神原陽太 神業――後編

 ページの左上から右下へ、止まることなく戻ることなく線を走らせる。

 想像した風景はスケッチブックより広かったけど、収まらない部分は描かない。さっき想像した世界を、ページの面積だけ描き出すのだ。

「どういう描き方してますの……」

「神原君曰く、頭の中でイメージした光景を漫画原稿――今回はスケッチブックのページですが――の下に敷いて、上からなぞるように描くんだそうです。私もちょっとなに言ってるのかわからないんですけど」

「はあ」

 いや、白雪の言っている通りなんだけどな、僕としては。

「スクリーンショットってあるじゃないですか、スマホの画面をそのまま画像として保存する」

「さすがにそれくらい知ってますの……」

「それの脳内版です」

「いや意味がわかりませんの」

「頭の中のイメージを頭の中でスクショして頭の中で印刷して紙の下に敷くイメージをして、あとは上からなぞるんです」

「白雪さんの説明からなに一つ情報増えてませんわよ!? あとしれっと喋りながら描かないでくださいまし!」

 なんてツッコミを聞いているうちに九割を描き終え、もちろんラスト右下の隅まで迷うことなく描き終える。

「はい、できました」

 四隅はもちろん、リングの通る円形の穴の周囲も、鉛筆の先が届く範囲にイメージ上の線があるならすべてなぞっている。

「消しゴム、一度も使いませんでしたわね……」

「そりゃ下書きがありましたから」

「神原君、想像だけじゃ下書きとは言わないんだよ」

 スケッチブックに消し跡は一つとしてなく、想像通りのモノクロ世界を描くことができていた。

 僕がスケッチブックを返すと、高林さんはまじまじと僕の描いた絵を眺める。

「まるで見てきたかのように描きますのね……。モノクロなのに、今にも動きだしそうな感じがしますの」

「そんなそんな」

「誰にだって取り柄はあるものねぇ」

 興味のない声音でそんなことを言いながら、優花も別の鉛筆でコピー用紙になにかを描いていた。

「優花ちゃんはなに描いたの――う゛っ!?」

 白雪があげた重たい呻きが気になって、僕と高林さんも楕円形のテーブルに向かう。

 そのコピー用紙に書かれた絵には、理解こそできないが迫力はあった。

 毛羽立ったセーター……そんな絵を描くわけがないだろうから、とぐろを巻いている足のないドラゴン? だろうか。

 それも、日本神話の挿絵か、さもなくば刺青のデザイン、あるいは和風旅館の床の間に飾られる掛け軸のような、古風な味があるイラストだ。

 力強い筆圧。迷いのない尖った図形が複雑に絡みあっている。影の表現だろうか、短く勢いよく密集する線の群れが、劇画チックな雰囲気をラーメン屋の如く醸し出す。

 パワー溢れる画力で描かれたそれは。

「チワワよ」

「雄々しいよ! こんな猛々しいチワワこの世にいないよ!?」

「百歩譲って前脚はわかるけど、後ろ脚どこにもないぞ……」

 千歩譲って四足歩行の動物だとしても、鳴き声は重く轟く恐ろしいものしか想像できなかった。だいたい、胴体が長すぎる。

「ど、読者の恐怖心を煽れるという点では羨ましいですの」

「……無理に誉めないでください」

 さすがに上手くないことは自覚しているのか、優花の声はあまりにも小さかった。

「なにかほかにも描きます?」

「いいえ。参考にできるよう頑張りますわ。ありがとう」

 高林さんは満足げな顔で首を横に振る。

「そういえば、三人は元々入学準備の途中でしたわよね? 用意はよろしくて?」

「文房具は買いましたし……優花ちゃん、他になにかあったっけ?」

「大丈夫でしょ。人格チェンジも病院で変わったばかりで余裕はあるけど」

 白雪と優花が頷きあうと、高林さんは僕らを羨むように微笑んだ。

「いいですわね、高校生。もしよろしければ、今度制服姿を見せてくださいましな」

