天野姫花 高林さんがパニック

「……それじゃ、今度は家でね」

 女子トイレで白雪にリボンタイを首に巻かれた私の視界は。

「――うぶですのよ」

 次の瞬間勝手知ったる我が家のリビングに――家じゃないしドーナツ系の甘い香りヤバ!

「んっ!? どこここ!?」

 目の前には茶髪の女性。

「ふぇ!? なっ、なんなんですの突然!?」

 びくりと仰け反った彼女の、軽くカールさせてある茶髪が揺れる。

 昨日会ったばかりだもん、忘れるわけがない。高林月子さん。竜太君の職場の同期さんだ。

「「あー……」」

 振り返ると、並んで座っていた白雪と陽太君――竜太君? どのみち外だから陽太君として接さないと――が揃って額に手を当てていた。

「えっと……」

 これはあれか、バレちゃった感じ? とにかく優花ちゃんを意識して……。

「どういう状況かしら?」

「わたくしが聞きたいですわ。なんなんですのこの空気。わたくしが悪いんですの?」

 困って白雪を見ると、白雪は頬を引きつらせて頷いた。

「えーっと、高林さんには信じられないことかもしれませんけど……」

「ちょ、白雪?」

は黙っていて」

 私のことは、優花ちゃん、と言うべきだけど――辺りを警戒し小声で言うあたり、高林さんに隠す気はなくなったみたい。

 それならば、私も素で喋っていいのかな。

「白雪が冷たいよぅ」

 たたん、と足音。見れば、高林さんがよろけたらしく、私から距離を取って顔を青ざめさせている。

「い、いきなりどうしましたの神原さん、さっきまでと全然雰囲気が……!?」

 ……そんなに違って見えるほどなのかな……。

「そこにもう優花はいません」

「なにを言っていますの!?」

「陽太君もお願いだから黙っててくれるかな、私から説明するから」

 白雪が苦笑しながら陽太君を窘めて、高林さんに座るよう促した。そして、私の方を向く。

「先に、姫花お姉ちゃん。姫花お姉ちゃんと竜太さんが歩道橋から落ちたとき、救急に通報してくれたのが、ここにいる高林さんなんだって」

「え⁉」

「ちょ、なんですのこの流れ。怖いですわ……」

 白雪は高林さんの方に向き直った。

「そして、今入院している榊さんと姫花お姉ちゃんは、なぜかわかりませんがこの二人の中にいるんです」

 ポカーン。高林さんの口が小さく開いて、色が抜けていく。

「天野さんは……なにを言っていますの?」

「ちょっとお待ちください」

 白雪は、陽太君をじっと見つめ始めた。

「変えても……いいのかな……」

「いまさらだろ? なるようにしかならないと思うけど」

 諦めた様子の陽太君が、どこか恥ずかしげに首を傾げて、白雪に耳を向ける。

 まだ陽太君の耳を息でくすぐることが恥ずかしいのか、白雪は小さな深呼吸をして、一息に陽太君の耳に息を吹きかけた。

 むしろ、深呼吸ひとつでできるようになっただけ、慣れたと見るべきなのかもしれないけど。

 とにかく、こうして。

「んお、ん!?」

 陽太君から竜太君に切り替わる。

 高林さんを、じっと見つめる竜太君。突然じいーっと見つめられて、高林さんに恐怖心が芽生えたのか、目尻から涙すら浮かびかけた。 

「こ、今度はなんなんですのー……?」

 一方で竜太君の表情が、どんどん引きつっていく。冷や汗がたらたらだ。

「えーと、竜太さん?」

 白雪が話しかけると、竜太君は焦ったように反応する。

「うん!? ぼ、僕は陽太だす!」

 なんだか壊れたロボットみたいだった。なにも知らない高林さんからしたら、もうホラー的な画にしか見えまい。

「ふぇぇんなんなんですのー!?」

「いやあの竜太さん、演技やめてください。というかそんな演技はするだけ無駄です」

