榊竜太 高林でパニック

 まずい、非常にまずいことになったぞ……!

 まさか陽太少年の身体になって自分の部屋に来ることが、こんなにも危険をはらんでいるだなんて思いもしなかった!

 目の前にいる白めのコーディネートにこだわる女の人は、その名を高林月子という。

 見た目こそ十代後半の女学生に見えるが、その年齢は俺や姫花と同じ二十三歳。俺と同じ株式会社ドリームトラベルという、旅行代理店を運営する会社に就職し、同じ店舗に配属となった人だ。

「貴女たち、高校生? 中学生ってことはありませんよね?」

 見た目からほぼ完璧に陽太少年たちの年齢を割り出しながら、高林はシャレたまつげの目を細めてスマホを取り出した。

「まさか空き巣……」

「ち、違う誤解だ! ――あー誤解っス!」

 どうすりゃいい!? わからねぇ、こうなりゃヤケだ!

「あー、俺たち、この部屋の掃除頼まれたんスよ」

「掃除……ですの?」

「そ、そうっス! この子、天野白雪ちゃんって言うんスけど、この子の姉ちゃんがこの部屋の家主の彼女で!」

 そこまで言って白雪ちゃんの肩を叩くと、白雪ちゃんは大げさな咳払いをした。

「えっと、初めまして。天野白雪と申します。こちらが姉の姫花お姉ちゃん――」

 そう言って、落ち着いた所作で姫花を示す。

 ダメだ白雪ちゃん! 外身は優花嬢ちゃんだぞ!

 姫花もパニックで気が回らず、お辞儀と共に名乗ろうとした刹那!

「――から私と一緒に掃除を頼まれた神原優花ちゃんと神原陽太君ですっ!」

 白雪ちゃんが超早口で持ち直したぁ!

「ずいぶんややこしい紹介の仕方をしますのね……」

 高林の目は未だ俺たちを不審者扱いしているが、ひとまず通報の危機は免れた。

 スマホをしまった高林が、俺たちを一通り一瞥して質問を重ねる。

「それで、どうしてわたくしの名前を知っているんですの?」

 くっ、そこが納得いかないといつまで経っても終わらねぇか!

「あー、前にお仕事の話を聞いたことがあったんスよ、そのときに、あなたみたいな人の話を聞いて……」

 頼む! 納得してくれ!

 そこに姫花が納得していない顔で俺を見た。

「私聞いたことないけど」

 今お前じゃねえぇぇぇぇぇ!

 たしかに職場の話ってそこまでしてなかった気がするけども! あぁなんか嫉妬させるのも可愛くていいかも……って今はそうじゃないだろうよ!

「優花はそのときいなかったんだよ!」

「ふぅん」

 なんだか姫花の視線がかつてないほどに恐ろしく感じる。

「……どうやら貴女方も混乱しているご様子。悪い人たちではないみたいですのね」

「わ、わかってくれたっスか!」

「ええ、疑ってしまったこと、お詫びしますの。わたくしは高林月子。そのお部屋で暮らしている、榊竜太という方の仕事仲間ですわ」

 高林は優雅に腰を折り、俺たちに微笑みかけた。

「よろしければ、この後お昼でもご一緒にいかが?」

「い、いや! 俺たち食材とかゴミとか持ち帰らないとなんで……!」

「あら、それもそうですわね、残念ですの。ではまたの機会に」

 あっぶねぇぇぇぇぇ!

 こうして、難を逃れた俺たちは、早足で逃げ帰るのだった。


「お昼はチャーハン、夕飯はオムライスにするって」

「なんか悪いな、卵料理ばかりにして」

「まあ、たまにはいいんじゃないですか?」

 俺の部屋から持ち帰った食材は、天野家で美味しくいただかれることになったようだ。

 姫花の母親がキッチンで昼飯の用意を始めるなか、食卓を占拠した俺たちは早速会議を開いていた。

 正面に座る姫花が、疑惑の視線と共に議題を繰り出す。

「それで竜太君。高林さんだっけ? いったいどういう関係なの」

 姫花の隣に座る白雪も、黙ってはいるが視線が冷たい。

「どうもこうも、ただの同期さ。さっきも言ったろ、同期入社したって」

「なんで竜太君の部屋の前にいたの?」

「だから、わからねぇんだよそこが。そりゃ社員名簿で調べるってのは……できるんだろうけど」

 わざわざ調べる理由はないだろう。

 ……いや、住所をどうやって知ったか、ということ以上に考えるべきことがある。

「それより、問題は理由だな」

「なんのですか?」

「高林は俺が一人暮らしだと知っていたはずだ。そして職場じゃ俺は意識不明の入院中ってことになってるだろうから、家に来たって入れないし誰もいないってわかってるだろ。なのになんで家まで来たんだ?」

