第一章 ~『緑龍との闘い』~


 ハイゴブリンを撃退したカイトたちは森の探索を続ける。アルドの足取りに迷いはない。自信の源に疑問が湧いた。


「森の奥へと進んでいるみたいですが、何か理由でもあるんですか?」

「ハイゴブリンたちが逃げた先を追っているのさ。きっとこの先に龍がいるからな」

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

「弱者が自分では敵わない強者から逃亡したんだ。どういう行動を取ると思う?」

「より強い者に助けを求める――あっ!」

「ハイゴブリンたちの逃走経路はすべて同じだ。逃げるのなら散り散りになるべきなのに、そうしなかったのは、進んだ先に頼りになるボスがいるからだ」


 振り返ってみると、ハイゴブリンたちは龍の縄張りに足を踏み入れてから姿を現した。もし彼らが龍の配下だとするなら、その行動に辻褄が合う。


(強さだけじゃない。アルドさんは洞察力まで僕の遥か高みにいる)


 追いかける背中がより一層大きく感じられる。


 だがその背中が急に止まった。進む先に異変を察知したのだ。


「喜べ。龍は近いぞ」


 耳を澄ましてみると、遠くから空気を裂くような鳴き声が聞こえてくる。爬虫類とも鳥類とも感じ取れる声は、ハイゴブリンのものでないことだけは確実だ。


「アルドさん、実は僕、ワクワクしているんです」

「君もか。実は俺もだよ」


 ハイゴブリンとの闘いで脳内麻薬が分泌されたおかげで興奮しているのか、龍に対する恐怖が和らいでいた。


 今ならどんな強敵にも負けない。自信に満ちた足取りで茂みを抜ける。


「あ……っ……ぁ……ア、アルドさん……あれ……」

「龍のお出ましだな」


 先ほどまで龍と戦うことに楽しみさえ覚えていたカイトだが、視界に映る残酷な現実が、そんな感情を吹き飛ばしてしまう。


 翡翠色の鱗に覆われた緑龍は巨大な要塞を思わせるほどに大きい。亀のような愛嬌のある顔をしているが、人を丸呑みできそうな口を見ては、愛らしい印象も恐怖を増長させるスパイスとなっていた。


「勝てるはずがない……ッ」


 人は自分より巨大な者を恐れるようにできている。子供が大人を恐れるように体躯はそのまま戦闘力に直結するからだ。


「しっかりしろ。俺たちの諦めが何を意味するのか忘れたのか?」

「そうだ……僕は逃げられないんだ……」


 妹の命を賭けた闘いだ。相手が自分よりも遥かに巨大だとしても、挑む以外の選択肢はないのだ。


「……っ――覚悟を決めました。僕はこの闘いに命を賭けます」


 自分が死んでも妹が救えるのならば、それはカイトにとっての勝利となる。囮となる決心で歩みだそうとした時、アルドが行く手を遮る。


「緑龍とは俺が戦う。君にはあいつらを任せたい」

「あいつら?」

「目を凝らしてみろ。緑龍の影にハイゴブリンが隠れている」


 視線の先にはハイゴブリンたちの姿があった。その数は百体を優に超える。アルドがドラゴンとの闘いに集中するためには、カイトがハイゴブリンの梅雨払いを引き受けなければならない。


