神原陽太 新たな波乱の予感
突然あくびがしたくなって深呼吸。目を覚ませばカーテンの隙間から朝日が差し込んでいて、右手に握っていた紙がくしゃりと音を立てた。
「ん……?」
開けば、殴り書きしたような字で『朝起きた時間をメモっておいてくれ』とのこと。言われてスマホを見れば七時半だ。
そして同時に、白雪からメッセージが届いていることもわかる。
『起きた時間はこっちに送ってね』
とあるので、おはようのスタンプを押して七時半とメッセージ。
階段を降りると、既に優花……姫花さん? が洗面所を使っているようだったので、先に朝ご飯の用意に移る。姫花さんの朝ごはんの好みは分からないけど、あの人は雑食だったはず。美味しければなんでも食べるはずだ。
なら優花準拠でトーストと目玉焼きでいいかな。ご飯炊いてないし。
一通り準備を済ませて廊下に出ると、もう洗面所から人の気配はなくなった。ならばと思って引き戸を開けると、遮音されていたシャワーの音が突然耳に届く。
優花に朝風呂を浴びる趣味はない。そもそも僕が風呂掃除をする前に使うようなやつじゃない。
となれば優花じゃない!
「誰だ!?」
反射的にお風呂場の扉を開けたら、全裸の優花が頭上にシャワーを構えていた。
「ひゃあ!? ……ちょ、陽太君!? え、なになに!?」
「ゆう……あっごめんなさい!」
僕はようやく状況を理解して、お風呂場から逃げ出した。
朝八時過ぎ。僕は朝ごはんを並べた食卓で姫花さんに頭を下げていた。
「陽太君は、今中身が私の可能性であることを忘れて、おまけにコレにも気づかなかったってことだね」
姫花さんは『シャワー浴びてるね』と書かれたメモ用紙をひらひらと振る。洗濯機の上に置いていたそうだ。
「ごめんなさい……」
「んにゃあ、別に怒っちゃないよ。我が物顔で勝手に使ってる私も私だし。朝ごはん作ってくれたんだもん、それでチャラってことで。別に陽太君なら優花ちゃんも気にしないでしょ」
いや、それでもヤツなら殴ってくる。
「……その優しさが少しでも優花にあったら……はぁ~……」
朝から嫌なものを見てしまった。朝から盛大にため息をついてしまう。
そんな僕を見て、姫花さんはトーストを咀嚼する口元を隠しながら笑った。
「ふふふ。それでもちゃんとお兄ちゃんしてるんだから偉いよ。……そういえば、朝ごはん一緒に食べるのは初めてだね。なんか不思議な感じ」
平和だ……相槌を打ちながら朝食と幸せをかみしめていると、ふと榊さんという人の存在が脳裏をよぎる。
「そうだ、榊さんに変わります? せっかくなら彼氏さんと一緒に朝ごはん食べたかったんじゃ」
「こら。変な気回さなくていいからね? あくまでもこの身体は優花ちゃんと陽太君のものなんだから」
そう言った姫花さんの僕を見る視線は、とてもくすぐったい。
「竜太君も私も、大人として、身体間借りしている立場としても、しっかり陽太君たちを応援するから! だからなんでも頼ってね!」
得意げな顔でない胸を張り拳で叩くその姿は、どうしても子供っぽく見えてしまう。でも、とっても頼りがいがある――。
「あああすっかり忘れてたぁ!?」
「なにがです!?」
「いや、目が覚めてから一時間以内に人格チェンジが可能かどうか、試しておくように言われてたんだった! やば、ぎりアウトだし!」
――ちょっとそそっかしいところもあるけれど、それでも面倒見のいいお姉さんだ。
「あー、でも僕は七時半起きなので、まだ四十分くらいですよ」
「じゃあ、ちょっとコーヒーくさいかもだけど我慢してね」
姫花さんはなんの恥じらいもなく立ち上がり、僕の右肩に手を置いて吹き矢のように息を吹きかけてきた。
異様に気恥ずかしい痙攣が、耳から爪先まで電気のように伝っていく。
「竜太君になったかな?」
