榊竜太 白雪のプロ意識

 姫花に唐突なプリンのあ~ん攻撃を食らった刹那、視界全体が激しくブレた。

「ひっぐ……!」

 俺の身体――といっても陽太少年のだ――がソファの上で瞬間移動し、目の前にいた姫花が消滅。左手はギュッと白雪ちゃんの手を握っていて、今にも泣きそうな白雪ちゃんの顔が真横にあったのだ。

「うおっ、白雪ちゃん!?」

「うぐっ……うう……!」

 必死に、泣くのを堪えている。

「今、この一瞬になにがあったんだ……?」

 さすがの俺もこれには動揺するしかない。

 もっとも、白雪ちゃんから答えが返って来るより先に、廊下に繋がるリビングの扉が勢いよく開かれた。

 駆けこんできたのは優花嬢ちゃん。いや、姫花のままなのか?

「白雪!? なにがあったの!?」

「うわああん! 姫花お姉ちゃんが土足であがってるぅ……!」

 中身はどうやら姫花らしい。……というか、姫花が靴のままリビングに飛び込んできたことに言われて気づいた。

「え⁉ 私が悪いの!? ちょ、陽太君!」

 名前を間違えられて気づく。そうか、人格チェンジが起きていたんだ!

「姫花俺だ! なんかプリン食べた瞬間陽太少年と人格変わったみたいで!」

「一時間以上経ってます~っ!」

「し、白雪! 泣きながらツッコミまっとうしようとしなくていいから! ほら、姫花お姉ちゃんだよ~」

「うえええええええええん」

 姫花が両手を広げると、白雪ちゃんは手を震わせながらよちよち歩み寄り、胸に飛び込んだ。姫花は現在、優花嬢ちゃんの身体で白雪ちゃんより身長が低く、ちょっと不格好な感じだが、雰囲気だけなら完璧な姉妹だ。

「よしよし」

 白雪ちゃんはすぐに泣き止んで、俺たちに状況を包み隠さず説明してくれた。

「は~……陽太少年にも好きな人がいたってわけか……それで泣いてたんだな?」

 好きな人に別に好きな人がいて、しかも一年経ってもその恋が終わってないうえに、めちゃくちゃ本気出して探そうとしているとか、すごく辛いだろうな……。

「う――そうだけどそうじゃないというか……。ちなみに竜太さん、いつから切り替わってました?」

「白雪ちゃんが泣きだし始めるところだな」

「じゃあ、宣戦布告はちゃんと届いたんだ……」

 白雪ちゃんは大勝負をやり切ったような満足げな表情でそう呟いて、ぎゅっと可愛らしく拳を握った。

 想い人がいる相手に自分へ振り向かせようだなんて、簡単に言えることじゃない。俺が陽太少年に切り替わっていたのは一時間ちょっとの間らしいが、その間に白雪ちゃんには大きな戦いがあったんだな。

