神原陽太 え、誰? この人。

 朝目を覚まし、朝食を済ませた僕は、白雪から今日のスケジュールを聞いていた。

 東神奈川駅の駅前ビルの文房具屋に、高校で使うノートなんかを買いに行くのだ。

 その際、外での人格チェンジの練習をするべく、一旦僕の身体は榊さんに預けることになるとのこと。

「じゃあ、今度は駅前ビルのどこかで会うことになるから、気を引き締めておいてね? あと、優花ちゃんが姫花お姉ちゃんだったとしても、優花ちゃんとして接すること」

 と白雪に言われ、僕が頷いた途端に白雪の吐息が耳にかかる。

 刹那、視界はぐにゃりと歪み、我が家のリビングからいかにも駅前ビルのどこかのトイレ前廊下みたいな雰囲気の場所に変わった。

「いくらなんでも乱暴過ぎない!?」

 と白雪のツッコミが聞こえる。

「変わればどうでもいいでしょ。陽太、状況わかってる?」

 さて、姫花さんも優花の真似をすると言っていた以上、今朝までとは違い中身がどちらかわからない……と思っていたけど、たぶんこれ優花だ。この突き放す感じ、間違いない。

「ん……さっき説明は受けた。もうここ駅ビルなのか……」

 まあとにかく、僕は頷いてそう答えた。

 優花は僕の口からスプーンを引っこ抜き、女子トイレに入ってはすぐ戻ってくる。

「さっきからやることなすこと迷いがないよ! やっぱり姫花お姉ちゃんとは全然違うよ!」

「白雪、あんまりあの二人の名前を出さないように気をつけなさいな」

「う゛っ……!」

 そんな二人のやりとりを見守っていると、背後から聞き覚えのないか細い声がかけられた。

「あら、奇遇ですのね」

「っ……!?」

 白雪がびくっと震えて僕の後ろへ目をやる。

 振り返ると、誰だろう。そこにいたのは見覚えのない女性だった。

 肩まで伸びた、緩やかな波を描く茶髪。大人っぽい白のブラウスと春物スカートを着て、なんだか大人な雰囲気を醸し出す、美人さんな顔立ち。

 身長は白雪と優花の間くらいか。にこりと浮かべた笑顔には、どこか高級感というか、高貴な感じがある。……たぶん、気品があるというのが正しいのだろう。

「こんにちは。今日も三人揃ってますのね」

 明らかに僕たちに話しかけてきている。え、誰? この人。

「あ……! こ、こんにちは……っ!」

 白雪は彼女の気品あふれるオーラに当てられたのか、あたふたしながら言葉を紡ぐ。

「え、えーっと、奇遇ですね! 昨日、竜太さんのお部屋の掃除をし終わったところで会って以来でしたっけ? えーと……お名前、高林月子さん、でしたよね?」

 ……今、なんて!?

 まさか、昨日会っていたのか!? この人と!? 今白雪この人の名前なんて言った!?

「え、ええ……合ってますけど……やけにぎこちない言いかたしますのね」

「あはは……」

 白雪が戸惑っていた。僕だって真顔を維持することで手いっぱいだ。

 やばい、さっきの白雪のセリフは俺たちへの状況説明だったんだ! けど名前ちゃんと聞けてない! と、とりあえず挨拶しないと!

「こ、こんにちは……」

「ハイ、こんにちは。そんなに緊張しなくてもよいでしょうに」

 誰だ、何者だ!? 榊さんが借りている部屋の掃除で会ったのなら、榊さんのご近所さんか?

「い、いえそういうわけでは……」

 背筋にピリリと視線を感じて、優花が睨んできたのだと気づく。

 その優花は、猫かぶりモードで会釈した。

「高林さん、昨日ぶりですね。今日はどうしてこちらに?」

「新しいペンを買いに。皆さんは?」

「……高校の入学準備です」

「あら、じゃあご一緒してもよろしくて? 昨日はご都合合いませんでしたものね」

 ウフフと笑う高林さん? のお誘いを、断る口実が見つからなかった。


 こうして高林さんと共に文房具コーナーに向かった僕らは、とりあえず当初の目的を果たすべく、まずはノートのコーナーへ向かう。

「神原君はルーズリーフ派なんですのね」

 ……なんで、この人は僕の脇にいるんだ?

「そ、そうですけど……高林さんはボールペンを買うんじゃ」

「まあいいではありませんか。それより一つ聞かせてくださいまし」

「な、なんでしょうか……」

「天野さんと神原さんは普通の大学ノートを買うみたいですけれど、男の子の方が文房具にこだわっているのってなんだか不思議ですの。今どきの高校生って、男の子の方がそういうのにこだわったりするものなので?」

 高林さんの、そこはかとなく育ちがいい――というか世間離れした――話し方に戸惑いつつも、僕は一応真剣に答える。

「これから高校生になる僕に今どきの高校生について聞かれてもわからないですけど……」

 と前置きをしつつ。

「とにかく白雪は優花から勉強を教わっていますから、優花に合わせているみたいですよ。で、その優花が、大学ノートにこだわっているんですよ」

 そうなんですのね、とやけに真剣に感心する高林さんの後ろから、呆れた声音と共に優花が近づいてきた。

「別にこだわっているつもりはないわよ。板書なんて内申点稼ぎができればそれでいいんだから、文具売り場の一番安い大学ノートを買っているだけ。あたしからすれば、わざわざバラバラになったりなくしたりするかもしれないものを選ぶ理由がわからないわ。値段だって特別安いわけじゃないのに」

「テスト範囲でわけたり、ファイルに閉じ直したりすると、なんか勉強した気になるだろ」

 僕が反論すると、優花と一緒にいた白雪も残念そうな目を僕に向けてくる。

「それで身についてないんじゃ意味ないと思うよ。神原君も私たちと一緒に勉強しよう?」

 誘われたのは僕のはずだが、僕より先に優花が答えた。

「いやよ、なんでコイツなんかと同じテーブル囲む必要があるわけ?」

「まったくだ。どうせなにかにつけてこき使われるのがオチだろ、こっちから願い下げだ」

「仲良くしようよ!?」

「……お二人は喧嘩中ですの?」

「「相性が悪いだけです」」

「息はピッタリなんですけどねぇー」

 疲れ切った様子で余計なことを言う白雪を恨みがましい目で睨むも、白雪はため息をつくだけだから勝ち目もない。

「相性悪いのに、出かけるときは一緒なんですのね」

「「「……ッ!」」」

 痛いところを突かれた。

 僕と優花は六時間ごとに人格チェンジが定められている。おまけに、まあありえないこととはいえ、もしも僕の耳に誰かの域が吹きかけられたり、優花の頭に誰かの手が乗ったりすれば最後、その瞬間に人格チェンジだ。

 このときそばに白雪がいないと、榊さんや姫花さんがそれまでの状況を理解できずに困ってしまう。だからこうして三人でまとまっておく必要があるのだが、まさかそんなことを正直に説明するわけにもいかないし……。

 ここは話題を変えるしかない、と優花が話しかける。

「あの、高林さん」

「はい?」

 こて、と無防備に首を傾げる彼女の目は元気に円い。まるでこの状況を全力で楽しんでいるかのようにすら思えてならない。

「いったい高林さんは何者なんですか?」

「ちょ、優花ちゃん……!?」

 僕と白雪がギョッとする中、優花は眉根を寄せて高林さんを見つめていた。

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