天野白雪 耳攻め

 竜太さんが、ソファに座って一息つく。

「へへ……っ! だけどよ、なんだかんだわかってきたぜ、陽太少年の振る舞いかたってやつがよ……!」

 やっぱり中身が違うからか、陽太君のギラギラした目を見ても、違う! って思っちゃう。

「竜太さん、そこはもっと脱力した感じで! 陽太君が気合い入れるのはレアなんです!」

「レアって」

 竜太さんの陽太君演技指導をしていると、もう一時間くらい前に私の家に行っていた優花ちゃんが戻ってきた。

「待たせたわね。白雪、一旦榊さんには休憩がてら陽太になってもらって、人格チェンジ直後の変更不可能な時間を調べるわよ」

「も、もうやるの!?」

 たしか、十分おきに陽太君の耳に吐息を吹きかけないといけないんだよね……! でも、まだ心の準備が……!

「でも今やらなきゃ夕飯直後になるのよ。ちなみに今晩麻婆豆腐って」

「今やるよ!」

「心変わり早いな!」

「「女の子には色々あるんですー」」

 ただでさえ好きな人の耳に息吹きかけるなんて耐えられないのに、食後にやらされるとか絶対いやだよ!

「へいへい、じゃあ適当にあ~んでもいや~んでもしてくれ」

「陽太君の真似する気あります……?」

 竜太さんは姫花お姉ちゃんがいないから、ものすごく冷めた感じだ。まあ姫花お姉ちゃんという恋人がいながら私たちのあ~んを意識されるのもいやだけど。

「白雪、これ使って」

 優花ちゃんがキッチンから持ってきたのはただのスプーン。それもコンビニでカップアイスを買ったときについてくるような、使い捨ての小さなプラスチックスプーンだ。

「アイスとかヨーグルトとかは?」

「なしでも人格チェンジするか実験よ。いいですよね、榊さん?」

「ああ。全面的に任せるさ」

 というわけで、透明な袋を開封し、使い捨てスプーンで色気もなにもないあ~ん。

「ん!?」

 なんとなく、人格チェンジが成功したなって直感できた。

 陽太君の口からスプーンを引っこ抜く。

「陽太になったわね?」

「お? おお……」

 あーやっぱりさっきまで竜太さんがやってた戸惑いかたとはちょっと違う!

「私、ちょっとわかるようになってきたかも!」

 優花ちゃんに報告すると、優花ちゃんはスマホのタイマー機能でカウントダウンを開始するところだった。

「そう、なによりじゃない。じゃああたしはまた白雪の家に行ってるから、竜太さんに戻り次第こっちに来てよね」

 リビングから出ていこうとする優花ちゃんを、私はすんでのところで引き留める。

「ちょちょちょ待って!? ここにいてくれないの!?」

「まさか見せつけたいの……!?」

「そういう意味で言ったんじゃないよ!」

 心細いじゃん! そう文句をつけると、優花ちゃんは呆れたようにため息をついた。

「あたしには今のうちにやっておきたいことがあるのよ。姫花さんと榊さんの身体に変化がないか、できる限り細かく確認してもらうよう言っておかないと」

「え? 入院中の?」

「そう。もし入院中の二人の身になにか不思議な反応が起きたら時間と内容をチェックしてもらって、そのときのあたしたちの行動と照らし合わせる。するとなにか関連する物事や、なんならこの状況を根本的に解決できる方法が見えてくるかもしれないじゃない」

