天野白雪 遭遇・高林さん

 陽太君を竜太さんに変えた私は、そのままリビングで竜太さんが出かける準備を済ませるのを待っていた。

 病院と竜太さんのご両親経由で戻ってきた、竜太さんの貴重品その他手荷物。それらを陽太君のお出かけ用のウエストポーチに入れた竜太さんは、晴れやかな笑顔でリビングに入ってきた。

「姫花さん、白雪、お待たせ!」

 片手を軽く上げ、白い歯がきらりと輝く。私も陽太君と話しているつもりで応じた。

「陽太君、本人はそんな爽やかじゃないよ」

 私が口を尖らせると、すかさず姫花お姉ちゃんが首を傾げる。組んだ腕の片腕を立てて、人差し指で眼鏡の位置を整えた。

「白雪の中の陽太の評価、どうなってるわけ?」

「優花ちゃんは演技が大げさすぎるよ」

 そんなふうに調整しつつ――あんまりできてないけど――私たちは外へ繰り出した。

「まずは竜――榊さんの家よね」

「おうともさ。地獄への門ヘルズゲートが生まれるに、番兵を抑えねーとな……!」

「陽太君をどんなキャラだと思ってるんですか……じゃない、キャラが迷走してるよ陽太君」

 左目を抑える竜太さんに言うも、姫花お姉ちゃんが悪ノリする。

「ま、待ちなさいよ陽太! 番兵って、あの【新鮮】と【三.五】と呼ばれる奴らのことよね……勝ち目あるの!?」

「優花ちゃんは絶対そんなこと言わないよ!?」

「へっ……! 奴らは乳製品属性と卵製品属性……加熱属性の攻撃が使えりゃ恐れるこたーねーよ」

「中途半端な攻撃じゃ死ぬわよ……!」

「なんで当の本人たちより子供っぽくなるの!? ねえ二十三歳児たち!」

 ごめんなさいとしょぼくれる竜太さんと姫花お姉ちゃん。だけど、言っていることは間違ってない。

 想定外な転落事故からの陽太君への憑依。冷蔵庫には卵や牛乳があると本人談。たしかに来月には本当に地獄が生まれてしまうだろう。

 危機感と共に訪れた竜太さんの家は、えらいこっちゃなありさまだった。

 間取りは、十畳一間の2K。二階建てアパートの二階角部屋で、キッチン、お風呂、洗濯機、トイレなどの諸々が玄関入ってすぐに集まっており、奥に一部屋、さらにその奥にもう一部屋フローリングの部屋が続くという細長い形をしていた。

 洗濯物はベランダに干しっぱなしで、詰め替え用の洗剤なんかが洗濯機の上に陣取っている。

「これが……男の人の、一人暮らし……?」

「ほら見なさいよ陽太。ツッコミどころが多すぎて白雪がオーバーヒートしてるわ」

「……まあ、掃除はまた今度やればいいじゃん。とりあえず、必要なものを集めて今日のところはさっさと帰ろう」

「「あ、今のけっこう陽太君に似てた」」

「なんで似せる気ないタイミングばっかり似るんだ!?」

 なんて言い合いながら、冷蔵庫や戸棚の食品を確認していく。冷凍食品など、日持ちするものはいいとして、とりあえず今日中に回収するべきものは食パン、卵、牛乳、お肉くらいか。

「野菜がなかったよ……」

「サラダはコンビニで買うからな」

「ほんとかなぁ……じゃなくて、ホントかしら」

 姫花お姉ちゃんが本気で心配そうな顔をしている辺り、あまり信用ならないようだ。それから奥の部屋に視線を飛ばして言う。

「ゴミも回収しちゃいたいし、いっそお掃除しよっか!」

「全然優花ちゃんっぽくないよ」

「えーと……ちゃっちゃと掃除しなさい、陽太」

「なんで俺――じゃねぇ、僕だけなんだよ! 白雪からもなんか言ってやってくれ!」

「陽太君のリアクションはともかくとして、優花ちゃんならあながち間違いでもないんだよね……間違いであってほしいよ」

「白雪の目が切実だ……」

 そんなことを言いながら、私たちは大掃除を開始した。

 一昨日からずっと干されていた洗濯物を取り込み、お布団を干す。姫花お姉ちゃんが遊びに来る前にはそれなりに掃除をする習慣があったからか、散らかっている以外に手のかかるところはなかった。