「任せていいか?」

「緑龍と比べればハイゴブリンなんて赤ん坊と変わりません」

「それでもあの数だ。苦戦を強いられることになるぞ」


 アルドと共に戦ったからこそ、先ほどは百体近いハイゴブリンを討伐できたのだ。だが今度は一人で闘い抜かなければならない。


 すぅと息を吐く。第三者のアルドに重い負担を背負わせるのだ。当事者の自分が恐怖で震えてはいられない。


「てりゃあああああっ」


 剣を振り上げながら、ハイゴブリンの群れへと駆けだす。それと同時にアルドが緑龍の正面へと移動する。


 アルドなら緑龍相手でも何とかしてくれる。期待が安心感となり、意識をハイゴブリンへと集中させる。


「グオオオオッ」


 龍が雄叫びをあげながら、カイトの行く手を阻もうと前足を振り下ろす。迫ってくる影は死の接近だ。いつものカイトなら震えて動けなくなっていただろう。


 だが傍には緑龍の相手は任せろと豪語したアルドがいるのだ。彼がいるなら、龍の前足がカイトに振り下ろされることはないと確信できた。


 事実、落とされた龍の前足を、アルドが剣で受け止めていた。重みで足が地面に沈んでいくが、それでも尚、彼は不敵な笑みを崩さない。


「アルドさん、大丈夫ですか!?」

「俺のことは心配するな。君はゴブリンに集中しろ!」

「はいっ!」


 ハイゴブリンたちはカイトの敵意を感じ取ったのか、一斉に向かってくる。『怪物の森』へと足を踏み入れる以前の彼なら、その圧力だけで震えていたはずだ。


 だが今のカイトは違う。修羅場を潜り抜けたことで、効率的なゴブリンの討伐方法が身体に染みついていた。


 まるで流れ作業を処理するように、ゴブリンの首を順番に刎ねていく。肉を斬る感触への抵抗も麻痺していた。


「一匹足りとて、アルドさんの元へはいかさない。すべて僕が倒す」


 隙間をかいくぐって、アルドを襲撃しようとするゴブリンがいれば、優先的に駆除していく。裂帛の意思が込められた一撃が振るわれ、ゴブリンの首と胴体が別れる。


「もう終わりか!?」


 剣を血で濡らすカイトは、ハイゴブリンたちからすると不死身の化け物だ。斬れば斬るほど持ち主を癒す魔剣も、魔物からすれば死神の鎌よりも禍々しい凶器として映っているはずだ。


「グギギギギッ」


 ハイゴブリンたちはカイトに怯え、視線をアルドに移す。龍と拮抗勝負をしている彼に戦力を集中させるべきだと、魔物の本能が狙いを変える。


「逃がさないッ」


 カイトの脇を通ってアルドへと向かおうとするハイゴブリンの数が増える。だがそのすべてを、背中を斬りつけることで食い止める。


 だが敵の数は多い。一匹の動きを止めても、二匹、三匹と増え続けるゴブリンに対処が遅れ始める。


「絶対に逃がさない!」


 ハイゴブリンを追いかけるためにカイトは背を向ける。


 その隙を狙うように、ハイゴブリンたちは彼の身体に牙を突き立てた。肉が裂かれ、血が流れる。経験したことがないほどの激痛が奔るが、彼の動きは鈍らない。


 牙を突き立てるハイゴブリンたちを振り払う。足の速さはカイトが上なのだ。急いで追いつくと、背中に剣を奔らせる。


 振り下ろされた剣がハイゴブリンの身体を一刀の元に両断し、真っ二つにする。だがまだまだハイゴブリンとの闘いは終わらない。敵の数は減らせども尽きてはいないのだから。


「やっぱり龍を倒さないと」


 アルドと龍の力量が互角なのか、闘いは拮抗状態が続いていた。だがこの均衡はハイゴブリンの邪魔が入らないことが前提だ。少しの力が加われば、簡単に崩れるパワーバランスの上に成立していた。


