第4話

学校の授業は大体つまらない。授業なんて上の空だ。

私は特に得意教科があるわけでもなく、苦手教科もない。いたって普通だ。

中間テストや期末テストも点数が上下することはない。

唯一国語だけは他の教科よりも点数が良かったかもしれない。

他の教科と比べたら国語は自由だと思う。主人公や筆者の気持ちを考えることは相手の気持ちを考えることと一緒なのではないかと思うから。


数学の授業—。

琵琶湖がさざめく音が風に乗って聞こえてくる。

私は一種の音色みたいだと思った。海と風の共同合奏。

どっちかが欠けるとこの合奏は成立しなくなる。

友達と同じだ。どっちかが欠けると友情は成立しない—。

友情は合奏と同じなのだ—。

豊かに響く音色は希望がある限り消えない友情と一緒だ。

私は青空に飛行機が真っ直ぐに引いていく白い線を見てため息をついた。

私はなぜ生きているのだろう。何のために………。誰も私を必要としていない世界に存在する価値がないのではないか。私はひとつの決心を固めた。もう全部終わりにしよう。


放課後――。

夕日が映る琵琶湖は水面がキラキラと光り、とても綺麗だった。世界遺産になるくらいだ。学校に面しており、昔、この学校の生徒が琵琶湖で自殺したことが一時期学校で有名になり、教員たちは琵琶湖出入り禁止を実施しようかと迷っていたと聞いていた。

まさか自分がこの琵琶湖で自殺するなんてと自分で自分に苦笑する。

水浜を歩いているとなぜか佳奈との思い出が鮮明に蘇ってくる。

――――中学一年生の夏休み。「ねぇねぇ!二人でどこまで泳げるか競争しよう!」

「いいよ!」あの海水浴を忘れはしない。あの時の競争は結構な差が開いて佳奈が勝ったのだ。私は負けず嫌いだが、その時不思議と悔しいとは思わなかった。

さすが佳奈だなと感心をしていたぐらい。


秋には紅葉を集めて冠を作っていた。冬は二人で雪だるまを作った。春には四つ葉のクローバーを探した。あの幸せな時間は夢のようだった。季節ごとにすることを変えて二人で笑って。あの時の自然に笑えていた自分が懐かしい。中学二年生の夏、海水浴に行った時、私が溺れてしまい、佳奈が助けてくれた。秋に怪我をしてしまった私を佳奈は全力で手当てしてくれた。冬になって病気にかかった時にも佳奈は毎日お見舞いに来てくれた。佳奈はいつも私のことを思って私のために動いてくれる友達だ。

中学三年生の春。

私は佳奈とちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。

貸していた漫画がちょっと汚れていて私が怒ると彼女はそんなことぐらいでと言ってそのまま喧嘩になってしまったのだ。でも、次の日彼女が私の家に来て「私ともう一回友達になってください」と言ってきたのだ。佳奈に頭を下げられたら私はなにも言えなかった。

あの時の仲直りがなければ私はこの世界で佳奈と一生口を聞かずじまいだっただろう。


いつでも私の隣で応援してくれていつも傍で私を励ましてくれて。

こんなに私のことを思ってくれる友達がかつて私にいただろうか。

そんな彼女の口癖は「逃げないで」と「一人じゃないよ」だった。

私が落ち込んでいる時や悩んでいる時、何度この言葉に助けられたか分からない。


私は湖を見つめた。ここの深い所に行けば佳奈に会えるのか。死ねば佳奈に会えるのだ。

私は湖の透き通るような水面と自分を比べてため息をついた。私もこんなにキラキラ輝けたら。もっと違った見え方があったのではないか。

湖の浅いところを歩き出す。バシャバシャという水の音と共に私は制服が水に浸かっていくのを感じた。もうすぐ深いところに着くはずだ。そう推測した瞬間、誰かの大声が聞こえた。ビックリして振り返るとそれは転入生の花菜美だった。転入生は大声で「ダメ」だと叫んでいる。無駄なのに。私の気持ちは変わることはないのに。私は転入生を横目で見ながらどんどん進んでいく。私は転入生に叫ばれてもためらうことはしなかった。

でも、彼女は驚くようなスピードで私の元に駆け寄ってきた。

私がビックリしていると彼女は私の手を握りしめて話し出した。

「ねぇ茉央、私たちが毎年のようにしたこと覚えてる?春には四つ葉のクローバー探して、夏には海水浴や夏祭りに行って、秋には紅葉を集めて冠を作って、冬は雪だるまを作って。すっごく楽しかったよね。中二の夏なんて茉央海で溺れちゃったもんね。ビックリしたよ。

死んだら楽しいことできないよ。私たち友達でしょ?中学卒業式の時約束したよね?たとえどっちかが早く死んだとしても後を追うように自殺だけはしないこと。

まさかこんなに早くあの約束が実施されるとは思ってもみなかったけど。

覚えてるでしょ?」

私はあんぐり口を開けていた。なんで転入生がここまで知っているのだろう。どうして自分がしたことのように話すのだろう。驚きと共に湧き上がってきた感情は怒りだった。

「どうしてあんたがそこまで知ってるのよ!?勝手に知ったかぶりしないでよ!あんたなんかに私の気持ちなんて分かるはずない!佳奈のこと知らないくせに!なんなのよぉぉ!」

私は訳が分からない激情に支配され、思うままに叫んでいた。気がつくと涙がポロポロと頬を流れていた。自分と親友しか知らない思い出を侵害された気分になり、悲しかった。彼女は私の手を引っ張って水辺に連れ戻そうとする。私は湖の方に行こうと手に強く力を入れたその時転入生の手首に目が止まった。

ミサンガ………。

―――――「ねぇねぇ!一緒にミサンガ作ろう!友達の証に!」「それ、いいね!」

小学六年生の頃ミサンガを色違いで作って絶対外したりしないことを誓ったのだ。

それからお風呂の時以外外したことはなかった。当時ミサンガが流行っていて切れると願い事が叶うと言われていたのだ。


自分の手首に巻かれているミサンガと見比べる。

間違いない……。もしかしたら…………。

「佳奈………?佳奈なんだよね………?」

私の静かな、でもはっきりとした疑問を帯びた声が湖の音と共存する。

その時、私は転入生の目を見逃さなかった。

一瞬、彼女は目に輝きと喜びの色を宿したのだ。

でも、すぐに視点の定まらない目に戻して、私の手をゆっくり離してこう言った。

「死なないで。この世にいらない人間なんて一人もいないんだから」

転入生は真剣な眼差しで私を見据えてそれだけ言うとその場を去っていった。

海に溶け込む夕日が私を包む中、私は湖の前で立ちつくしていた。

私は今初めて自分が涙を流していることに気がついた。

初めて分かった気がした。私が佳奈が死んで失ったものは佳奈自身の存在ではない。

それは———笑顔と涙。

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