「ふう……なんだかんだお昼前になっちゃったねぇ……。あたしはあと一時間か」

 時刻は十二時過ぎ。元々優花ちゃんが今後のことを考える時間が欲しいと言っていたから、姫花お姉ちゃんは一度人格チェンジして一時間後に再チェンジ、というわけにはいかない。

「俺は二時間くらいあるけど……荷物運びが終わったら、陽太少年に返すさ。昼飯くらい、好きなもの食わせてやりたいし」

「それもそうだね。じゃあ私も帰ったら優花ちゃんと変わろ~」

「二人とも完全に慣れてきちゃったね……」

 そんなわけで、ゴミやら食材やらを持った私たちは、竜太さんの部屋から出る。

「そういえば、この部屋って結局どうするんですか? 借主が入院している場合、家賃は……」

「そーなんだよなー。また改めて時間貰って、そこんとこ親父たちと相談するっきゃねえさ」

「引き払うにしても、冷蔵庫や洗濯機なんかがあるもんねぇ。元に戻ったときのことを考えると、捨てたり売っちゃったりするわけにもいかないし」

 なんてお喋りしつつ、竜太さんが玄関ドアの鍵をガチャリと施錠した、その瞬間。

「あの!」

 突然、か細い女の人の声がした。

 振り返ると、そこにいたのは小柄な白い女の人だった。小柄といっても、私と優花ちゃんの中間くらいだから、私たちとそう変わらない。

 白を基調とした、フリル多めのブラウスとスカート。手に持つ小さなハンドバッグも鮮やかな白。ちょっと過剰すぎる言い方かもだけど、白魔女の三文字が頭に浮かんだ。

 肩まで伸びた綺麗な髪は明るい茶髪に染まっており、緩やかにウェーブがかかっている。小顔だけど整った顔のパーツには上品なメイクが施されていた。そこまで外見にこだわれるなら、それなりに稼いでいる大人の人だと思う。

 その人を見て、竜太さんがポツリと。

高林たかばやし?」

「あなたたちは――なんでわたくしの名前を知ってるのですか!?」

「あ」

 と間抜けな声をあげて、竜太さんが鍵を持った手を口に当てて……ようやく、私たちはとんでもない事態になってしまったことを理解した。

 そう、この部屋は榊竜太さんが借りているお部屋だ。そして目の前にいる高林という女性は榊さんの知り合い……なのだろう。

 なお、ここにいる榊さんは、陽太君の身体でここにきている。

 ――非常にまずい。

 私は竜太さんと姫花お姉ちゃんの服を強く引っ張り、口元が見られないようにしゃがみこませた。

「――ちょ、なにやってるんですか竜太さん!」

 もはや私たちには、演技をしている余裕すら残されていなかった。

「――す、すまんつい……」

「――ねえ竜太君、あの女の人誰? なんで竜太君の部屋の前にいるの?」

「――ちょ、落ち着け姫花! あの人は高林月子つきこって人で、職場の同期っ。なんで俺の部屋の前にいるかは俺も聞きてーよ!」

「あのー……」

「「「はいぃっ!」」」

 どうしよう混乱しちゃってなに一つ情報が入ってこないよ! このタイミングで姫花お姉ちゃんを優花ちゃんに変えたって、さすがに事前情報なにもなしじゃ対処できるわけがないだろうし……!

 あたふたする私と姫花お姉ちゃんだったけど、唯一相手のことを知っている竜太さんだけは私たちより多少は落ち着いていた。

 すっくと立ちあがり、胸を張って、堂々と。

「えっと、どちら様ですか?」

 ここからはぐらかす気!? 無茶だよ!

「いえこちらのセリフですのッ! 貴女たちこの部屋の住人じゃないでしょう!?」

 ですよねぇぇ!

 竜太さん、この状況からいったいどうするつもりなんですか!

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