神原優花 いつかきっとを信じて

 なにも解決していないのに、その目途すら立っていないのに、榊さんのご両親はあたしたちにやたら感謝やお礼の言葉をかけて、群馬のご自宅に帰られた。ちなみに、医者や職場などにはまだ黙っておいてもらうようお願いしてある。

 いったいあたしたちのどこに信用が置けたのかわからないけど、信頼してもらえたのはたしかだろう。なにせ、竜太さんの手荷物――スマホからお財布まで――すんなりと渡してくれたのだ。あたしだったら渡せない。

 こうしてあたしたちもまた、白雪の家に帰り、外出中の人格チェンジについてまとめていた。

「ごめんね優花ちゃん、時間まで見てなくて」

「大丈夫よ、ある情報だけでなんとかするから」

「優花ちゃん……!」

 白雪から期待の眼差しを受け止めつつ、あたしはチラシ裏のメモを見る。あたしが姫花さんに切り替わったという今朝八時二十一分以降に書かれた内容を見ると、改めてあたしの知らない時間が存在していることを突きつけられた。

 でも、もう不思議と恐怖は薄い。白雪が、こうしてそばにいてくれるから。それに、ここであたしが折れたら陽太にどれだけバカにされることか。それだけは絶対に嫌だ。

 だからあたしは、もう負けない。

「白雪、改めて確認よ。姫花さんはたしかに、あ~んして榊さんを陽太に変えたのね?」

「うん」

「そしてその直後に姫花さんからあたしへの人格チェンジが発動した。ただし、その原因は不明」

「うん。誰も姫花お姉ちゃんに触ってなかったもん。榊さんの予想通りなら、あすなろ抱きかお姫様抱っこ……のどっちかで切り替わるみたいだけど、どう考えてもそれはありなかったし」

 席配置からしてもその通り。唯一手の届く距離――隣に座っていた白雪は、姫花さんからあたしに人格チェンジした際、あたしの方に背中を向けていたのであすなろ抱きすらできやしない。それよりも気になるのは。

「なによ今の間は?」

 白雪はぎこちなく頬を吊り上げ視線を逸らすだけ。あすなろ抱きとお姫様抱っこの二択に絞れるほどの自信はない……というわけではなさそうだけど。

「まあいいわ。で、切り替わったあたしが白雪を突き飛ばし――陽太、そんときあんたホントに気絶したんでしょうね?」

「ああ。目が覚めたら白雪と優花が抱き合ってたんだからな」

「あはは……」

 睡眠、気絶、恋愛フェティシズムとは別の人格チェンジ方法の存在。かつ、気絶という条件を満たしても人格チェンジしない事例……。

 浮上した謎を指折り数えていると、空笑いを浮かべていた白雪が追加してくる。

「あと優花ちゃん、姫花お姉ちゃんの恋愛フェティシズムも判明してないよ?」

「それは後でいいわ。正直もう時間的猶予がないもの、実験するにしてもその順番まで考えないと間に合わないでしょ」

 あたしがちょっといつもより低めの声で言っても、白雪と陽太は当たり前のそれに気づかない。だからすぐに付け加えた。

「入学式。もうすぐよ」

「「あ!」」

 姫花さんと榊さんは意識不明の重体で入院中。当然仕事は休みになる。でもあたしと陽太の身体は健康そのものだ。休む理由を作るのは難しいし、日中街中を歩けば案外学校にすぐバレるものだ。素直に学校に通うとしても、誤魔化すのは大変というか、アドリブでどうにかできる気がしない。予め対策を立てる必要があるだろう。