「それで白雪、結局陽太君の恋愛フェティシズムはわかったの?」

 姫花が聞くと、白雪ちゃんは顔に朱を差して答えた。

「う、うん……。その、耳元で……こう……その……」

「ははーん? 耳に息吹きかけるのがスイッチってわけだね?」

「たぶん……。そっか、陽太君、耳攻められるの好きなんだ……!」

 おお……白雪ちゃんがあんなだらしない顔をするとは思わなんだ。

「異性からときめくことをされると人格が変わるってのは、姫花を優花嬢ちゃんに変えるときもそうなんだな?」

「たぶんそうです。ちなみに陽太君のときにあ~んしてダメだったので、表に出ている人格に対してときめくことをしないとダメみたいですよ?」

「じゃ、あとは俺が姫花をときめかせれば全員分解明できるってわけだな」

 早速試そうと距離を詰めると、姫花は大きく後ろに距離を取った。

「し、白雪! 竜太君! ほら、そろそろ病院行くよ、お姉ちゃんも車にいるし早く早く!」

 そのまま廊下まで後退り、階段に向かって大声を張り上げる。

「おとうさーん! おまたせー!」

「ちょ、姫花お姉ちゃん!? 今まで散々人にやらせておいて自分だけ逃げるつもりなの!?」

「いや妹の前でやる必要ないでしょ!」

「むっ……竜太さん! やっちゃってください!」

 白雪ちゃん、けっこう怒っているようだ。

 もっとも姫花から両手を合わせてウインクされては仕方がない。俺はわざとらしくため息をついて、白雪ちゃんを説得した。

「白雪ちゃん、無理矢理迫ると拗ねるんだよ姫花は。とりあえず、うちの家族に事情説明しに行こうぜ」

「むぅ、竜太さんはあくまで姫花お姉ちゃんの味方なんですね……」

「まあな」

 しかし、白雪ちゃんも恋する女の子だ。姉の恋愛への好奇心を簡単には抑えられないようで、姫花が先に出たのを見計らって、俺の服をつまんできた。

「……知ってるんですか」

「へ?」

「お姉ちゃんの、恋愛フェティシズムですよ」

「ま、まあ……たぶん? 三つのうちのどれかだとは思うんだけど」

「三つ!? く、詳しく……!」

 どうしたものかと思ったが、俺が陽太少年になっているときに姫花を優花嬢ちゃんにしなきゃいけないときが来るかもしれないことを考えると、教えておくべきなのだろう。

「一番可能性が高いのが、姫花曰くあすなろ抱きってやつだ」

 後ろから正面に、腕を回して抱きしめるあれである。

「最近でもたまに姫花からねだってくるからな。これが本命だろ」

「ふぁわわわわわわわ」

 初っ端で白雪ちゃんに限界が来た。

「……というか、緊急で人格を変える必要があるときって、だいたい公衆の面前ってことになるよな?」

「そ、そうなるかもですね。今日みたいに、予め誰が何時に必要か決まっていることばかりじゃないでしょうし。……あの、まさかほかの二つって」

 白雪ちゃんの顔が青ざめた。

「ああ……誤魔化しがきかないやつだ」

「えええ!?」

「優花嬢ちゃんの頭なでなでは、まあなにかを褒める流れでいいだろ? 陽太少年の耳に吐息だって、内緒話するフリで切り抜けられる。同様に、後ろから抱き着くあすなろ抱きってやつは、まあコケた転んだって言い訳が立つ、けど……」

 言い淀む俺に、白雪ちゃんは引き気味ながらに聞いてきた。

「その、残り二つは」

「あー……一つは、お姫様抱っこだ」

「きゃあああああああ!」

 白雪ちゃん、楽しそうだな……。

 しかし、まだお姫様抱っこもマシな方だ。

 俺のあ~ん同様、言い訳のしようがないが、人目につかない場所が近くにあればなんとかなる。

 ただし、三つめはダメだ。絶対ダメだ。

「それで……その、最後の一つは」

「言えない」

「なぜです?」

「……えっちなやつだから、言えない」

「PiPiPiPiPi――!」

「なんだ!?」

 白雪ちゃんから、突然めちゃくちゃうまいアラート音が響きだした!

 声真似……だよな? うん、口は動いてる。

「二人とも行くよ~? って、あー。竜太君、さてはえっちなこと言おうとしたでしょう」

 姫花がじとーっと冷たい視線を向けてきた。

「わ、悪い! まさかこんなことになるとは……白雪ちゃん、悪かった!」

「PiPiPiPiPi――!」

 ダメだ、呼びかけても止まらない!

「ひ、姫花……!」

 俺が助けを求めると、姫花は肩をすくめて言った。

「まったくもう。これはね、えっちなことに反応するR指定レイティングアラートっていうの」

「やめて変な名前つけないでッ!」

 切実な迫力で白雪ちゃんが姫花に迫る。

「お、白雪ちゃんが戻った」

「うん。白雪がツッコミたくなることを言うと止まるみたい」

「なんだその機能……」

 白雪ちゃんは気恥ずかしそうに顔を逸らす。

「……ツッコミしないとという使命感や切迫感でこうなっちゃうんです」

 泣きツッコミといい、R指定アラートといい、白雪ちゃんって本当にツッコミに命懸けてるよなぁ……。

 俺は感心しながら、車に乗り込んだ。

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