「……え、まさか、バレたのか? 高林に?」

「すみません……」

 白雪が頭を下げるのに合わせて、私も一緒になって謝った。

「ごめんね竜太君。それでね。高林さんなんだって。私たちが転がり落ちたとき、救急車呼んでくれたの」

「なっ……!」

 それでいろいろと合点がいったのか、竜太君は何度も何度も頷く。

「あー、驚かせて悪かったな。俺だ、榊だ」

「な、なんなんですの、貴方たちは……」

「説明するためにも、まずは高林さんに竜太さんの存在を信じていただかなければいけません」

 白雪はそう言って、竜太君に視線を飛ばした。

「ご両親のときみたいに、なにか信じてもらえそうなこと、言えますか?」

「んなこといきなり言われてもな……」

「もう竜太君のご両親みたいに事情を説明して味方にするしかないと思うんです」

 白雪の言葉に、私と竜太君は頷いた。

 竜太君は高林さんに真剣な顔を向ける。

「……高林、俺は榊竜太だ。A班。定休は木曜日。高林はB班で、定休は火曜日だろ? 上司の名前は――」

「む……」

 それから、私にはわからない職場の話が続く。

「あと、高林しか知らないことと言えば……」

「わ、わかりましたっ! わかりましたのでっ!」

 竜太君の言葉を高林さんが遮った。

「いや、まだ信じられるわけではありませんが……でも、からかわれているわけではないことは伝わりましたの。事情を、ちゃんと聞かせてくださいまし」

 高林さんも話しているうちに混乱が収まってきたようで、昨日みたいな落ち着きを取り戻していた。

 竜太君はひとつ頷いて、説明する。

「俺と姫花が歩道橋から落ちたのとちょうど同じタイミングで、この身体の本来の持ち主――本来の精神? って言うべきかもだが――も自宅の階段で転げ落ちたんだ。それで――」

 と、この三日間の出来事を説明していく竜太君。聞いていた高林さんは、終始難しそうな顔をしていた。

「……本当にそんなことが……ありえているんですのよね……?」

「俺の荷物ロッカーは、入って左手側手前から二番目の下段」

「……驚きですわ」

 なんだかよくわからないけど、それで高林さんは納得できたらしい。

「それにしても、たまたま頭を撫でたらそれが人格チェンジのスイッチでしたとは……」

「引きが強いな、本当に」

 竜太君が安堵の笑みを浮かべると、高林さんは目を閉じて肩を竦めた。

「こういうときだけでしてよ」

 ……なぁんか、もやもやするなぁー。

 私が高林さんをじっと見つめていると、視線に気づいた彼女は途端ぎょっとして、眉をひそめて竜太君に手で合図した。隣、隣! みたいな感じ。

 それに気づいた竜太君は、小さく手を打ち鳴らす。

「な、なあ姫花、俺たちもなんかドーナツ食うか? なに食べる? いつものでいいか?」

「え? うん」

「おう、ちょっと待ってろ!」

 そわそわとしながら商品が並ぶレジの方へ進んでいく竜太君。

「い、いつもので通じるなんて、お二人は相当仲がよろしいのですのねー!」

 やけに空元気な高林さんが白雪に同意を求めると、白雪もやたら白々しい声で応じる。

「そ、そうなんですよー! 私がいるときもお構いなしでー! ねー、姫花お姉ちゃん!」

「え……えへへ……そうかな……?」

 私が頬に熱を帯びていくのを感じていると、白雪と高林さんが仲良くため息をついた。

「すみません嫉妬深い姉で……」

「もう本当にいろんな意味でお腹がいっぱいで胃が痛いですわ……」

 すみませんね、嫉妬深い彼女で……!

 文句か皮肉でも言おうかな、なんて思ったけど、竜太君が買ってきたドーナツに免じて許しましょう。

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