「とりあえず陽太、榊さんに変わりなさい」

「え、でも」

 あの従順な下僕が、白雪をチラリと見て戸惑った。白雪も身を強張らせて陽太と目を合わせようとしない。

「早く――」

 しなさいよ、と急かそうとしたのを察したのか、陽太が言い訳を捻り出した。

「風呂掃除しないと」

「最初に出る言い訳がそれなの!?」

「……仕方ないわね、榊さんにやらせるわけにもいかないし」

「優花ちゃんは少しくらい自分でやろうとしなよ!」

 だって、陽太が洗ったお風呂場じゃないと落ち着かないし……。

 陽太が去り、あたしと白雪の二人きりになったところで、白雪があたしに不安げな視線を向ける。

「優花ちゃん、今どこまで考えてる?」

「とりあえず、人格チェンジの条件は全部出揃ったはずよ。仮に未発動の条件があるとしても、偶発的に発生するようなものじゃないと思うし」

「どういうこと!? 出揃ったってことは、全部理解したってこと!?」

「一応この後実験するから、詳しくはそのときに。そうだ、十分おきに六回、榊さんにあ~んし続けるのと、陽太の耳に息吹きかけるの、どっちがいい?」

「にぇ!?」

 白雪が顔を真っ赤にして飛び跳ねた。まあ、反射的に想像したのは陽太でしょうけど。

「陽太がお風呂掃除終わらせるまでに心の準備しておいて。ちなみにあたしとしては陽太でお願いしたいところよ、効率的にね」

 嘘である。

「じゃ、じゃあ……! 仕方ないから、陽太君かなぁー!」

 白雪はそう言って、ぴゅーぴゅーとわざとらしく口笛を吹く。鳥のさえずりのように上手だ。

「あ、効率的には榊さんの方がいいかも」

「ぬぁっ!? も、もぉー! からかってるでしょ、絶対に!」

 わかりやすく左右の小さなおさげを震わせる白雪のリアクションを見る限り、たぶん榊さんの方が気が楽だけど陽太の方が嬉しい、みたいな感じかしら。

 微笑ましいと気が緩んだところに、また新しい不安が押し寄せた。

「ねぇ白雪」

「今度はなーに?」

 まだ、ちょっとムッとしている。

 ――ずっとこのまま、元に戻らなかったらどうしよう、とは、言えないわね。

「高校に入ったら、陽太のことはどうするの?」

 あたしたちの状況が解決まで待つのだろうか。それとも、今の状況のままでも進展を目指すのだろうか。

 しかし、答えは違った。

「そっか、まだ優花ちゃんには言ってなかったっけ」

 白雪は難しい顔をして唸る。たぶん、これは言うべきかどうか悩んでいる顔だ。

「陽太君、高等部に行ったら、好きな人を探すんだって。私は、それを手伝おうと思うの」

 頭を殴られたような衝撃だった。あの陽太が自発的に動き出そうとするっていうのも、白雪がいつの間にかそれを聞き出していたことも驚きだけど、それ以上に。

「白雪……陽太のこと、諦めちゃうの?」

 踏み込んだことを聞いてしまった。白雪も少し答え辛そうにして、それでもぎゅっと拳を握って答えてくれる。

「そんなわけないよ! 私のことを、ちゃんと陽太君に見てもらうためには……陽太君が、私のことをしっかり見てくれるようにするためには……そうするしか、ないから」

「……それって、怖くないの?」

「う……怖いよ。当たり前じゃん」

 そう言いながら、白雪は儚げに笑った。

「仮に見つかったとして……陽太君がその人のことをもっと好きになったらどうしよう。相思相愛だったらどうしよう――。どうしても、そう思っちゃうよ。でも、陽太君のことを諦められないんだもん。諦めたくないんだもん。だから、今はなにもできなくても、いつかきっと、私を見てくれるときが来るって信じて待つしかないよ」

「…………」

 強いわね、白雪は。

 でも、そうよね。手に入れたいものが、なにもできない苦しみの先にしかないのなら。

 いつかきっとを信じて待つ――か。

「そうね。あたしも、そうするわ」

「え?」

「ううん、こっちの話。さ、陽太を追いかけましょう。夕ご飯までに済ませておきたい実験があるのよ」

 あたしがそう言うと、白雪はなにを感じたのか、とっても元気な笑みで頷くのだった。

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