「いえ、僕のままです……」
「あはっ、リアクション可愛いー! こりゃ白雪悶絶もんでしょ!」
それはもう、昨日散々暴れまわりましたよ、あなたの妹さん……。
「……で、もう朝ごはんはいいですか? 片づけますよ」
「ごめんごめん! 全部食べ切っちゃうからもうちょっと待って!」
こうして賑やかな朝食を終えた僕らは、仲良く食器洗い。白雪といい姫花さんといいこうして手伝ってくれる姿を、なんとかして優花に見せつけてやりたかった。
ちょうど皿洗いが終わったところで、インターホンがピンポーンと鳴る。
玄関モニターを見ると、白雪だ。そわそわと前髪を整えて反応を待っている。
僕はすぐに玄関に向かい、鍵を開けて白雪を出迎えた。
「おはよう、白雪」
「えと、神原君かな?」
「ん」
「やった! おはよー!」
後ろの小さなおさげをぴょこぴょこさせ、ぎゅっと拳を作って喜ぶ姿は微笑ましいものがある。
「それにしてもやけに元気だな? なにかあるの?」
「うん。竜太さんに神原君のフリをするよう言ってあるの。だから私が見抜いているうちは、竜太さんは神原君の真似する練習しないと」
「そんなことしてたのか……」
なんて言いながらリビングに戻ると、姫花さんがソファで足を組んで座っていた。仰け反るように背もたれに背中を預け、両腕を投げ出すその様は不遜な態度感満載だ。
「おはよう白雪。それじゃさっそく、今日の予定を確認しましょうか」
「おはよう姫花お姉ちゃん。確認しましょうか、じゃなくて、確認したいんだけど、にした方が優花ちゃんっぽいかな」
「白雪手厳しいよ……」
「ついでに、足を組むことはあってもそんな親父くさい感じにはならないですね」
「うっ……! 陽太君はも少しオブラートに包んでほしいかな!」
姫花さんも優花の真似には苦戦しているようだ。まあ、なにも知らない人からすれば中身が違うなんてことはまず思わないだろうけど。
「神原君は春休みの間にしておきたいことはある?」
白雪の飲み物を用意していると、そう聞かれた。
「しておきたいこと?」
「うん。竜太さんは一度、借りているご自宅にいきたいんだって。貴重品とか食べ物とか、回収したいものがあるみたい。ここから歩いてニ十分くらいらしいよ」
「へえ、けっこう近かったんだな。……じゃあ一旦人格チェンジしないとか」
「うん。だから神原君にやりたいことがあるなら、変わる前に聞いておかないと。ちなみに恋愛フェティシズムを使わなくても、六時間経過で自動的に人格チェンジするから気をつけてね」
そして、人格チェンジ後一時間は人格チェンジができない。なんとなく理解してきたぞ。
「とりあえずないかな。ノートとか買いに行きたいけど、別に今日じゃなくてもいいし」
「じゃあ今日の午後、姫花お姉ちゃんが優花ちゃんに変わったら聞いてみよう? 三人で行こうよ」
「わかった」
なんでわざわざ優花と一緒に行かなきゃいけないのかとは思うが、あんまりバラバラになるのはまずい。白雪がとても嬉しそうにおさげをひょこひょこさせているし、まあいっか。
「じゃあ神原君。今から六時間と、昼過ぎくらいから六時間。どっち竜太さんに貸す?」
「なら、先に予定を済ませてもらおうかな」
即答で答えると、白雪はちょっと寂しそうになった。が、それも一瞬のこと。
「そ、それじゃあっ……午後にまた会おうねっ!」
緊張気味の白雪の吐息が、僕の耳をくすぐった。
瞬間視界が一気に変わり、白雪のリビングで、白雪が僕の口にスプーンを突っ込んでいるところになる。
まだびっくりするけれど、驚いて声をあげるほどじゃない。
僕が榊さんから戻ってきたんだと理解した瞬間、白雪も顔を朱に染めていた。
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