天野姫花 今はキスもできないけれど
お昼ご飯前。私の家のリビングで竜太君にカーテンを束ねて留めるやつを渡し、優花ちゃんに変えてもらった次の瞬間。
視界のすべてが一気に変わる。
目の前にいた竜太君が消滅、視界が激しくブレた。食卓のそばに立っていた状態から、二メートルも離れていないソファに座っている状態になったのだ。
そして、私の頭に乗っている小さな柔らかい手は……白雪のもの。
「ん」
「あ、姫花お姉ちゃん?」
「うん」
白雪の手が頭から離れる。リビング中を見回してみるが、竜太君――今はまだ陽太君かな――はリビングにいないようだ。
「陽太君なら家の掃除してるよ。あと十分もしないうちにタイムリミットだから、一旦陽太君の家に行こう?」
移動しながら、白雪からここ六時間くらいのことを聞いた。
といっても、その間は本当になにもなかったらしい。
お昼ご飯を食べた後、陽太君は家の掃除を、優花ちゃんはそのまま白雪と二人で今後の予定やらなんやらを練っていただけ。午前中にあんなことがあったら、まあ午後は外に出られないよね。
「――それで、同性でも人格チェンジ発動するのかっていう実験をしたの」
「それでさっきは白雪の手が私の頭に乗ってたんだね」
「そゆこと」
つまり、優花ちゃんは誰かに頭を撫でられた瞬間、私に人格チェンジするということみたい。例外は、私から優花ちゃんに切り替わった一時間以内だけ。
玄関に到着、インターホンを押す。
しばらくして陽太君が鍵を開けてくれて、私たちは神原家へ。
「やっほー陽太君。お邪魔しまーす」
入ってすぐ、まるで輝いたようにすら見える玄関や廊下につい感嘆の息が出る。
「六時間しかいられないというのに、ホントに掃除してたんだ……」
「神原君、ホントお掃除上手だよね……」
「いや、そんなことはないと思うけど……ってなんで二人してそんな困り顔なんだ?」
横を見ると、さっき以上に蒼白とした顔の白雪がなんでもないよとスリッパを履いていた。
「私も白雪も、女子として、色々と思うところがあるのだよ」
白雪は特に、好きな男子が自分より掃除上手ということで戦慄しているんだろうなぁ……。陽太君と竜太君の女子力、足して二で割ってやりたい。
そうしてリビングに入るとすぐに、陽太君は私たちの分の飲み物を用意してくれる。
「もうすぐ僕も榊さんと切り替わるんだね」
食卓の椅子に腰かけて、私たちは頷きあった。
「うん。竜太君とお話ししたくて。そうだ、晩御飯オムライスだけど、食べたい?」
「それはどちらでも……あ、変わる前に一つだけ」
「なにかな?」
「もうお風呂は入っておいたと榊さんに伝えてもらえれば」
途端に鼻をすんすんさせる白雪をスルーして、むしろその音をかき消すように、私は笑って「りょーかーい」と答えておいた。
「六時間って、早いね」
白雪がなんとなしに呟くと、陽太君は肩を竦める。
「まあしょうがないよ。元に戻す方法がわか」
瞬間、陽太君の動きが止まった。まるで一時停止ボタンを押した録画映像のように。
「え、ちょ、陽太君どうしちゃったの!?」
私がつい身を乗り出すと、陽太君は突然オーバーなリアクションで両手をあげた。
「お!? なんだ、陽太少年になんかあったのか!?」
「あー六時間経過の強制人格チェンジか! うわ、これこっわ!」
「な、なんだよ、どういう状況だこれ?」
私はパン、と手を叩き、座り直して一息つく。
「陽太君の状態で六時間経ったんだよ、今。それにしても喋ってる途中に切り替わるとこんな感じになるんだ……」
白雪が落ち着くように深呼吸して、
「しかもファミレスのときの姫花お姉ちゃんから優花ちゃんに切り替わったときのことを考えると、次竜太さんから陽太君に切り替わった瞬間、陽太君はさっき言いかけていたセリフの続きを突然言い始める形になると思うよ」