「へぇ……」

 ほんと、よくそこまで冷静に思いつくなぁ……。

「というわけでこっちは頼んだわよ。あ、最低でも十分ごとにチェックしなさいよね」

 今度こそ、優花ちゃんが出ていってしまった……。

 食卓テーブルの上、既にカウントダウンを始めている優花ちゃんのスマホを見ながら、私はソファに座る陽太君にこれからのことを伝える。

「……というわけで、その……神原君には、十分ごとに、私が……神原君の……み、耳を……その……」

 しどろもどろになっていると、神原君にため息をつかれた。

「ったく、白雪嫌がってんじゃんか優花のやつ……」

「いや、では、ない、んだ、よ……? むしろ、やりたい、というか……あ」

 あっちこっちに視線を投げながら言い訳を続けていると、言い過ぎたと気づいて口を止める。しかし、しっかり聞こえてしまったようで、陽太君は驚いた顔で私を見ていた。

「わああああああああいやっ! あの! 違くて! 変な意味じゃなくて!」

 ど、どうしよう!? なんていえば切り抜けられる……!?

「白雪がそんなに勇気を出したのに、僕だけ逃げるのは違うよな……」

「え……!?」

「白雪。十分おきでいいんだよな?」

「う、うん……」

「わかった。そのときが来たら、遠慮なくやってくれ」

 陽太君も覚悟を決めた顔と声でそう言った。でも、テンションが悪い人に捕まった人質役みたいな感じだった。勇気を出してくれたのは嬉しいけど、雰囲気だけは違うんだよな……。

「じゃ、じゃあ……」

 残り時間を刻むスマホを片手に、ソファへ。

 陽太君にも見えるようにスマホを置いて、私は陽太君の肩に手を置き、耳元に顔を近づける。

 ちょっと硬そうな髪。綺麗な耳のライン。

 ふぉおお……。

「な、なあ白雪?」

「は、はいっ!」

「もしかして一時間ずっと……この状態なのか……?」

 言われて、それがいかに苦行なことか気付かされた。

「そ、そうだよね……!」

 どうしよう……そうだ!

「しりとりでもする!?」

「いや、絶対間が持たないだろ……いや、昨日あれからまだ鍋とか洗ってなかったから……」

「ああ、洗い物……」

 とか言っているうちに、タイマーは残り十秒を切っていた。

「ま、待って! その、あと五秒……!」

「お、おお……」

 三、二、一……ピピピピ――。

「ふぅー」

「んん……」

 ひゃあああ陽太君が! んんって! 恥ずかしそうに! なんだこれ、なんだこれ! テンションがおかしくなりすぎて、おでこが痛いよ……!

「し、白雪! 落ち着け!」

「ふぉう!? ご、ごめん……」

 おお、いつのまにかリビングの壁に頭をガンガン叩きつけていた……反省、反省。

「これであと十分は自由なんだよな? とりあえず」

「う、うん」

 優花ちゃんのスマホを見ると、既に次のアラームがカウントを刻んでいた。さすが優花ちゃん、準備に抜け目がなさすぎるよ……。

「じゃあ、洗い物してるからな」

「わ、私も手伝うよ!」

 神原家のキッチンに立ち、カレーだったという昨日の鍋や皿などを陽太君が洗い、私が布巾で水気を切って棚に仕舞う。

「今日の夕飯は、神原君の分と優花ちゃんの分、うちで作ってるから……」

「助かる」

「麻婆豆腐だよ」

「そうか」

 なんて言っているうちに、優花ちゃんのスマホが目覚まし音とバイブレーター。十分経つの早くない!?

「じゃ、じゃあいくよ……!?」

「お、おう」

 もう一度耳をふぅーってしたら、今度はびくんと陽太君の上半身がブルリと震えてふぁあああ変な気分になっちゃう!

「白雪! 今日はまだ掃除機かけてないんだ!」

 はっ! 私ったら、今度は床を転がっていた。気をつけないと……。

 こうして私は、陽太君が竜太さんに変わるまでの一時間、カーテンにくるまったりソファでバタ足の練習をしたり机の下に潜ったり……。

 こうして竜太さんに人格チェンジした後、私は一旦埃まみれになった服を着替えて晩ご飯。再び陽太君の家のリビングで、六時間ぶりに姫花お姉ちゃんと再会する。

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