榊竜太 そして俺たちは病院へ

 姫花の大好物、カスタードがたっぷり詰まったドーナツを与えると、姫花は気恥ずかしそうにドーナツを食べ始めた。

「それにしても、不思議な光景ですのね。見た目はなに一つ変わっていませんのに、明らかに雰囲気が違いますの」

「高林にもそう見えるか……」

 少なくともここで陽太少年から俺に切り替わって以降、ろくな演技をしていないとはいえ、それでも見た目や声はまごうことなき神原家の双子だ。似せて作った偽物ですらなく、正真正銘の本物の身体や声でなお、素でいれば違和感を覚えられるらしい。

「これ本当に学校始まったらどうすんだ……」

「学校って……まさかその状態のまま学校に通うつもりですの?」

「そりゃ、いつ戻るかわからねーんだから、仕方ないだろ」

 高林は首を傾げて、

「すぐには戻らないので?」

「戻れたらいいんだけどな」

「でも、一昨日は一瞬だけ指先が動きましたのよ? ついさっきもこの話しましたけども」

 姫花が、そうなの? と白雪ちゃんを見れば、白雪ちゃんは頷いた。

 しかし、本来の身体の持ち主である俺からすれば、そんなもの趣味の悪いホラーでしかない。

 唖然とする俺を見て、高林は続けた。

「だいたい、お医者様はなんと言っていますの? お二人の症状について」

「いや、医者には言ってねーんだ」

「あらま……」

 口に手を当てる高林だが、色々と医者に告げた先の想像をしたらしく、数秒後には納得したように頷く。

「まあ、たしかに特殊ですものね……言ったら言ったで、色々と不安ですわね」

「情けない話、判断にあぐねてな。別に丸投げするつもりはないんだが、まあ陽太少年と優花嬢ちゃんに任せるべきかな、と」

 俺がそう言うと、高林は人差し指を口元に添えた。

「身体の持ち主ですものねぇ……。でも、もしこのまま榊さんと天野さん――あ、お姉さんの方ですわ――が双子さんたちの身体に居続けるとして、入院中の本体が目覚めたらどうなりますの?」

 高林の言葉に引っ張られるように、俺の脳がフル回転でイメージする。

 事実、一昨日の俺の身体は指が動いたらしい。何時のことかは知らんが、とにかく俺はそのとき既に陽太少年に宿っている。なのに指が動いた。なるほど、俺がこうしてドーナツを食べている間にも、入院している俺の身体が目を覚ます可能性があるわけだな。

 じゃあそうなったとき、俺の本体を動かしているのは誰だ――?

 高林も俺と同じ想像をしてしまったのだろう、表情筋がぎこちなくなっていた。

 小さな声で囁く姫花と白雪ちゃんの――白雪、三度目くるよ――もう四回目なんだよ……という謎の合図を聞きながら、高林と俺は想像したことを叫びあった。

「双子さんたちが榊さんたちの身体で目を覚ましてしまったらどうしますの!?」

「四人で四つの身体を切り替えることになるのもそれはそれで大変だぞ!?」

「いや二人ともっ――ここにきて変化球投げないで!?」

 食い気味でツッコミをかましてきた白雪ちゃんが、珍しくつっかえる。

 四度目ってなんだ……変化球ってなんなんだ……?

「危なかったねー白雪」

 白雪ちゃんは姫花から頭を撫でられるも、すぐにその手をあしらった。

「まさかそんなことありえませんよ……って、言いたいところですけど、実際のところどうなんでしょうか」

 さすがに指が動いたと言われてしまえば、白雪ちゃんも俺たちの想像を真っ向から否定できないようだ。

「一回行ってみるか、病室に」

 俺の提案に、首を横に振る者はいなかった。


 陽太少年たちが買っていた文房具など、忘れ物がないか確認してドーナツ屋を出て、徒歩でだいたい三十分しないくらいだろうか。俺の身体が眠っている病室に到着した。

 陽太少年の身体より十センチほど背が高いはずの俺の身体だが、ずっと眠っているせいかとても小さく見える。心電図は問題なく一定で、目覚めそうには見えないが死にそうにも見えない。

「そういえば、俺や姫花に人格チェンジした時間って確認したのか?」

「あ」

 まさか高林が偶然にも優花嬢ちゃんの人格チェンジトリガーを引き当てるとは思ってもなかったようで、突然のことに時間の確認を忘れていたらしい。

 まあ、俺も俺で、目の前に高林がいてパニックになり、確認することを忘れていたから責めるわけにもいかなかったし、別に責めるほどのことでもない。

 姫花がスマホの時計を見ながら教えてくれた。

「えぇっと? たしか駅前ビルのトイレ前で人格チェンジしたのが十二時五十分過ぎだったかな? それからもう一度二人とも変わったのが、一時間のクールタイムから考えて十三時五十分以降になるね」

 現時刻は十四時四十一分なので、高林が優花嬢ちゃんの頭を撫でたのは本当にクールタイムが終わったすぐあとだということになるのだろう。

「じゃあ、あと十分二十分くらいは俺たちのまま変われねぇってことか」

「それにしてもすごいではありませんか、この四日間でよくそこまで理解が進んで」

 どこか落ち着きなさげな高林の言葉に、白雪ちゃんが肩を竦めた。

「あはは……ほとんど優花ちゃんのおかげだったんですけどね」

「しかもそのうちのほとんどは事故翌日の内に解明しちまったからな……」

「まあ。まるで探偵さんみたいですのね。次はゆっくりお話ししてみたいですわ」

「人格チェンジの気兼ねなく喋るためにも、元に戻せりゃいいんだが……」

 本当に指が動いたのか?

 そう思って、俺は自分の身体に手を伸ばす。なんか、いざ触ろうと思うと長不思議な気分だ。

 恐る恐る、陽太少年の中指を借りて、自分の手の甲に触れてみる。

「お、おお……人肌だぜ」

「ちょ、わ、私も……!」

 姫花も妙なテンションになって寝たきり状態の俺の腕に手を伸ばす。姫花の――厳密には優花嬢ちゃんの――人差し指が俺の手首を撫でた瞬間、姫花は「おおおー」と感嘆の声をあげた。

「ねぇ二人とも、変なテンションになってる場合じゃないでしょ! あとなんか怖いからやめて!」

「ふむふむ……榊さんが触れても心電図に変化なし、特に表情が変わるわけでも、手や足が動くわけでもありませんのね……やはりわたくしが見間違えただけだったのかしら……」

「ほら見て!? 高林さんの方がよほどしっかりしてるよ!? 見習おうよ!」

「「は、はーい……」」

「大変ですのねぇ、妹さんも」

 高林と白雪ちゃんに呆れの視線を向けられる。

「あはは……。えっと、私のことは白雪でいいですよ、高林さん」

「ではそのように」

 立つ瀬がなくなった姫花は、名誉挽回といわんばかりにぐっと拳を作った。

「わ、私たちだってちゃんとできるんだから! ね、竜太君!」

「まあ、優花嬢ちゃんばかりに頭脳労働させるのも大人としてアレだしなぁ……。人格チェンジのクールタイム終了までまだ少し残ってるし、なんかいろいろと考えてみるか」

 と提案してすぐ、姫花が首を傾げる。

「なんかって?」

「いやそこからなんだが……やべぇな、大丈夫か俺たち」

「しっかりしてくださいまし……」

「高林さん、竜太さんって職場でもあんな感じなんですか?」

「白雪ちゃん!?」

 いよいよ白雪ちゃんからの信頼にひびが入りそうだ……!

 改めて、状況を整理してみよう――。

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