々に斬り進んでいく。
「いけえええっ」
棍棒を切り裂いた段階で勝利を確信する。刃はゴブリンの身体を二つに裂き、血飛沫が宙を舞う。初めての魔物討伐に歓喜の笑みが零れた。
だが喜びは一瞬でかき消される。突如、頭を鈍器で殴られたような衝撃が奔ったのだ。朦朧とする意識の中で、何とか剣だけは握ったまま、その場に打ち崩れる。
「な、何が、起きたんだっ……」
痛みを耐えながら、後ろを振り向くと、ヤマトが醜悪な笑みを浮かべて、剣を構えていた。峰で叩いたのか、刃は逆を向いている。
「クククッ、ようやく、このチャンスが訪れたぜ」
「ど、どうして……」
「もちろん。てめぇの魔剣を奪うためだよ」
友人の裏切りに理解が追い付かない。いったい何が起きているのかと疑問符を頭の上に浮かべていると、彼は口角をさらに釣り上げる。
「何も知らないまま死ぬのも不憫だからな。俺の計画を教えてやるよ」
「け、計画?」
「ククク、てめぇが『怪物の森』に龍を討伐しに行くと聞いて、俺はチャンスだと思ったね。なにせずっと欲しかった魔剣を合法的に奪えるチャンスが巡って来たんだからな」
「…………」
「シナリオはこうさ。『怪物の森』でてめぇは死ぬ。さすがの俺も人を殺すのは抵抗があるからな。気絶させて、魔物の群れに放り込んでやるよ。そうすりゃ、骨さえ残さず綺麗にしてくれる」
「…………」
「一方、俺は親友の意思を継ぐって名目で魔剣を頂戴する。幸いにもてめぇに残された家族は死にかけの妹だけだ。反対する奴もいねぇからな」
「――――ッ」
「あ、そうそう。ありえねぇとは思うが、もしてめぇの妹が反対するなら、俺が結婚してやるよ。どうせ放っておいても数か月で死ぬ命だ。散々遊んだ後に遺産も丸ごと頂戴してやるよ」
「……ぅ――こ、この……」
クズが、と口にすることさえできない。意識を保つのが限界で、少しでも気を抜くと、気絶してしまいそうだった。
許さないと、心の中の炎が燃える。カイトはせめてもの抵抗のために、魔剣を手放さぬようギュッと握りしめた。
「無駄無駄。意識もないのに、剣を握っていられるかよ」
魔剣を奪うために、指から剣を引き離そうとする。しかし万力で絞められたように、その手はビクともしない。
「チッ、仕方ねぇなぁ。手首を切り落とすか」
白銀の刃を振り上げたヤマトは、残忍な眼で手首を見下ろす。
「じゃあな。恨むなら自分の無能さを恨めよ」
ヤマトが刃を振り下ろそうとする。その瞬間、事態は急変した。
「そこに誰かいるのか?」
若い男の声がカイトたちに向けられる。距離があるため、声の主は見えない。だがヤマトの判断は早かった。
「クソッ、仕方ねぇ。一旦退いてやる。それとカイト! もし今日の事を公言してみろ。てめぇの妹の命は保証しねぇからな」
脅し文句と共に、ヤマトは森の中に姿を消す。カイトの薄れゆく意識はボンヤリとその背中を捉えた。
(えへへ、僕の勝ちだ)
急な邪魔が入ったおかげとはいえ、魔剣を奪うヤマトの計画を打ち破ったのだ。祖父の遺産を悪意から守り切ったことに小さな達成感を覚えた。
「生きているか?」
声をかけてくれたのは、耳までかかる黒髪が特徴的な若い男だった。赤と青の調和の取れた服装と、腰に下げた大剣、そして凛々しい顔つきが彼を只者でないと告げていた。
「あ、あなたはいったい……」
「俺はアルド。冒険者さ」
これがカイトの人生の目標となる男、アルドとの出会いの瞬間であった。
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