と言った。
「……それってまずくないか?」
「ううん、さすがに今日はもう外出しないから大丈夫。なんならこのまま竜太さん、今日はこのまま就寝まで人格チェンジする必要はないから……明日寝起きに呟く感じになるんじゃないかな」
問題ないと理解した竜太君は、真剣な顔になって私を見る。
「それならいいが……それより姫花」
竜太君からすれば、高林さんの話をするという流れが続いているのだろう。
それは真剣な表情からもわかるので、私は待ったをかけた。
「竜太君、これから晩御飯なんだ。そのあとでもいい?」
「あ、ああ……」
こうしてオムライスを平らげた私と竜太君は、白雪におやすみを言って神原家へ。
「昼間は追い詰めるような感じになっちゃって、ごめんなさい」
「え? いや、俺こそあんまり職場の話とかしてなかったから……」
ソファに並んで座り、戸惑ったようにいう竜太君へ、私はさらに距離を詰める。
「ようやく、昨日優花ちゃんがファミレスで気にしていたこと、実感したよ」
「人格チェンジの弊害、か?」
「うん。高林さんに会ったの、ついさっきのことのように思えるけどさ。もう六時間以上経ってるんだよね」
「そうなるな。実感沸かないけど」
「うん。全然実感ない」
そして怖いと心が怯む。これが恐怖だということを、今更ながらに理解した。
優花ちゃんはこれを、昨日の段階で受け止めていたんだ……。
昨日竜太君が不安がっていたのも、きっとこのことを実感したからだろう。
「竜太君は大丈夫?」
「なに言ってんだよ。俺を安心させてくれたのは姫花だろ? 昨日のこと、憶えてないのか?」
「そんなわけないじゃん」
竜太君と一緒なら、なんでも思い出にできる。私は昨日そう言った。それに嘘はないし、自信もある。
「でも、竜太君はどうなんだろうって、思っちゃったんだもん……」
まだ階段から転げ落ちる前、一緒に働いていた人と再会して。その人から、知らない人扱いされて。
一刻も早く元に戻りたくなっちゃったんじゃないかな……。
「――そう、不安になっちゃったの」
私だって、戻れるものなら戻りたい。でも、今のままでも楽しめそうな気もする。
けれど、竜太君が楽しめないのは、なによりも辛いことだ。
「俺も姫花と同じだ。この先なにがあっても、一緒にいられる方を選ぶさ」
「ほんと?」
「ああ。元に戻るときも、二人で。な?」
「……うん!」
ソファーに並んで座っている私たち。私はさらに距離を詰めて、手を重ねて、竜太君に寄りかかった。太ももも、ぴったり密着させちゃった。
真横を見上げれば、竜太君が目の前だ。見た目こそ陽太君だけど、キスできる至近距離で見つめ合えば、ハッキリと竜太君だって伝わってくる。――顔にすぐ照れが出ちゃうから。
「おい姫花……俺たち今、双子の身体なんだぞ」
「うん。わかってるよ?」
キスしたいけど、するわけにはいかない。
抱き合うことも、陽太君と優花ちゃんは嫌がるだろう。今朝私の裸姿を見た陽太君は、ものすごくげんなりとした顔をしていたし。
「たぶん、優花ちゃんたちが許してくれる限界は、これくらいだと思うから」
「それは……ちょっと寂しいな」
え――それって、もっとくっつきたいとか、そういう――!?
「も、もう……竜太君ったら、仕方ないんだから……!」
ほっぺにキスくらいなら、優花ちゃんたちも許してくれたり――と顔を寄せたけど、竜太君の手が私の頬を掴んだ。
「姫花、今さっき線引いたばかりの陽太少年たちが許してくれる限界超えようとするんじゃねぇ」
「むぅ……竜太君のケチ」
でもまあ、二人に嫌われたくもないし、今は我慢だ。
元の身体に戻れたら、そのときに――ね。
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