「待てよ。拮抗状態を打破できるのはハイゴブリンだけじゃない」


 力量の劣るカイトもまた、その資格を有する一人だ。


「僕がアルドさんを助けるんだ」


 カイトは龍を見上げて深呼吸する。龍の巨大さに、恐怖を感じないといえば嘘になる。だがそれよりもアルドの役に立てるかもしれない歓喜の方が勝っていた。


「いくぞおおっ」


 剣を振り上げて、雄叫びをあげる。声は今から攻撃することを敵に知らせることになる欠点がある。だがそれ以上の利点も存在した。


 利点は二つ。一つは恐怖の緩和だ。人は声をあげることで、感情に打ち勝つことができる。


 そしてもう一つは注意の引き付けだ。緑龍の意識をカイトに割かせることで、アルドの闘いを有利にすることができる。


「グオオオオッ」


 緑龍は迫ってくるカイトを排除しようと顔を向けようとする。しかしアルドの放つ殺気によって視線を元に戻す。


 前方にアルドほどの強者がいては油断できるはずもない。おかげで間合いまで近づくことに成功したカイトは、地を這う前足に剣を突き立てる。


 だが表皮を斬ることができても、肉を裂くことができない。鋼鉄のような鱗が邪魔をしていたからだ。


「やっぱり僕の力じゃ駄目なのか……」


 何度も剣を打ち立てるが、緑龍の前足から血は一滴も流れない。その状況に諦めを感じ始める。無慈悲な現実はいつだって残酷だと自嘲の笑みさえ零れた。


「諦めるな。自分を信じろ!」

「アルドさん……でも……」

「君のお爺さんなら逃げたか?」

「逃げるはずありません!」

「なら血を引く君も逃げない。違うか?」

「無茶苦茶な理屈ですね……でも勇気を貰えました」


 祖父は龍殺しの英雄だ。一刀で龍の首を刎ねたという。


(思い出せ。僕はお爺さんの剣筋を知っているはずだ)


 龍殺しの剣舞を披露する祖父は記憶の中に居る。その光景を自分の肉体で再現できれば、鋼の鱗を斬ることも不可能ではない。


「僕ならできる。なにせ英雄の孫なんだからなっ」


 円弧を描いて剣を振り下ろす。舞にも似た流麗な動作で叩きつけられた剣戟は、緑龍の前足に刃を差し込んだ。


 足を切断するには至らないが、肉を裂くことには成功する。


「僕の実力ならこれが限界だ。でも――」

「グオオオオッ」


 緑龍が痛みで雄叫びをあげる。その隙をアルドは見逃さない。


「ありがとう。君がいて助かったよ」


 アルドは痛みで悶える緑龍の身体を駆け登ると、頭の上に乗る。


「これは俺たちの勝利だっ!」


 アルドは緑龍の首に剣を振り落とす。祖父と同じ英雄の一撃だ。首は胴体を離れ、果実が枝から落ちるように、地面へと落下した。


 ボスの龍がやられたとなれば、ハイゴブリンたちがここに残る理由もない。彼らはアルドたちが来た方角へと逃げていく。森の奥に、さらなる強者がいない証左でもあった。


 残されたのはアルドとカイト、そして龍の死骸だけだ。あらゆる傷と病を治す血もこれで手に入る。


「やりましたね、アルドさん!」

「いいや、喜ぶのはまだ早い」

「え?」

「龍の血が流れた跡を見てみろ」


 緑色の血が付着した草木は腐敗して崩れ落ちていた。その様相はさながら毒であり、あらゆる傷と病を癒す血とは到底思えない。


「そんなぁ……ここまで頑張ってきたのに……」


 カイトはその場に崩れ落ちる。妹を救えなかった悲しみで目尻から涙が零れ落ちた。


 そんな彼の肩に、アルドは優しげに手を置く。慰めかと思い、顔を上げると、彼は複雑な感情を混ぜ合わせた笑みを浮かべていた。


「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」

「なら……良いニュースを」

「君の妹は助かるかもしれない」

「ほ、本当ですかっ!」


 アルドが気休めの言葉を口にするはずがない。必ず根拠があるはずだ。急かすように、ジッと目を見つめる。


「どうすれば妹を救えるんですか? 教えてください!」

「実はそれが悪いニュースだ。もう一匹、龍がいるようなんだ」

「こ、こいつがもう一匹……」


 これほど苦労して倒した敵がもう一体いる。信じたくないと否定するように、根拠を問いただす。


「倒した緑龍の爪を見てくれ。丸みを帯びているだろ?」

「はい。でもそれが何か?」

「樹皮に刻まれた縄張りを主張する爪痕を忘れたのか。爪痕の鋭さは緑龍のものではない」

「な、なら……」

「龍はもう一匹いる。しかも緑龍より鋭い爪を持つ龍がな」


 吟遊詩人の唄った龍が、もう一匹の龍を指すなら、その血が万病を治す力を持っている可能性が高い。


「希望は提示した。後はやるかやらないかだ」

「やります。僕は妹を救うためなら何だってやる覚悟ですから」

「ふっ、その意気だ」


 下を向いている余裕はないと、カイトは前を向く。その瞳はただの村人とは思えないほどに強い意志を宿らせているのだった。



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