 そう言われて、僕はとんでもない忘れ物に気がついた。

「そういや、高等部の制服ってどうなるんだ?」

 僕は白雪に話しかけたんだけど、優花が僕にガンを飛ばしてくる。

「は? あんた前そんな話お父さんとしてたわよね? どうなってるワケ?」

「優花ちゃん、なんでもかんでも神原君に雑用押しつけるのやめよう……?」

 高林さんから同情の視線を向けられて、僕はどうか高林さんからも一言言ってやってください、と心の中で返事した。

「親父の話じゃ、白雪のお母さんに受け取りお願いしたって聞いた気がするけど」

「気がするってなによ、気がするって。ちゃんとしてよね」

「だからお前も当事者だろ! 偉ぶるな!」

「ハイハイ人ん家で喧嘩しないの! まったくもう。……でもお母さん、忘れてないかな……ちょっと電話してきます」

 白雪のお母さんからすれば、僕らの制服を受け取りに行く話は、次女の階段転落からの入院からの僕らの人格同居現象よりかなり前のことだからな……。

「そういえば、入学式って結局いつなんですの?」

 白雪が廊下に出ていくのを見送って、優花が高林さんに応えた。

「明後日です」

「ええっと……なるほど、金曜日ですのね」

 そして廊下の向こうから「やっぱり!」と白雪の声。

「やっぱり忘れていたみたいね……制服ってあたしたちが取りに行ってもいいわけ?」

「そりゃいいに決まってるだろ。でもスクールバッグやらジャージやらあるから、車あった方が

いいってことで、だから白雪のお母さんが取りに行ってくれるって話になったんだよ」

 そう答えてやると、優花は相槌すら打たずに廊下の方を向き、白雪に向かって声をかける。

「――白雪! あたしたちも行きたいって伝えてー」

「……てっきり僕に取りに行かせるのかと思ってたけど」

「せっかくよ、榊さんたちに学校、下見してもらいましょ」

 電話を終えて戻ってきた白雪が、廊下に繋がるドアを閉める。

「ちょうどさっき学校からも電話きてたんだって。明日までに取りに来てくださいってさ。で、お母さんには私たちも行くって伝えておいたから。お昼前かな」

「そう。じゃあ明日にしましょうか」

 そう言って、優花が立ち上がった。

「さ、帰って入学準備の見直しよ。高林さん、お邪魔しました」

「こちらこそ、突然連れ込んでしまってごめんなさいですの。神原君、絵、ありがとうございます。参考にさせてもらいますわ」

 高林さんも、僕らを見送るべく立ち上がる。

「あ、いえいえ。そんなそんな」

 僕も荷物をまとめて優花の後ろに続いた。

 最後、高林さんは白雪を呼び止めるも、白雪の返事以降足音も聞こえなくなって僕は振り返る。

 高林さんは、白雪の耳に口を近づけ、手で口元を隠しながらなにかを囁いていた。

「――――ッ!?」

 いったいなにを言われていたのか、白雪は顔を真っ赤にして高林さんを見る。

「ふふ。応援していますわ。頑張ってくださいまし」

「ふああ……は、はい……っ!」


 こうして高林さんの部屋を後にして、帰路に着く僕ら。

「白雪、さっきなにを言われてたんだ?」

 文房具の入ったビニール袋が揺れる音、歩行者信号から聞こえる鳥の鳴き声、大通りを走行する車の音も賑やかだ。

 が、隣を歩く白雪の、どこか照れたような、少し意地悪気な笑顔を見ると、途端に雑音が意識から消えた。

「えへ……陽太君にはヒミツだよ」

 白雪の逆隣を歩く優花が混ざる。

「あら、あたしには教えてくれないの?」

 白雪は優花の耳元に口を近づけ、なにかを呟いた。

「よかったじゃない。ま、ネタにされないようにね」

「えー、高林さんそんなことするかな」

 なんの話だろう。

 ――漫画の話かな。

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