天野白雪 人格チェンジと本体への影響
「はいこれ」
私は使い捨てスプーンを姫花お姉ちゃんに渡した。
「姫花さん、それはなんですの?」
「スプーンだよ」
「見ればわかりますの……」
姫花お姉ちゃんに代わって私が説明する。
「さっきドーナツ屋で竜太さんから説明した、人格チェンジのスイッチです。優花ちゃんは頭を手で撫でることですが、竜太さんはあ~んすることなんですよ」
「いや真顔で言われましても」
ですよね~。まあ、こればかりは見てもらった方が早いかもしれない。
私と目があって、姫花お姉ちゃんは無言で頷いた。
「さあ竜太君、あ~ん」
個包装の包みを破って、姫花お姉ちゃんがプラスチックスプーンを竜太さんに向ける。
「な、なあ、わざわざ高林の前でやる必要ないんじゃ」
「病室の中でやらないと意味ないでしょ?」
姫花お姉ちゃんがやけに挑発的だ。たまらず、竜太さんはたじろいで、私たちに救援要請。
「じゃあ高林! 白雪ちゃん! 一旦外に」
高林さんは一旦素直に頷きかけるも、なにを思ったのか意地悪気な笑みを浮かべた。
「あらあら。わたくしたちが出ていったら、誰が榊さんの容態の異変を観察しますの?」
茶化す気だ……。案外余裕あるなぁ。
とは思ったけれど、今はツッコミしている場合じゃない。
「そうだよ。それに二人ともわかってると思うけど、それ陽太君と優花ちゃんの身体だからね? 私には二人を見張る責任があるんだよ」
「くっ……!」
「はいというわけで竜太君? あ~ん」
竜太さんは覚悟を決めて、ぱっと口を開ける。姫花お姉ちゃんが「素直でよろしい」と茶化しながら、使い捨てスプーンを口に入れた。
竜太さんが口を閉じた、その刹那!
ピピッ。
「わ!? 心電図が!」
「今竜太君の指も動いたよ!?」
「ちょ、やっぱり怖いですわ、大丈夫なんですの!?」
一定のリズムを刻んでいた心電図の波が、ほんの一瞬、イレギュラーな線を描く。竜太さんの指先も少し曲がって、しかし表情など他の部位はまったく微動だにせず……。
心電図も元のように意識不明のままの線に戻って、それきり。
竜太さんが目を覚ます気配は……ない。
それでもまだなにか変化が起きるかも……身構える私たち女子三人の耳に、抑揚の少ない陽太君の声が届いた。
「……これ、どういう状況?」
「ごめん神原君もう少し待って」
さすがに心に余裕がなくて、私は陽太君に手を向ける。
「白雪って割と陽太君に容赦ないよね」
姫花お姉ちゃんがなにか言った気がするけど今はそれどころじゃない。そのまま一分くらい竜太さんを観察し続けて、姫花お姉ちゃんが腕をそっとつついてもみたけど、やっぱりなんの反応も示さなかった。
「……お待たせ、神原君。状況を説明するね――……」
一時間くらいの間しかなかったから、説明自体はすぐに終わる。
「――というわけなの」
「ふうん。じゃあ、ずっとこのままってわけじゃないんだな」
「それはわからないけどね」
「そうか」
ずいぶんと淡々としたリアクション。
「神原君はやたら落ち着いていますのね……」
「きっともう受け入れるしかないと思っちゃってるんですよ、ね?」
私が当てにいくと、陽太君は渋々コクリと頷いた。
「どうにかなるならどうにかしたいけど、どうにもならないなら仕方ないじゃないですか」
そう語る陽太君の表情に、変化はない。きっと陽太君の中では、人格同居現象に対する恐怖なんて、常日頃から優花ちゃんにこき使われている苦労に比べれば軽い方、なんて思っちゃっているんじゃないかな。
「見てくださいこの理不尽に耐え慣れてる感っ!」
「褒めるところじゃないと思いますのよ!?」
姫花お姉ちゃんが高林さんに近づき、彼女の耳に口を近づける。
「あー、高林さん? 白雪って陽太君のことになるとちょっと――」
「ちょっとなに!? ねえ聞こえてるんだけど! 神原君にも聞こえる音量で変なこと言わないで!」
私が必死になにかのリークを阻止すると、高林さんはなにかを理解したかのように深く頷いた。
「あらまあ、可愛らしい」
ああ、見透かされてしまった……!
恥ずかしさにしゃがみこんでいると、姫花お姉ちゃんがパン、と一回手を叩く。
「さーて。それじゃあ、次は私の番だね。白雪、もう一回リボンよろしく」
「う、うん」
こうして姫花お姉ちゃんの病室に向かい、私は駅前ビルのトイレのときと同じように、姫花お姉ちゃんの首にリボンをかけた。
瞬間、ベッドに横たわっている姫花お姉ちゃんの表情が一瞬だけピクリと動いて、やっぱり心電図が一瞬だけ違った反応を見せる。
「うおっ……」
「やはり、反応するようですのね」
二人のリアクションを聞きながら、私はぱちくりとまばたきをする優花ちゃんに声をかけた。
「優花ちゃんになった?」
「……ええ」
優花ちゃんがコクリと頷くのを見て、私はさっき陽太君にした説明を思い浮かべる。
「えっと、ここ一時間のことなんだけど――」
「人格チェンジをすると榊さんや姫花さんの身体が反応するかもしれない、という仮説を立てて、実証していたところみたいね」
理解が早すぎて言葉が出ない。
「な、なんでわかりますの……!?」
「ついさっき――といってもドーナツ屋でのことですが――あたしもこの実験をしたいと思っていたところですので。高林さんがさっきやはりと言ったので、もう榊さんの方は試したんでしょう?」
「うん、もうほんと話が早くて助かるよ」
優花ちゃんの首からリボンを回収。
「それで、結果はどうだったのかしら」
「竜太さんは指先がちょっと動いて、姫花さんはほっぺたがピクってしたくらい。二人とも心電図がちょっと反応したよ」
「榊さんも目は覚ましていないのね?」
「うん」
優花ちゃんは少し考えこんでから、高林さんに目を向けた。
「一昨日はどうでした? さっきと比べて、なにか違いがありますか」
「えっ、そ、そうですわね……」
優花ちゃんの超速回転する頭脳に戸惑っていた高林さんだったけど、なにか心当たりがあったらしく指を立てる。
「そういえば、一昨日は心電図に反応がなかった気がしましたわ」
「なるほど……回数? 時間? 距離?」
ぶつぶつと考え込み始める優花ちゃん。
私にはよくわからないけど、今のでいきなり考えることが増えたらしく、完全に一人の世界に潜り込んじゃったみたい。
「神原さんこそ何者なんですの……?」
「なあ白雪、僕喉乾いたから自販機行ってくる」
「貴方は貴方でマイペースすぎますわ!」
私じゃない人がツッコミを入れているのを見ると、なんとなく申し訳なくなってくる。すみません手がかかる人たちで……。
高林さんを労う意味も込めて、私は陽太君に同行することにした。
「あはは……じゃあ私も行こうかな、高林さんなにか飲みます?」
「え――じゃあこれで……なんでもいいですけど、迷うようならお茶でお願いしますの」
すっと千円札を渡される。
「お茶ですね、わかりました」
私は陽太君と廊下に出た。
病院内とはいえ、陽太君と二人きり。陽太君と二人きりだけど、病院内だからイイ雰囲気とはいえない。
そんな私たちの自販機と病室の短い往復でなにかあるわけもなく、戻ってきたら優花ちゃんと高林さんは仲良く雑談に花を咲かせていた。
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