 白雪ちゃんが唸る。

「んー……合鍵を持っていて、なにか回収したいものがあった、とか?」

「竜太君っ!?」

「んなわけねーだろ! いい加減信じてくれよ!」

 叫ぶと、姫花はしゅん、と肩を小さくした。

「ご、ごめんなさい……」

「い、いや……俺も怒鳴って悪かった……。白雪ちゃんもごめんな?」

 びくりと震える白雪ちゃんにも頭を下げる。

「い、いえ……まあ状況が状況ですし……。ただ、陽太君の顔で怒鳴らないでほしいです」

「す、すまん。気をつける……」

 そう、だよな。今の俺はただの榊竜太じゃない。白雪ちゃんが惚れてる神原陽太少年の身体を借りてるんだ。

 あんまり迷惑もかけられない。

「……なぁ姫花、白雪ちゃん」

 二人の顔をしっかり見てから、俺はちょっと乱暴な提案をした。

「俺と姫花の状態でまた階段から転げ落ちたら、元に戻れると思うか?」

「危ないですよ!?」

「そうだよ、私たちの身体じゃないんだよ!? もし死んじゃったらどうするの!」

「……そう、だよな」

 布団かなにかでクッションを作ればまだ安全だろう。ただ、人格チェンジのキーは気絶だ。中途半端な落ち方じゃ、きっと元には戻れない。

「もうすぐ姫花お姉ちゃんが優花ちゃんに変わるタイムリミットだし、優花ちゃんに聞いてみましょうよ」

 正直、頼りっぱなしというのも恰好がつかないという思いはあるが……意地を張っている場合じゃない。今回はなんとかなったが、危うく会社に俺のとんでもない状況がバレることになっていたかもしれないのだ。

「そうだな……」

「竜太君?」

 ……俺のこの状況を、高林や職場の先輩、上司たちが知ったら、どうするのだろう。

 心配してもらえたら嬉しいが、それ以上に騒ぎにされそうだという危惧ばかりしてしまう。今は陽太少年と優花嬢ちゃん、そして姫花まで巻き込んでしまっている。特にこれから高校生になる二人は、学校生活にまで悪影響を及ぼすかもしれない。

 ……改めて気付かされた。俺たちの現状は、そう安易に知られていい状況じゃないことに。

「竜太君。聞いてる?」

「ん、ああ、悪い……」

 姫花は呆れたようにため息をつくと、肩を竦めた。

「さっきも言われたでしょ? 今陽太君の身体なんだから、そんな暗い顔しちゃダメ」

 言われ、俺はそんなにひどい顔をしていたのかと思い至った。咄嗟に両手で顔を挟む俺を見て、姫花がくすくすと笑う。

「竜太君。私そろそろ優花ちゃんと切り替わる時間だからさ。今晩あたりにまた会おうよ。そこでちゃんと話を聞かせて? 高林さんがどんな人なのか、とかさ」

「あ、おう……」

「というわけで白雪、できれば今晩、私と竜太君が一緒になる時間が欲しいって優花ちゃんに相談しておいてもらえる?」

「え? うん、それはいいけど……」

「ありがと。じゃ、私は一足先に夜で待ってるから」

 そう言って立ち上がった姫花はカーテンタッセルを手に取る。

「悪いな、タイムリミットがあるとはいえ、ちゃんと説明できなくて」

「ううん。人格チェンジしちゃえば次の私の番まで一瞬のことだし、気にしないよっ!」

 にししっ。

 とても元気をくれる笑顔を浮かべて、姫花は手にしたカーテンタッセルを俺に差し出した。

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